二、狙われた彼女【1】
彼女――フレスノール・シンシアは、とても穏やかで清楚な印象の、品のある女性である。
フレスノール家の長女。さらりと長いストレートの金髪の美女。歳は二十。性格は控えめ。下流としてはまぁまぁな貴族女性である。
だが、たとえ彼女がどんなに美人でも、この歳での見合いというのは、ご時世の貴族の中では行き遅れである。目立つような素行はないが、普通で特徴が掴みにくいというのが問題なのではないだろうか?
それは横に置くとして。
彼女の隣にいる貴婦人はシンシアの母親――フレスノール家の夫人である。シンシアをふくよかにした、少し近寄り難いタイプの辛辣な女性である。もしかしたら、その問題はこの人にあるのかもしれない……。
夫人は品のある仕草で口元に手を当て、ほほほと笑った。
「あれから娘がクルドさんのことを想って、夜も眠れないそうですのよ」
「お母様っ!」
桃色の頬を紅潮させて、シンシアは夫人を叱責した。
ほほほ、と。夫人は再び上品に笑う。
二度目の訪問となる今日は、気のせいか、前回より部屋の様子が少し豪華になっているような感じがした。好印象を持たれたどころか、どうやらこの夫人、今日にでも婚約話に結びつけようとしているようだ。それを証拠付けるかのごとく夫人は楽しそうに笑って、
「どうです? うちのシンシアとの縁談、考えてみませんか?」
「えーっと……」
クルドは黒猫に助けを求めようと目を向けたが、黒猫はジッとしたまま口を開こうとはしなかった。と、なると、この場は自分でなんとか乗り切るしかないようだ。
「その……えーっと……」
最悪な結末ばかりが脳裏を過って上手く言葉に出来ない。クルドは挙動不審に目を泳がせながら頬を掻き、声を詰まらせた。
クルドのその表情を目にした夫人。どうやら断りの意思表示だと思ったらしく、商談をもちかけてくる。
「クルドさんにはけして悪い話じゃございませんのよ。我がフレスノール家はラッツァテリオの生産を誇りますの。ラッツァテリオはステイヤを原料とする大切な市場ルートの一つでございましょう? この縁談がまとまれば、近い将来、あなたの名が上がること間違いございませんわ」
「そ、そうですか、ははは……」
クルドの空笑いが少し続いて。
――沈黙。
クルドは汗まみれに震える手で黒猫の前足を掴み、必死に目で助けを求めた。
そんな様子を冷ややかに、落ち着いた物腰でクルドを見上げる黒猫。何も言わずに顔を背けて退屈そうに欠伸をする。
「……オイ」
「どうかなさいました?」
夫人が怪訝に尋ねてくる。
クルドは慌てて両手を振り答えた。
「い、いえ、な、なんでもありません」
「では、娘との縁談を進めても?」
「は、は、は、はいぃ。私も嬉しい限りでございましょう、なんでしょうけども……」
ちらりと黒猫を見やる。
問い返す夫人。
「何か問題でも?」
クルドの頬を冷や汗がつたった。口ごもる。
「けどもぉ……」
…………。
緊張に張り詰めた静寂。
カチコチと。
暖炉の上にある女神像が揺らす天秤の振り子の音が、クルドの心をじわじわと切迫していった。
無駄に持て余す指先、落ち着きのない目、切り返しのない言葉。クルドは止められない話の流れをどうはぐらかそうかと、どうしようもなく焦っていた。
「いや、あの……どうご説明すべきか、そのぉ……」
「縁談と商談はまた別の話です」
ようやく黒猫が顔を俯けて口を開いた。
ほっと胸を撫で下ろすクルド。
黒猫が尻尾でクルドの腕を叩いて合図する。
ハッと意識を戻してクルドは口を空上下させた。
「縁談は悪くありません。ですが、商談を貴方としても意味が無い」
(オイぃぃぃっ!)
クルドは胸中で神だか何だかに十字を切って必死に祈り続けた。
夫人の表情から笑みが消える。真剣な顔つき――いや、怒っているのかもしれない――で、トーンを落として答えてくる。
「私、少し席を外しますわ」
隣のシンシアに小さく声をかける。
「あとのことは分かっているわね?」
「はい」
シンシアもまた真顔で、そう答えた。




