第十話 突入
あれから五日が過ぎた夜。直人たちは裏街の一角にいた。辺りには信じがたいほど巨大な邸宅が建ち並び、そのそれぞれが競うように煌びやかな装飾品で覆い尽くされている。さながら租界とでもいったところだろうか。殺伐とした裏街の一角とは思えぬほど、瀟洒で優雅な時間が流れている。
しかし、その建物はどれも嫌に高い塀で囲われていた。頑強で分厚い塀の最上部につけられた有刺鉄線が、妙に存在を主張している。美しい街並みに見合わぬそれらは、ここがあくまで治安が最悪に近い裏街の中であることを端的に象徴していた。
「これが……クーラの屋敷か?」
「ええ、めちゃくちゃ広いでしょ」
「どこぞの貴族の屋敷みたいだな」
「どーせ、あくどいことやって建てた屋敷だけどね」
直人たちの眼の前の屋敷――クーラの屋敷は立ち並ぶ屋敷の中でも最も大きかった。白亜の大邸宅は宮殿のごとく聳え、その前に広がる庭は端が見えないほど。壮麗な門から邸宅へと伸びる道の途上には噴水があり、黄金の女神像からは七色に煌く水が吹きあがっている。まさに住む世界が違う――そう感じさせるにふさわしい屋敷だった。……極めて成金趣味ではあったが。
直人たちは屋敷の門の方を睨んだ。今日はいよいよ、クーラの屋敷に殴りこむ作戦の決行日である。直人もココナもそれぞれに必要な準備を済ませ、後はここで合流することになっている夕闇の到着を待つばかりだ。残念なことに、直人とココナだけでは作戦は成立しない。直人とココナはイライラしながらも夕闇の到着を待つ。カツカツ――暇を持て余す二人の靴が、単調なリズムを刻む。
「お、来たな」
「ええ、嫌な気配がする」
スウッと粘着な風が抜けていく。身体が冷えた。血の気配――夕闇の気配がする。この間よりもさらに濃さを増したその血の匂いに、直人は眉をひそめた。ココナも露骨に顔をしかめ、愛用だという朱塗りの弓を手に取る。
「こんばんは……。良い月ね」
「ああ、そうだな」
「ここがクーラの屋敷?」
「そうよ」
じゅるり――そんな音が聞こえた気がした。道化師の仮面の下から、微かな声が漏れる。無邪気な子供――それを思わせる笑いだった。
「ふふ、いい家ね。襲い甲斐がありそうだわ」
「そうだな」
「ふふふ……強いやつ、いるかしらね?」
直人は息をのんだ。仮面からわずかにのぞく、夕闇の眼の輝きがおかしい。この世ならぬ狂気を宿した、人ならぬ怪物の眼。それを今の彼女はしていた。爛々と輝くその瞳に、直人は吸い込まれるような感覚と体毛がそそり立つような嫌悪感を覚える。この女は何かが違う。決定的に、他の人間とは何かが違う。まるで本物の吸血鬼のように、人に似て人とは異なるものだ。
直人は戦うことが好きだが、殺しは好きではない。しかし夕闇は違う。彼女は戦いも、その結果起きる殺戮もその両方を好んでいるのだ――。
「……戦いを始める前に、一つ聞いておきたい。夕闇、あんたはどうして殺しをする?」
直人の口から、不意に疑問が飛び出した。小さく弱々しかったそれは、またたく間に消えていく。しかしそれを、夕闇の耳ははっきりととらえていた。
「私には目的がある。だから私はまだ――死ぬわけにはいかない。そのためには殺しもしなくてはね……」
ニヤッと底知れない笑みを、夕闇が浮かべたような気がした。実際には仮面をつけているのでわからないが、確かにそんな気がした。そしてその笑みの向こうに、直人は燃え盛るような激情を感じた。ただならぬ強い意志――それが仮面の向こうの彼女から伝わってくる。先ほどまでとは違う、人間的な感情。直人は思わず彼女からサッと眼をそらした。見てはいけない幻影を見た、そんな気がした。
「……そうか。ならいい、作戦を始めるとするか」
「そうね」
夕闇は元の得体の知れない存在に戻った。直人はそんな彼女にガルドお手製の地図を投げてやる。彼女はそれを受け取ると、ハードルでも乗り越えるようにたやすく塀を超えた。直人とココナもその後に続く。屋敷の中へ侵入した三人は、植木の間をすり抜けるように庭を猛進していく。
屋敷の入口付近に達すると、守衛らしき男の姿が二人確認できた。大柄な身体を黒服に押し込んだような男たちで、腰の部分には片手剣と思しき武器が見える。直人たちは一端動きを止めると、植木の陰で顔を見合わせた。
「どうする? 騒がれると厄介だ」
「問題ない、一瞬で片をつけるわ。ココナとか言ったわね、あなたは弓で私を援護して」
「チッ、しょうがないわね」
舌打ちしながらも弓をつがえるココナ。その横を、夕闇の白い影が走り抜けていく。這いよる闇のように静かに、そして迅速に男たちに忍び寄った夕闇は、瞬くうちに一人の喉笛を切って捨てた。一瞬だけ表示されたHPバーはたちまち紅くなり、すぐさま消滅する。
「侵入……」
