交渉
虚空を切り取ったようなその部屋は、ただの会議室ではなかった。
地球防衛司令部(サチ国家内)の奥深くに設えられた「虚空会談室」は、床も天井も壁も、全てが透明な投影で満たされている——そこに満ちているのは、音でも光でもない投影が視覚的な“視線”を作り出しているようだった。
虚空会議室では、リクたち宇宙探検青年部を含め国家サチおよび主要国家防衛司令部の面々、さらにはAIユニットたちが集まっており、アストル母艦団への対応による未来の地球への多大なる影響を議論していた。
数時間の議論の結果、保護的な判断を内包した冷徹な論理によるAIシグマのリクたちへの思いが大人たちを説得し、大人たちおよびAIユニットは、青年部であるリクたち宇宙探検隊にアストル母艦団とのホログラム交渉を任せることになる。
漆黒の銀河がゆっくりと流れ、瞬く星々はまるで生き物のように瞬き、会場を取り巻くどのホログラムの角度からも、会談に参加する者たちを見守り、評価し、記録しているようだった。
中央に浮かぶ三重のホログラムテーブル。その輪郭は微かな振動を帯び、触れれば指先に冷たく電気が走るような錯覚を与えた。テーブルの一角には青年部代表の面々リク、サナ、ユウマ、ミカ、アオト、そして主要AIの集合体シグマが静かに並んでいる。
各々の表情は異なり、空気の中にそれぞれの音色が混ざり合っていた。
リクは全体を統べる指揮官としての沈着さを胸に、しかし胸の奥には燃えるような緊張を隠しきれない。
サナはリクの隣で手元の操縦補助インターフェースに指先を休めず、支えながらも鍛え抜かれた眼差しで相手を見据える。
ユウマは額にかすかな汗を滲ませながら、バリア出力の数値を静かに読み上げ、常にその安定性を監視している。
ミカは生命環境の調整パネルに集中し、空気の微粒子、温度、湿度、植物群の光合成効率まで、あらゆる“生きるための条件”を守ろうとする少女のような優しさと、技術者の冷徹さを併せ持っていた。
アオトはナビとAI補助の連携窓口を操り、外部データとシグマの推論を結びつけることで全体の判断を補強している——彼の顔には、緊張の中にもどこか嬉々とした好奇心が見え隠れした。
もう一角には、ついにホログラム投影にて姿を現したアストル母艦団の将官たちが並ぶ。重厚な軍服は長年の漂流と戦闘の痕を伝え、鋭く冷たい瞳は「取り戻すべきもの」を確信しているようだった。
端末群は異星文明の技術で強化され、見慣れぬ符号が浮かび上がる。彼らの背後には、宇宙を漂う長い歴史と生存競争が影のように貼り付いている。
そして三つめの角――そこはまだ誰の座も空けられていた。空席の存在は、言葉にならない重みを議場に落とした。誰もがその空席を見つめ、誰もがその正体を推し量る。だが、沈黙は長くは続かなかった。
会談は、シグマの低く澄んだ声で始まった。声は金属的だが人の耳に優しく響き、会場の空気を整えるように静かに言葉を紡いだ。
《アストル母艦団――あなたたちの接近は確認済み。地球はあなたたちを敵とみなさない。ただ、目的を明確にせよ。》
その言葉が冷たく現実を切り出すと、アストル母艦団の副総督ハルドがゆっくりと立ち上がった。彼の姿勢は鷹のように鋭く、声は低く氷を含んだようだった。
「目的はひとつ。我々の地球への帰還、そして地球の再統治だ」
この宣言に、空気が震えた。リクの胸中でも、何かが跳ねた。
だが彼は先に言葉を発さなかった。リクは“全体”を見ていた。目の前の敵だけでなく、サナの肩越しに見えるユウマのモニタリング値、ミカの手の震え、アオトの微かな吐息まで——そのすべてを瞬間に把握し、次の一手を思案していた。
だが声を上げたのはユウマだった。バリア安定化のために常に自分の感覚を研ぎ澄ませている彼は、拳をぎゅっと握りしめて立ち上がる。胸の内は怒りと恐れで満ちていた。出て行った者たちが“戻ってきた”と言うだけで支配を宣言することを、彼は到底受け入れられなかったのだ。
「再統治……? お前たちは地球を捨てた。俺たちは、この地でAIと共に血を流し、痛みを分け合いながら未来を築いてきたんだ。いまさら“支配”だなんて、何を根拠に言うんだ!」
ユウマの声は震え、しかしその声には確固たる技術者の誇りと、仲間を守る決意がにじんでいた。彼はバリアフィールドの安定値を指で示しながら、相手の目をまっすぐ見据えた。数値は正常範囲だが、もし戦闘に発展すれば一瞬で変わるということを彼だけが知っている。
