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第三話 深夜

「事件? 起きるわけないだろ」


「いや、でもまるっきり嘘を言っているようには見えなかった」


「その男の勘違いだ、ありえない」


 パーティーの終わった深夜。それぞれの部屋へと向かう道すがら、環は直人の話を一笑にふしていた。ここで事件が起きるなど冗談としか思えない。このマルドゥック社のセキュリティは万全、外部からの侵入はほぼ不可能。しかもテスターたちは厳重な持ち物検査をされているので、彼らによる凶器の持ち込みなどもない。


 もし仮に何かをやれるとしたらマルドゥック側の人間だろう。だが、それこそ動機がなかった。わざわざ自分で自分の首を絞めるような行為をする奴が、この世界にどれほどいるだろうか。環はせいぜい世界中に百人もいればいい方じゃないかと考える。


「妄想なんじゃないか? 自分のことを探偵とか名乗ってたんだろう?」


「探偵じゃなくて、興信所の人」


「似たようなものだろう。とにかく、そいつの考え違いに間違いない」


 環の声と視線は断定的だった。直人の顔が歪み、それに不満を告げる。だが、彼女はそれを覆すことはなかった。代わりに、先ほどまでとは違ったかなりやわらかい視線を直人に向ける。


「そんなことより、いいものを仕入れてきたんだ」


「へえ……」


「ほら」


 環は携帯を取り出した。どうだとでも言わんばかりの顔だ。そこには、見慣れない名前やメールアドレスなどが表示されている。こんな人物、環の周りにいただろうか。直人の顔が疑問を呈する。すると、すぐさま環が疑問に答えた。


「パーティーで連絡先を交換してきたんだ。このメンバーで、ギルドを設立するって話になってる。どうだ、入らないか?」


「ギルド?」


「ああ、ゲームをともに攻略する仲間の集まりってことさ。組むといろいろ有利なんだぞ」


「うーん、俺はあんまりそういうのは好かないな」


「そういうと思ってた。だけど、ギルドへ入るとほんとにいいんだぞ」


「……具体的には?」


 視線が揺れる、肩が揺れる――直人の心が揺れている。環にはそれが手に取るようにわかった。ここで畳みかければ、確実に直人はギルドへ入ってくれるだろう。彼女の口が戦闘態勢を整える。


「ギルドでしか引き受けられない依頼を受けられるようになる。用は、新しい敵と戦えるってことだ」


 直人の眼が見開かれた。環はニヤッと笑う。直人は戦いに中毒している、常に敵を求めている。これを聞いて、環の提案に乗らないはずがない。直人と一緒にゲームをプレイするという、幸せなヴィジョンが彼女の頭に投影される。しかし――


「……その新しい敵って、モンスター?」


「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」


「じゃあやめとくよ。俺はモンスターとは戦わないんだ」


「は? なあ、それはどういうことなんだ?」


「文字どおりの意味だよ。それじゃ、明日ゲームで会おうぜ」


 直人はそのまま歩き去っていった。細く引き締まった影が、紅絨毯の敷き詰められた廊下の奥へと消える。環はそれを、どこか呆れたような顔で見送ることしかできなかった――。






 運命の朝。それは夏らしからぬ、とてもさわやかな朝であった。いつもよりも早く眼が覚めた直人は、すぐにゲームをする準備を済ませるとVR機の前に移動した。時刻は六時四十五分。ゲーム開始まで十五分の余裕があった。彼はドーンと巨体を横たえているVR機の前の椅子に腰かけると、改めてその機械を眺めてみた。


「なんというか、棺桶みたいだよな」


 独り言がむなしく響く。だが、そう言いたくなるのも無理はなかった。彼の視界に納められているVR機は、まさに棺桶というのがふさわしい形をしていたのだ。厳密には、古代の石棺に近いような造形をしている。


 そのVR機は全体として黒曜石のような滑らかな材質で形作られていた。直人が試しに触ってみると、磨き上げられた鏡のようなつるりとした質感をしている。だが、その表面はほとんど余すところなく複雑な文字や記号、図式で覆われていた。その中でも十個の円を線で結び、ちょうど六角形を少し崩したような形をした図式が蓋の前面に大きくあしらわれている。


 セフィロト――見るものが見ればわかる神秘主義の象徴的な図式。その意味が分かれば、最新科学の塊のような物体にこの図式が書かれているのに違和感を感じただろう。だが、直人は見るものではない。ゆえにわからない、不可解さに気がつかない――。


