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第一話 レッドカラーの少年

 今から約一週間前の七月半ば。暑さのあまり人影もまばらな道場で、直人は一人、黙々と竹刀を振るっていた。竹刀の切っ先は先ほどから寸分たがわぬ直線を描き、心地よい風切り音を響かせる。同時に踏み込む足も、板敷きの床を気迫とともに激しく揺らす。その動きは流麗で、隙も無駄もほとんどない。少年の実力は相当な物のようだ。


 だが、そんな直人を見ている何人かの門下生の視線は、決して尊敬の意味合いなど含んではいなかった。憐れみとかすかな侮蔑。彼らの視線に含まれる感情はほとんどそれだけである。なぜなら直人がどれだけ努力しようと、どれだけ強くなろうと、活躍の場が与えられることなどないのだ。直人は『レッドカラー』なのだから。


 いまから三年前、直人が十四歳の冬。突如として彼はレッドカラーであると発覚した。以来、三年間にわたって彼は公式試合どころか練習試合への出場も禁止されている。それどころかそれまでに得た段位も、勝ち得てきたトロフィーなどの栄光もすべて彼は奪われていた。レッドカラーとは、それほど大きな意味を持つ言葉であったのだ。


 だが、彼は剣道をやめることはなかった。剣を振るうのが好きだったから。心のどこかにもう一度戦えるかもしれないという希望を抱いていたから。ただそれだけの理由である。ゆえに直人は今日も竹刀を振り続ける。もう、戦いへの渇望は満たされることがないとうすうす感じながら――。





 夕方、生ぬるい風が僅かながらも冷たさを帯びてきたころ。ようやく直人は竹刀を振るのをやめた。彼は渇いたのどを潤すべく水筒を取りに向かう。夕陽に影を差しながら、彼は道場の隅に置いた荷物へと歩く。その時、彼の視界に青い何かが飛び込んできた。彼はそれをとっさに手で受け止める。不意に、しかもかなりの速度で投げられた物体をいともたやすく。


 そうして受け止めてから、彼は軽い自己嫌悪に駆られた。この『常人を少し超えた』動体視力こそ、彼がレッドカラーとされている理由だった。ゆえにそれを使ってしまったことに、言いようもない不快感を覚える。彼はハアっと息をつくと、投げられてきたペットボトルを床に置いた。そしてペットボトルが飛んできた方向を見る。するとそこには、見知った幼馴染の顔があった。


 幼馴染こと環は『自家発電』で音楽プレイヤーを聞いていた。文字通り身体から電気を出して、音楽プレイヤーを充電しているのだ。そのレッドカラーのゆえんたる力を隠そうともしない態度に、直人は何となく自分とは違うと感じる。嫌悪などではなく、あくまで違いを感じるだけだが。


 そうして直人が微妙な顔をしていると、環はイヤホンを外した。彼女はそのまま直人にゆっくりと近づいてくる。


「久しぶりだな、直人」


「何か月ぶりだ?」


「おいおい、まだひと月もたってないぞ。ま、この道場で会うのは中学以来だろうが」


 環と直人は中学まではこの道場で共に修行している仲だった。だがレッドカラーであることが判明して以来、環は道場を辞めている。道場に残った直人と去った環。そのことがきっかけでなんとなく気まずくなった二人は、今では少し疎遠になっていた。以前は毎日のように互いの家へ出かけていたのが、今ではひと月に一度出かければいい方である。 


 そんな環が、なぜ直人に会いに来たのだろうか。しかも二人にとってはタブーとも言える場所であるこの道場へ。直人はスッと眼を細め、環を睨んだ。すると環は、その揺れんばかりの胸元から手紙のようなものを取り出す。


「フフッ、今日はこれを直人に届けに来た」


「なんだこれ? ……って、これどうやって手に入れたんだよ!」


 紙にはEL-Onlineのβテスター当選通知と書かれていた。直人はそれを見て眼を丸くする。


 EL-Onlineとは、マルドゥック・ブレイン社が発表した世界初のVRMMOのタイトルである。仮想現実技術を使い五感のすべてを体感できるということで、世界を騒がせているゲームだ。その話題性たるや、ゲーム関連のネット掲示板が過負荷でサーバーダウンを起こすほどである。


 そのEL-Onlineのリリースに先立ち、夏休み期間にマルドゥックの本社に泊まり込みで約一ヶ月間のβテストが行われることになっていた。当然、そのテスター枠には応募が殺到し、宝くじ並みの倍率を勝ち抜かなければテスターにはなれないはず……なのだが。強運な環は見事テスターになる権利を勝ち得たようだ。


「二人分応募して置いたら当たってたんだ。どうだ、一緒にプレイしないか?」


 二枚の当選通知を見せびらかして、ニヤッと笑う環。その顔は自信満々だ。それもそうだろう、直人ぐらいの年頃の人間たちにはあこがれの当選通知なのだ。だがそれに対して、直人は少々申し訳なさそうに顔を下に向けた。彼の唇が薄く開かれ、ぼそぼそと言葉が紡がれる。


「ごめん、せっかくだけどやめとく。お前一人で楽しんでこいよ」


「つれないなあ、こーんな美少女が誘ってるっていうのに」


「……お前、見た目は最高だけど中身は半分男じゃないか」


 シャツが裂けそうなほど膨らんだ胸を寄せて色っぽい顔をした環を、直人は斬って捨てた。女や胸に興味はある……というより両方とも大好きな直人だが、環は別だ。そのガサツすぎる本性を彼は知りすぎていた。もっとも、環が本気だというなら相手をすることもやぶさかではないだろうが。


「くッ、相変わらず失礼な奴だ。こう見えて私はモテモテなんだぞ? ……まあ、そんなことは置いといて。EL-Onlineでは刀を使って戦うこともできるんだが、それでも嫌か?」


「…………!!」


 薄くなっていた直人の眼が見開かれた。彼は環の手から驚異的な動作で当選通知を奪い取ると、食い入るように見つめる。その表情は、どこか虚無感の漂っていた先ほどまでとは違って、活力に満ちていた。そう、レッドカラーだと告げられる以前の彼のように。


「ククッ……」


 彼の口から、かすかに音が漏れた。その空気音は段々と大きくなっていく。そして――


「……ハハハッ、わかった! EL-Onlineをやるぞ!」


 少年の叫びが、人気のない道場にこだました。


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