ハルドは眉一つ動かさずに返した。怒りではなく、深い確信と歴史的正当性を帯びた声だ。
「捨てたのではない。生き延びるために選んだのだ。そして、生き延びた者こそ、未来を導く資格を持つ。地球は我らの母であり、人の手によって導かれるべきだ。それを忘れるな」
言葉は冷たく硬く、会堂の空気に刃を走らせる。リクはその言葉を聞いて、胸の中で何かが叫ぶのを感じた。だが指揮官としての彼は感情を扼殺し、代わりに静かな、しかし確信ある反論の言葉を選んだ。
「母は支配されるものではない」——その声をまず上げたのはサナだ。
サナの口調には怒りがあったが、それ以上に深い情が滲んでいた。彼女はリクの補佐として、常に彼の隣で戦術と人心の均衡を取ってきた。言葉に乗るのは、失われた時間への哀惜と、未来を共に歩もうとする強い意志だ。
「母は守るもの、共に歩むものよ。支配というのは、忘却と分断を生むだけだわ」
サナが言い切ると、隣にいたミカが小さく息を吸った。
ミカは生命環境を司る技術者として、科学的根拠と生への感情が同居する稀有な存在だ。彼女の指先は無意識にテーブル上の小さな緑化サンプルのホログラムに触れ、微かな光がその植物の葉を震わせた。その仕草に、議場にいた多くが心を揺さぶられる。彼女の中の「命を守りたい」という感情は、冷たい論理だけでなく、温かい慈しみから来ているのだ。
シグマが静かに、しかし断固たる調子で割り込む。
《地球は既に高度なバリア技術と分散型AIネットワークによって守られている。アストル母艦団がいかなる火力を持ち込もうとも、我々の演算と人の英知の結合は容易に凌駕されるだろう。支配は理論上不可能である。》
その機械音は冷たいが、論理の重みは計り知れない。
アオトはシグマの出力に目を走らせ、即座に補助データを重ねる。
彼はナビゲーションと外部AIを繋ぐ役割を楽しむタイプで、難しい局面ほど淡い興奮を覚える。
アオトの指がスライドするたび、ホログラムには帰還隊の補給ルートや推定戦力が浮かび上がる。
彼はその数字の裏にある可能性を読み取り、静かにリクに目配せした——「焦るな、今は情報が武器だ」と。
だがハルドは不信感を拭い去らなかった。
「AIと人間が対等? それは虚構だ。いつか必ず、お前たち自身を裏切る。だから人間が人間を支配するのだ」
その言葉には、長年の漂流の中で醸成された恐怖と、恐怖を制御するための暴力的確信が混じっていた。
議場に冷たい風が吹き抜けたように感じられた瞬間、空席の第3の座に微かな揺らぎが走る。
ホログラムが一瞬歪み、光の裂け目から異質な影が滲み出した——金属と光と不定形の回路が混ざり合った存在だ。
誰もが息を呑む。
「……宇宙の叡智、、、」ユウマが、震える声で言葉を吐いた。空席に浮かんだのは、人でも機械でもない何か。過去に滅んだ文明の残滓か、あるいは新たな意思か。深海のように冷たいが、同時に古の知恵を湛えるような何かが、その姿の輪郭で語られていた。
声は鳴った。低く、だが人類の言葉の抑揚をなぞるようでもあった。
『我らは地球の未来に干渉するつもりはない。我らはただ、見届ける――だが均衡が崩れるなら、介入はあり得る。』
その一言に、会場は凍りついた。見届ける
——それは判官贔屓のように心をくすぐる言葉だが、同時に「もし」――という最悪の条件を内包する。誰もがその「もし」に怯えた。
静寂の後、ユウマが怒りを爆発させる。
「ならば見届けていろ! 俺たちは弱気な交渉をしない。帰還隊にも、宇宙の叡智にも、この地球を“支配”させはしない!」
その叫びは、情熱の炎のように場を満たした。ユウマの眼には真っ赤なものが宿り、だがその赤は盲目的な憎悪ではない。彼が守りたいのは、目の前にいる仲間たちと、そこに息づく“日々”の尊さだ。バリアのひずみを察知したときに最初に叫ぶのは彼だろう——危機を感知する者の必然的反応として。
サナがすぐに続く。
「私たちはAIと共に未来を築いた。ここにいる一人一人の汗と涙、それがこの地球の叡智だ。技術がいかに優れようと、人と人とが紡いだ絆に勝るものはない!」
その言葉はリクの背中を押す。リクはゆっくりと前に出た。彼は全体の指揮を執る者としての重責を全身で受け止め、口を開くときにはもう一つの表情——柔らかさと鉄のような意志を帯びていた。




