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第二話 少女

展開に無駄が多い、直人の個性を生かし切れていないという指摘を受けたためまったく新しく造り直しました。たびたび申し訳ありません。

 天空に螺旋を描くビル。さながらガラスの塔のようなそれは、陽光を反射しながら蒼空に聳える。その頂は雲に突き刺さり、霞んで見えるほど。周囲に林立する高層ビル群と比べても、その高さは頭一つ抜けていた。


 そのビルの頂上付近には蛍光緑の文字でMardock・Brainと描かれていた。この建物こそが、EL-Onlineの開発元であるMardock社の本社ビルである。βテストはこのビルの中で夏休み期間の一か月、泊まり込みで行われることとなっていた。


 直人たちテスターは、すでにビルの中にいた。ひとしきり社内を案内された彼らは、映画館のようなホールに集められている。そのホールは千五百人のテスターたちが入ってもまだゆとりがあるほどの広さだ。直人と環はその扇形に並べられた座席の前の方に腰かけると、正面につけられているディスプレイを見た。


「これから何が始まるんだろう?」


「さあな。説明会でも始めるんじゃないのか」


「うーむ……」


 直人はフウっと息をついた。これから何を行うかについては、彼らには一切知らされていない。このマルドゥックという企業は秘密ごとが好きな会社のようだった。先ほどの社内案内でも、そこかしこに立ち入り禁止区域があったのを彼は覚えている。


 そうしてしばらくすると、唐突に照明が落とされた。ブザーが響き渡り、ホールに緊張とざわめきが走る。何が起こるのだろうか。テスターたちの不安と期待の入り混じった声が聞こえてきた。


 瞬間、光が砕けた。ガラスが砕けるような映像が流れ、直後、壮大な音楽が流れ始める。幅十メートルはあろうかという巨大ディスプレイに、華麗にして壮大な風景が映し出された。百花繚乱の野原、空にゆたう大陸、星が降り注ぐような平原……。荘厳な自然やそこに生きる人々の美しい姿が次々と絵巻のように流れていく。直人も環もその圧倒的な映像美に目を奪われた。


 その映像の最後にMardock・Brainと会社名が大きく映し出され、同時にロゴが浮かび上がった。黒地に紅で、仮面を模したような物が描かれたロゴだ。かなり陰鬱で、呪術的な物を思わせる。企業のロゴにはあまりふさわしくないように思えた。


 直人はあまり趣味の良くないロゴに眉をひそめた。だが一方、環は眼を輝かせる。その顔は興奮する少年のようだ。それを見た直人は環がとある病を患っていたことを思い出し、苦笑する。中学はとっくに卒業していたが、まだその病気は治っていないようだった。


 そうして直人と環が過ごしていると、明るくなったステージの上に男が上がってきた。デザイナーズスーツをパリッと着こなした、出来る男の見本のような男。だが、そのまだ四十前後とみえる若々しい顔には黒い影がちらほらと見え隠れする。直人はそんな男を見て、ゲームの責任者か何かだなと思った。


「こんにちは、私はマルドゥック・ブレイン社代表取締役の黒柳です。このたびはわが社の新製品、EL-Onlineのβテストにご参加いただき誠にありがとうございます」


 男の挨拶に、ワッと拍手が鳴った。会場全体にバチバチという音が響き渡り、何やら声まで上げている者もいる。ステージ上の黒柳はそんなテスターたちに、にこやかに笑いかけながら話を続けた。


 黒柳の話はそのほとんどが事務的な連絡とEL-Onlineのごくごく基本的な説明に終始した。いずれも事前に渡されたパンフレットに載っているような内容ばかりであり、目新しいものはさほどない。さすがに一流企業の代表を務めるだけあって、人を引き付けるような話し方をする黒柳であったが、内容が内容だけに直人は話の後半部分をほとんど聞いてはいなかった。それは環も同様なようで、直人の耳にすやすやという寝息が聞こえてくる。


 こうして直人があくびをした時。突如として黒柳の話のトーンが上がった。その音程の変化に、直人は眠そうな目をこすってステージに注目し、隣の環もあくびをかましながら起き上がった。二人はそのまま、熱弁をふるう黒柳へと視線を集中させる。


「では最後にEL-Online開発チーム主任、神流からのあいさつです!」


 黒柳がひどく仰々しい態度でステージの袖の部分を示した。ゲームの開発者を迎え入れるべく、テスターたちから盛大な拍手が巻き起こる。EL-Onlineの開発者については今まで、その一切が謎に包まれていた。それが明らかになるとあって、会場の興奮は尋常ではない。広いホールの中はさながらスタンディングオベーションのような状態だ。直人と環もそれに巻き込まれるような形で拍手を送る。


 その嵐のような音量と会場中の注目の中に、小さな人影が現れた。ひどく細く華奢な印象のその人影は、まっすぐにステージ中央へと向かっていく。その姿に、拍手がにわかにまばらとなった。直人と環も驚きのあまり目を丸くする。


「環、あれってもしかして……」


「いやまさか……」


 どよめく客席、響く疑問。そんな中で渦中の人物は何事もないかのように平然とステージ中央にたどり着いた。その人物はちょっと背伸びをしながらマイクの高さを調整する。そして、ひどく無機質かつ事務的な口調で告げた。


