プロローグ
果てしなく広がる荒涼とした大地。かつて霞ヶ浦と呼ばれた湖だったそこは、今はその面影すら感じられぬほど乾ききっていた。直径数十キロにも及ぶ広大極まるこの荒れ地には樹木すらまばらで、さながら砂漠のようですらある。
その荒れ地の中心地に、巨大な都市が聳えていた。見事な円形を描くその都市は砂漠に浮かぶ島のようで、中には高層ビルが押し込められたようになっている。周囲の寂しさからはおよそ想像もつかぬほど煌びやかな都で、輝くガラスやビーズをばらまいたようだ。
されど、都市は高い壁で守られていた。周囲の物を一切拒むかのような、高い高い壁。それは見上げれば上が霞んでしまうほどで、人が上ることなど不可能に思えるほどだ。さながら天地の境目のようなこの壁でもって、都市は周囲からほぼ完璧に遮断されている。
だが、その壁には巨大な扉が付けられていた。そこへ向かって、まっすぐな一本道が通っている。外界と都市との唯一のつながり。そんな道を、黒いバスが何台も車列をなして疾走していた。バスの車体には紅い文字で「Mardock Brain」と書かれている。
「ここが美玖波か」
揺れるバスの車内で、一人の少年がつぶやいた。彼の手には「EL-Online βテスター当選通知」と書かれた紙が握られている。彼はその紙と車窓から見える景色を見比べながら、どこかわくわくしたような顔をしていた。
そんな彼の隣には一人の少女が腰かけていた。つややかな黒髪を肩まで伸ばした、古風な雰囲気のある少女だ。彼女はその凛とした眼を緩ませると、隣の少年に話しかける。
「直人、楽しそうだな」
「そりゃそうさ。環だって、楽しみにしてたんだろ」
「もちろん。ゲーマーの憧れだぞ? 楽しみでないわけないじゃないか」
環はそのはちきれてしまいそうなほどの胸をドンと突き出した。その顔は誇らしげで、希望に満ちあふれている。それも当然かもしれない。彼女たちは世界中の人々が憧れる夢の切符を手にして、今まさに理想郷へと赴こうというのだ。希望を感じていないわけがない。
少年こと直人もそう思ったようだ。彼は「そうだよな」と一言つぶやくと、また視線を車窓へと移す。その眼は夢を見ているようで、顔はどこかうっとりとしている。まるで熱に浮かされたようだ。そんな彼は遠くを見ながら再び薄く唇を開く。
「……あそこに行けば、もう一度刀で戦えるんだよな?」
「当たり前だ。一度どころか幾らでも戦えるぞ」
環の言葉に、直人はわずかながらほっとしたような顔をした。わかりきっていたことではあるが、彼は確かめずには居られなかったのだ。戦えるかどうかを。それほどまでに彼は戦いを求めていた。いや、正確には戦いに飢えていたというのが正しいか――。
こうして直人がほっとしたような顔をすると同時に、チャイムのような音が流れてきた。直後、ポンと音がして車内アナウンスが始まる。
『まもなく美玖波学術特区内へと入場いたします。特区内へと入場しますと、約三分ほどでマルドゥック・ブレイン本社です。皆様、いまのうちにお忘れ物がないよう、荷物をまとめてください』
アナウンスに従い、素直に荷物をまとめ始める直人と環。二人がそうしている間にも、バスの車列は巨大な門の隙間を潜り抜けた。たくさんの人々の夢や希望を乗せて――。