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二、狙われた彼女【2】


 夫人は、すくっと立ち上がって席を離れた。

 慌てるクルド。

「いや、あの、これは――いぃっ!」

 腿に突き刺さる猫の爪。

 しかし、夫人はもうそのことに声をかけてこなかった。


 静かに扉が閉まる。


 冷や汗が止まらないクルド。猛スピードで頭の中に逃走計画を組み立てていく。


 焦るクルドをよそに、黒猫は落ち着いた様子でのんびりと毛繕いを始めた。


 深海の底に沈んだような重苦しい沈黙が、部屋を支配する。




 不意に――。


「あのっ……!」


 沈黙を破って、シンシアが声を発した。


 ビクッ! と、椅子が揺れ動くほども身を震わせて、防御体勢で仰け反るクルド。



 言葉が一時途切れる。




 カチコチと、女神像が天秤を揺らす振り子の音だけが淡々と心無く部屋に響いていた。


「…………」



 またしばらくの沈黙が続いて。




 次第にシンシアの顔が湯につけられた蛸のように紅潮していく。その顔を恥ずかしそうに俯け、膝元のドレスをきつく握り締めながら、勇気を振り絞るかのような声で、

「ほ、本当に……私でよろしいのですか?」

「え?」

 クルドが面食らった顔で聞き返す。思わず瞬きを三つ。防御体勢が崩れていく。

 シンシアは細々と言葉を続けた。

「本当に私をお選びになってよろしいのですか?」

「え? あ、あのぉ……」

 雲を掴むような雰囲気の中、クルドは呆然と問い返した。

 黒猫が口を開く。

「言葉通りですよ。この縁談は私にとって不利益となるものではありません」

 シンシアの顔がパッと華やぐ。

「本当ですか! 本当に私なんかで……」

 黒猫がクルドの腕を尻尾で叩く。

 クルドは慌てて訳の分からないまま口を空上下させた。

「えぇ、もちろんです」

 シンシアは想いを噛み締めるように自分の胸に手を当てた。

「嬉しいです、とても。ずっと貴方のような方を待っておりました。今日のような日をどんなに待ちわびたことか。私――」



「きゃぁぁぁっ!」



 言葉途中で。何やら慌ただしい――連れるように色んな物が次々と崩れていくような物音と少女の悲鳴が外から響く。

 割りとすぐ近い。

 窓の方から、その少女の痛みに苦しむ声が聞こえてくる。

 シンシアが窓へと激しく振り向く。苛立たしげに、

「またあの子――!」

「え?」

 と、これは黒猫。

 シンシアはハッと我に返ったかのように慌てて振り返る。取り繕ったぎこちない笑みで口に手を当て微笑む。

「ご、ごめんなさい。ほんの少しだけ……席を外しても?」

「ど、どうぞ……」

 と、クルド。部屋のドアを手で示す。

 シンシアは手洗いにでも急ぐかのように颯爽と、席を離れて部屋を出て行った。


 扉が閉まる。


 クルドと黒猫は不思議そうに互いの顔を見合わせた。

「どういうこった?」

「オレにもさっぱりだ」

 次いでに、とばかりにクルドは顔を曇らせて黒猫に指を突きつけた。

「それとな。今のうちに言っておくが、俺の腿に爪を立てるのはやめろ。はっきり言ってかなり痛いんだぞ」

 べっと舌を出す黒猫。

「あんたが余計なことばかり言うからだ」

「だったら、それなりに合図ぐらいしろ」

「だからやっていただろう? あ・い・ず」

 黒猫はクルドの腿にさりげなく片前足を置くと、爪を立てて思いきり引っ掻いた。

 悲鳴を上げるクルド。両手をわななかせながら、

「頼むから別の方法でやってくれ!」

 黒猫はきょとんとした顔で首を傾げ、

「他に何がある?」

 問われ、クルドは言葉を詰まらせた。無駄にわななく両手。

「と、とにかくだな、緊張している時にそれをされると、こっちは心臓が止まりそうになるんだよ」

「緊張する方がどうかしている」

「あのなっ! お前には慣れた環境かもしれんが、俺にとっちゃ――相手は貴族なんだぞ? 貴族! わかるか? き・ぞ・く・だ!」

「わざわざ強調しなくても貴族は貴族だ。それがどうした?」

「バレたら庶民の俺は処刑台行きなんだよ!」

 呆れるようにため息をついて黒猫。

「だから、質問された時に適当に口を動かせば、後は全部オレがカバーするって言っただろう? 何がそんなに難しい?」

 わななく両手で黒猫の首をギュッと絞め上げる。そして歯軋りに呻きながら顔を凄ませ、

「俺にそれができると思うか? えぇ?」

 苦しそうに黒猫は答える。

「調べられてもいいように環境は提供してやったんだから、クルドは堂々と胸を張っていればいいんだよ。無理して会話を広げたりしたら余計突っ込まれるってことがわからないのか?」

「天才児だか何だか知らんが、ガキのくせに本当に俺をステイヤの実業家にしてんじゃねぇよ」

「一週間だけでも貴族になれたことをありがたく思うんだな」

「大人の世界を嘗めんなよ、クソガキ」

「もういい、やめろクルド。シンシアが帰ってくる」

 クルドは黒猫から手を離した。

 咳き込む黒猫。

 クルドはイライラと両手を持て余しながら尋ねる。

「とりあえず、今どんな状況になっているのかを説明しろ」

「だったら最初からそう言えばいいだろう?」

「いいから急いで説明しろ。俺たちは嫌われたのか、嫌われていないのか、どっちなんだ?」


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