「みなさんこんにちは、私が神流です――」


 ひどく幼く頼りなげな声。儚げで神秘的なそれは、客席のテスターたちの耳によく響いた。テスターたちはその声に、神流の年齢を確信する。


 ――どう考えても、十代前半ほどの少女だ――と。






 綺羅星のごとき街灯、ネオン。この閉鎖都市――美玖波の繁栄を象徴するかのように、その暗い影を覆い隠すかのようにそれらは輝く。そのまばゆい光を眼下に見下ろす展望レストランで、直人はガラスにもたれながら明日に思いを馳せていた。彼はグラスに入ったジュースをワインよろしく燻らせながら、フウと軽く肩を落とす。


 ゲームの開発者が少女だというのは、すさまじいばかりの驚きをテスターたちにもたらした。葵の登場直後、広いホールは彼らの悲鳴じみた声に包まれ、直人の耳が痛くなるほどだった。あのどよめきを、直人は鮮明に覚えている。それほどのインパクトがそれにはあった。


 しかし、それが静まったのもあっという間だった。神流葵の弁舌の才は悪魔じみていた。いや、人を魅了するという意味ではある種の宗教家に近いのかもしれない。とにかく、彼女が口を開いた途端にテスターたちは黙った。スウッと脳に侵入してくるような甘い美声、一切の澱みなく続けられる話。そのすべてが、テスターたちの口を閉じさせた。彼らはまたたく間に彼女の話に夢中になり、声を上げることのない聞き手に甘んじたのだ。


「ああ、胡散臭い……」


 直人はそう愚痴っぽく漏らすと、レストランの中へと視線を移した。たくさんの人間たちが、舞踏会よろしく談笑したり食事に舌鼓を打っている。いかにも楽しげな雰囲気が、そこには広がっていた。


 葵の挨拶が終わった後、テスターたちはさまざまな検査を受けさせられた。そしてその後、彼らはこのレストランで運営主催のパーティーに参加している。βテストの前夜祭と、テスター同士の懇親会を兼ねたパーティーのようだ。


 そんなパーティーで、直人は壁の花に徹していた。もともとこういう会は苦手であったし、今日はそういう気分でもなかった。運営の人間たちが胡散臭くてしょうがないのだ。直人は彼らから、どこか異様なものを感じていた。まるでカルト教団にも通じる、ある種の不気味さをだ。ゆえに、彼はこのパーティーを余り楽しむことはできない。


 もっとも、そんなことを感じていたのは直人だけだったようだ。他の人間はパーティーを思いっきり楽しんでいるようであるし、彼とともにいた環までもどこかへ消えてしまっている。大方、他のテスターたちと旨い食事を楽しんでいるのだろう。ゲーム廃人ではあるが、環の対人スキルは高い。しかも、直人のことを考えている割には彼を置いて行くことが多々ある。今日も彼女は、直人をおいてきぼりにしたようだ。


 一人で葡萄ジュースをドンドンと飲む直人。酒の空瓶よろしく、彼の近くのテーブルに葡萄ジュースの瓶が並んでいく。すると、その歪んだ光の向こうから男が現れた。三十手前のすかした男で、コートとタバコが嫌に似合っている。


「こんばんは、君一人かい?」


「あんた誰だ? あいにく、俺は男と一緒にパーティーを楽しむ趣味はないぞ」


「なーに、一人だけ寂しくしてる奴がいたから声をかけただけさ。職業柄、変わった奴をみると止まらなくなっちまうんでね」


「職業柄? 探偵でもやってるのか」


「そんなところさ」


 男はそういうと、薄っぺらい名刺を差し出してきた。そこには明田興信所代表、明田光と書かれていた。直人の眠そうな眼が少し開かれる。


「へえ、本物の探偵じゃないか。で、これから殺人事件でも起こるのか?」


 冗談っぽく直人は笑った。しかし、光は少し眼を細めるときざっぽく言う。


「俺はどこぞの疫病神じゃないぜ。だけど、事件は起こるかもな」


「え、まさか」


「そのまさかだよ」


 光の眼の奥には、鋭い光があった。直人は虫がうごめくような感触を皮膚に覚える。彼はとっさに眼を細めると、周囲に視線を投げた。彼の眼が猛禽のように鋭くなり、周囲をとらえる。だがここで、光一が笑った。


「素人にはわかりゃしねえよ。ま、せいぜい気をつけておくことだな」


 光はポンと直人の肩をたたくと、いまどき珍しい煙草を燻らせながら立ち去ろうとする。ひょろ長い背中が直人から遠ざかっていった。しかしここで、光は思い出したように直人の方へ戻ってきた。


「そういえば、君の名前を聞いてなかったな。なんて言うんだ?」


「……リアルネームか? それともプレイヤーネームか?」


「そうだな、両方頼む。俺のプレイヤーネームも教えるから」


 直人は少し考えた。この男に名前を知らせることのメリットとデメリットを、天秤で量る。すると天秤はすぐにメリットに傾いた。


「リアルは柏木直人。プレイヤーネームはカズトにする予定だ」


「ありがとさん。俺のプレイヤーネームはコゴローだ。それじゃ、今度こそさよなら」


 光は今度こそ立ち去って行った。その足音を聞きながら、直人は一人で小さく肩を落とした。


「コゴローか。ずいぶんと名探偵を気どってる人だな……」


 喧噪のなかに溶ける声。今回の出会いの意味を、まだ誰も知らなかった――。

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