叫ぼうとしたもう一人の男の腹に、矢が刺さった。男は腹を押さえ、叫ぶこともままならない。その隙を夕闇が見逃すはずもなく、たちまち男の首が身体と離れた。紅が散り、ドサッと肉の崩れる音がする。
「来て」
こっちへ来い――夕闇は手のひらを上げ、おいでおいでをする。直人とココナは素早く植木から飛び出すと、玄関扉の前にへばりついた。二人は扉を僅かばかり開けると、隙間から中の様子を確認する。
幸いなことに、玄関の辺りは無人であった。どこかの城を彷彿とさせる、巨大なホールががらんと広がっている。その奥には巨大な肖像画と紅絨毯の敷かれた階段が見えた。ココナの人差し指が、すっと階段の上の方を示す。
「クーラがいるのは二階よ。いちにのさんで突入して、一気に階段を上がりましょ」
「その必要はない。私が敵を引きつけるわ、あなたたちはそのすきを突けばいい」
「敵を引きつけるって……。この屋敷に何人の人間がいると思ってるのよ、無謀だわ!」
「大丈夫」
「いや、そんなことは……ちょっと!」
ココナが止める暇もなく、夕闇は扉の向こうへと躍り出た。彼女は懐からホイッスルのような笛を取り出すと、ピーピーと鳴らして騒ぎ始める。
「仕方ない、行くぞ!」
「え、あ、そんなに引っ張らないで!」
直人はココナの腕をつかみ、一目散に階段へと走り始めた。流れる視界の向こうから、つぎつぎと警備の連中が現れる。こうして直人とココナが夕闇の居る辺りを通り過ぎる頃には、すでに乱闘が始まっていた。夕闇が数十人から居る男たちを時に切り裂き、時に吹き飛ばしていく。まさに一騎当千。舞うように優雅なたち振る舞いでありながら、さながら鬼神のような強さだ。
二人は戦う夕闇の横を通り過ぎると、階段を駆け上がった。紅絨毯をずらしながら、一足飛びに階段を走る。こうして二人が二階につくと、そこは不気味なほどの静寂に満たされていた。部屋全体をベールで覆ったような、そういう静かさだ。豪奢な調度の一つ一つが、陰湿な光を放っている。
「……クーラの部屋は一番奥よ。奴は大事なものは常に懐に抱えているから、直接取り上げてしまえば良い」
「わかった、了解!」
僅かに嫌な予感がした。しかし二人は止まらない――いや、止まれない。彼らは静けさの漂う廊下を疾走し始めた。二人はそのまま勢いよく突きあたりに達すると、扉をこじ開ける。古い扉が爆発したように開かれ、中から絶叫が上がった。見ると脂ぎったガマガエルのような男が、椅子からひっくり返りそうになっている。両手に宝石をこぼれんばかりにつけ、暑苦しいほど毛皮を着込んだその姿は見るからに成金といった感じであった。顔は知らないが直人は確信する。この男がクーラだ、と。
「誰だ貴様ら! こ、ここがどこだかわかってるのか!」
「あくどい成金の家だろ」
「き、貴様ぁ! 何が目的かは知らんがタダじゃ済まさんぞ!」
クーラは金ぴかのナイフを構えた。だが、その手は震えていて構え方もおかしい。
「貴様ら、これ以上その薄汚い足で屋敷の中を歩いてみろ! このメンデルスの超高級ナイフで真っ二つにしてやる!」
直人とココナは呆れたような顔をすると、黙ってクーラに近づいて行った。クーラは二人にナイフを向けるものの、震えてしまってまともに構えることすらできない。やがて震えのあまりナイフを落とした彼は、全速力で壁際まで逃げて行った。
「クソっ、こうなっては仕方がない。先生、先生ェ!」
「……呼びましたかな?」
直人たちの後ろのから、男が一人現れた。藍色の着物を着た浪人風の男で、頬に十字の傷がある。年は四十過ぎといったところだろうか。髪には僅かに白いものが混じっていて、年齢からくる風格のようなものが見て取れる。彼は直人たちの方を一瞥すると、そのままゆっくりとクーラの方へと歩いて行く。その間、直人は何も手出しができなかった。手が思うように動かなかったのだ。それはココナも同様のようで、厳しい顔をしつつも男を黙って見ている。
「おお、先生! 早速ですが、あの二人をやっつけてください!」
「それは殺せ、ということですかな?」
「そうです! あの生意気な二人をぜひとも血祭りに!」
「なるほどわかりました。拙者が殺して進ぜましょう」
先生は直人たちの方へと振り向いた。その眼光の威力に、直人たちの方から冷や汗が滴る。この男できる!――戦士としての直感がそう叫ぶ。ココナと出会ってから直人は大幅にレベルを上げたが、それでも勝てるかどうかは限りなく微妙なところであった。いや、むしろ実力だけでいけば完全に直人たちは負けているだろう。
「悪いが仕事だ、死んでもらうぞ」
「ふん、そう言われて死ぬやつがいるかよ!」
「同感!」
三人はそれぞれに武器を構えた。先生の上に、アニキなど比べ物にならないほど長いHPバーが表示される。さらにその上に『ユニークNPC:先生 レベル31』と表示された。いよいよ、三人の戦いが始まる――。