「お、時間か」


 長針が時を告げる。耳に心地よい館内放送が流れる。直人はすかさずVR機の蓋を開いた。カチッと留め金が外れ、重い蓋がゆっくりと持ちあがる。その分厚い外装の中には、やわらかそうなクッションがたっぷりと使われたリクライニングベッドが置かれていた。その様子は中身だけ入れ替えたようで少し違和感がある。ちょうど、古い木の箱から最新のPCでも出てきたような感じだ。しかし、その違和感が気にされることはない。


 ベッドは真ん中が少し落ちくぼんでいるデザインだった。直人はそのくぼみの中に、迷うことなく身体を埋める。直人の全身がクッションに包まれた。そのまま彼は脇のコントロールパネルに手をやると、赤い『起動』と書かれたボタンを押す。蓋が重苦しく軋み、閉じられた。





 意識が闇に潜る。冷たい水が身体を覆うような感覚。仄暗い水の底へと突き進んでいくような不安感が、直人を襲った。しかしそれも一瞬のこと、すぐさま意識が浮上する。サルベージされた意識は白い中へと浮かび上がった。


 気がつくと、直人は見知らぬ街に立っていた。彼の視界に幻想的で瀟洒な街並みが飛び込んでくる。赤を基調とした煉瓦造りの家々が建ち並んでいて、その隙間には広い通り。クラシカルで上品な恰好をした人や馬車がその通りを行きかっている。立ち並ぶ建物のベランダには観葉植物などが飾られていて、古き良き華のある時代を思わせた。


 直人はそんな街の広場に立っていた。彼の周りには、同じようにやってきたと思われるプレイヤーたちが無数に並んでいる。学校の全校集会でも思わせるような様相であった。


「ここが、EL-Onlineの世界……」


 直人はそういうと、手を握りしめた。力強い感覚が手のひらから帰ってくる。このゲームではアバターは現実準拠の容姿をしている。技術的な制約からなのだそうだが、それにしてもリアルな感覚だ。生身の状態で、この広場に立っているとしか直人には思えない。頬を撫でるかすかな風や外灯の投げかけてくる光の温かみまでもが、鮮明に感じられた。


 感心したように立ちつくしている直人。すると彼の頭の中で、ピコンと耳慣れない音が鳴った。


『メッセージが届きました!』


 誰からだろう――。直人はすぐさまメッセージボックスを呼び出すと、内容を確認した。ちなみに、一連の動作はあらかじめ渡されている説明書に書かれている。直人は説明書は読みつくすタイプの人間だった。


『私だよ私。いま広場の西の端にいる。昨日言ったギルドのメンバーですでに集まっているから、見ればすぐにわかるはずだ。とりあえず、来てくれないか?』


「昔の詐欺かよ」


 苦笑が漏れた。直人は微笑みながら指定された場所へと人をかき分けていく。すると中央の人だかりからやや離れたところに、また別の小さな人の集まりがあった。その中心には、見慣れた少女の影がある。


「お、来たか」


「来たかじゃないぞ。自分の名前ぐらいかけよ、オレオレ詐欺じゃないんだから」


「すまんすまん、プレイヤーネームと実名のどっちで書いた方がいいのかわからなかったのでな。つい」


 環は頭をかいた。その顔は笑っている。それに同調するかのように、彼女の周りに集まっていた人間たちも笑った。直人はそんな彼らにそっと視線を走らせる。


「えっと、ここにいるのはみんなギルドのメンバーなのか?」


「そうだ。みんな私の仲間だぞ」


「へえ、ずいぶんとたくさんいるんだな……」


 直人が見たところ、全部で八名のプレイヤーがこの場に集まっていた。直人はその人数に感心したような顔をする。最初期の段階でこれだけの人数を集めるのはかなり難しいことだろう。もしかしたら、現在あるプレイヤーのグループとしてはもっとも大きなものかもしれない。前々から直人は環のことを顔が広い奴だと思っていたが、その認識を強めなくてはならないようだ。


 八名のプレイヤーたちは、次々と直人に挨拶をした。それぞれ言い方は多少異なるものの、よろしくという意味の言葉が何度となく響く。環から事前に話を聞かされていたのだろう。彼らの挨拶はかなり親しげだった。あまり人とは関わらないタイプである直人は、少し戸惑ったようになる。彼は若干、言葉に詰まりながら全員に挨拶を返した。


 こうして全員と挨拶が済んだところで、環が直人ににじり寄った。そして色っぽい声で告げる。


「直人、改めて聞くがギルドに入らないか?」


 確定事項――環の声はそう告げていた。この期に及んで直人がギルドに入ることを断るなど、彼女はまったく考えていない。人付き合いは苦手だが空気はそれなりに読める直人が、現状の雰囲気には逆らえないと踏んだのだ。だが――


「すまん、やっぱ駄目だ。俺は一人の方が気楽でいい」


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