一、闇を狩る者【下・前】
黒猫へと振り向くクルド。
「どういうことだ?」
黒猫は黙って顔を俯け、そのまま口を閉ざした。
頭領は言葉を続ける。
「昨夜、お前の祖父さんが息を引き取ったそうだ。原因は過労とストレス。かわいいかわいい孫娘の自殺に次いで、後継者として大切に育ててきた孫が突然の失踪。ここぞとばかりに顔を出してくる親族との世襲問題。第二継承権を持つお前の弟も可哀想なもんだぜ。世襲の重み、天才児の代役としての周囲の重圧。弟は元々小さい頃からの持病があったんだろう? ただでさえ健康じゃない体に一気に来たストレスでそれが悪化して、今はベッドで絶対安静。これを機に表舞台に出てきた第三継承権を持つお前の従兄弟がデカイ顔して世間や新聞を賑わせ、周囲からちやほやと持てはやされ始めている」
「もうよせ、ラウル」
クルドは頭領――ラウルが向ける瓶の口を手で掴んだ。
だが、ラウルは言葉を止めようとしない。
「おまけの情報だが、お前の祖父さんは息を引き取る直前までベッドの上でお前の名前を呼んでいたらしいって話だ」
「よせと言っているだろう!」
強い口調で、クルドはラウルを叱責した。
ラウルは鼻で笑って、諦めるかのように瓶を引き寄せた。そのまま口に当て、上に向けるとビールを一気に飲む。
口を閉ざしている黒猫。
気まずくラウルから顔を逸らして椅子に背凭れるクルド。
黙ってコップを磨く亭主。
重苦しい沈黙が続く中、やがてその沈黙を破るように黒猫が口を開いた。
「それでもオレは帰らない」
クルドとラウルは共に黒猫へと目を向ける。
黒猫は肉球となった自分の掌を見つめ、言葉を続ける。
「姉さんが魔女に殺されたというのに、このまま元の姿に戻って何事なく帰ることなんてできない。せめて魔女がいることだけでも証明したいんだ。オレがどんなに『犯人は魔女だ』と証言しても周囲は誰も信じてくれなかった。みんな口を揃えて影でこう言うんだ。『お姉さんの自殺を目撃したことで頭がおかしくなったんじゃないか』って。姉さんは自殺をするような人じゃないんだ。それなのに父さんも母さんも、みんな酷すぎる。オレを異常者扱いして毎日精神安定剤を飲ませ、部屋に監禁してこう言い続けたんだ」
掌をぐっと握り締める。
「魔女は幻想だと」
ラウルは瓶をテーブルに置いた。フン、と。馬鹿にしたように鼻で笑って、
「魔女ってのは所詮幻想。異常者の戯言だ」
「てめぇはさっきから言い過ぎなんだよ」
クルドはテーブルの下でラウルの足に蹴りを見舞って黙らせた。そして黒猫へと視線を移す。
「いいか、クレイシス。それじゃこれだけは俺と約束しろ。元の姿に戻ったら即、お前は家に帰れ。
――俺の言っている意味、わかるか?」
黒猫は無言で顔を上げた。
返事が来ないことで理解できていないと察し、クルドは続ける。
「ずっとここに居ても無駄だと言っているんだ」
それを聞いて、黒猫は必死に懇願した。
「お願いだ、クルド。オレはここに来た時から全てを捨てて覚悟を決めた。だから――」
黒猫の言葉を手で遮って、クルドはもう一度念を押す。
「わかったな?」
ラウルが影でクク、と笑う。
「無理無理。そんなんでコイツが帰るかよ」
「うるせぇ、てめぇは黙ってろ」
クルドに睨まれ、ラウルは降参するように手を挙げて口を閉じた。
クルドは視線を変え、黒猫を睨みやる。――そしてフッと思わず微笑む。口調も穏やかに、
「あのなぁクレイシス。俺たちは意地悪でお前に言っているわけじゃないんだ。どんなにお前がここで頑張ったところで魔女の存在を証明するなんて不可能なんだ。冷静になってよく考えてみろ。全てを失ってまで頑張ることじゃない」
「でもクルド、オレは……」
黒猫は何かを言いかけたが、視線を落として俯き、言葉を止めた。
「家に帰れ、クレイシス。お前の言葉をちゃんと信じている奴らがここにいる。それだけで充分だろう? 後のことは俺たちに任せろ」
ラウルが呆れるように短笑する。瓶を口に運びながら肩を竦めて、
「『それでも帰らない』に金五十。なんなら頭領の座を賭けてもいいぞ」
へっ、と笑い返してクルド。
「残念だったな。そん時は尻に蹴り入れてでもクレイシスを強制的にここから追い出す」
「侯爵を蹴る、か。止めはしないが俺様を裁判沙汰に巻き込むなよ」
「オイ」
「あ、それからこれはついでなんだが、実は折り入ってお前に相談したいことがあってな」
ラウルは黒猫の視線を気にするように人差し指で静かにクルドを呼び寄せた。