四、永遠の別れ【14】
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弾き飛ばされた勢いで、クレイシスは階下のホールへと階段を転げ落ちていった。
込み上げてくる痛がゆい衝動に何度も咳き込む。咳き込みながら耳にする、魔女がこちらに近づいてくる靴音。
「魔女を相手にすることがどんなに愚かなことか、その身をもって知るといいわ」
コツリ……。魔女の靴音が止まった。
クレイシスは痛みを食いしばると、上半身を起こし、戦意ある目で魔女を睨みつけた。
魔女の姿がクレイシスの姿へと変わっていく。
偽クレイシスとなった魔女は右手にロンの短剣そっくりの物を生み出し、冷笑を浮かべた。
「殺してあげるわ。――お姉さんの魂を狩った時のようにね」
その言葉にクレイシスの感情が怒りに高ぶる。掻き掴むように短剣を握り締め、
「許さない……お前だけは絶対に!」
吼えて、クレイシスは短剣を片手に駆け出した。偽クレイシスに襲い掛かり床へと突き倒すと、その上に馬乗りになってロンの短剣を振りかざした。
「クレイシス!」
階段の上からクルドの鋭い声が飛んでくる。
その声を聞いて、クレイシスはハッと我に返った。
偽クレイシスがほくそ笑む。
「どうやら私の作戦勝ちのようね」
呟いて。表情を悲しみに変えると、クルドに助けを求めた。クレイシスの声音で、
「クルド……」
降参を表すように両手を挙げて短剣を落とす。
「オレは信じている」
「なっ――!」
クレイシスは言葉を詰まらせた。すぐさまクルドへと視線を走らせる。
クルドの目は確実に、クレイシスを敵として捉えていた。
弱々しく首を横に振るクレイシス。
「違う……クルド……違うんだ、これは――」
説明しようにも説明になる言葉が浮かんでこない。
「違う……オレは……」
言いたくなかったが、自然と言葉が流れ出る。
「オレは……魔女じゃない……」
胸服を掴んだ手を離し、クレイシスは怯えながら偽クレイシスから離れていった。
大鎌を手にしたクルドが落ち着いた足取りで階段を下りてくる。
そして――。
迷いなく、クルドは偽クレイシスを庇うように対峙した。大鎌を構え、クレイシスに的を絞ってくる。
(このままだと殺される!)
本能が逃げろと叫んでいた。
(だけど、これで逃げたら自分が魔女だ)
心臓が高鳴る。
殺されないことを信じるべきか。それとも逃げるべきか……。
脳裏に浮かぶ二つの選択肢。
クレイシスはぐっと目を閉じると、高まる緊張と不安を抑え、後退する足を止めた。
(信じよう。クルドを……)
閉ざされた視界の中、クルドの声が耳に入る。
「言ったはずだよな? クレイシス。――三つの約束が守れなければ、俺は容赦なくお前を狩るってな」
どちらに対しての言葉だったのか?
スンッ――。
刹那に過ぎ行く一瞬の風が、前髪を揺れ動かしたのを感覚で悟った。
「…………」
いつまでも襲ってこない痛みに、クレイシスは恐る恐る目を開いていった。
その目に映る、クルドの背中。
大鎌は偽クレイシスの腹部を貫いていた。
偽クレイシスは、がく然とした表情を固めたまま魔女の声音で、
「な……なぜ、わかったの……?」
姿が元の魔女の姿へと戻っていく。
「短剣はどんな状況であっても大事に持っておくべきだ。本人は俺との約束を重々肝に銘じていたみたいだぜ? 魔女アーチャよ」
クルドが大鎌を魔女から一気に引き抜く。
魔女は言葉なく黒い灰となり、周囲に溶け込むように霧散していった。
(これで全てが終わった……)
クレイシスの全身からフッと力が抜けた。緊張の糸が切れて、その場に崩れるように座り込む。
少し無言の間を置いて――。
深く長い疲労のため息がクルドの口から聞こえてくる。それは怒りか、それとも呆れか……。
そんな不安に、クレイシスは声をかけることをためらっていた。
だがそんな気持ちとは裏腹に、クルドはいつもと変わらぬ明るい口調で、
「よし、結果オーライ」
口端を引きつらせてクレイシス。ぼそりと、
「勘でやりやがったな、あのオヤジ……」
しばらくして。クレイシスはきょとんとした顔で首を傾げる。
いつまでもこちらに振り向こうとしないクルド。背中を向けたままで声を落とし、真面目にぽつりと言ってくる。
「ロンの短剣で馬鈴薯の皮むきってのはやってみるもんだな」
「……え?」
「悪い。それでしかお前を判断できなかった」
ようやく顔を向けるクルド。安堵の中に入り混じる、少し寂しげな表情。
いつものクルドとは違っていた。
思わずクレイシスも悲しくなってくる。
「クルド……」
クルドが黙って歩み寄ってくる。そのままクレイシスは強く抱き締められた。
「無事で良かった。本当に……」
「……ごめんなさい」
クレイシスは素直に謝った。
怒った声でクルド。
「まったくだ。魔女相手に肝が座りすぎなんだよ、お前は。これで俺が間違えたらどうするつもりだったんだ?」
無謀な考えだったことを改めて痛感し、クレイシスは笑って誤魔化した。
クルドから後頭部を軽く叩かれる。
「笑い事じゃねぇってんだよ、こっちは」
「ごめんなさい」
謝るクレイシスに優しく微笑を返し、クルドはクレイシスから離れていった。そして、疲れ気味の背を伸ばして大きくノビをする。
「さて、と。陣を解いて酒場に帰るとするかぁ。な? クレイシス」
クレイシスは返事を返そうとして、ふと時を止めた。
「…………」
「クレイシス?」
首を傾げるクルド。その背後に、クレイシスはある異変を目にする。散っていったはずの黒い灰が一ヶ所に集い、小さな闇を作り出していたのだ。
「どうした? クレイシス。腰でも抜けたか?」
「く……クル……」
徐々にその闇は、先端の鋭い矢のような姿へと形成していき――。
それに気付いていないのか、クルドは気楽に笑ってクレイシスに手を差し伸べてくる。
「ほら。立てるか?」
「クルド!」
庇うように。クレイシスはクルドの手を掴んで素早く立ち上がると、無理やりクルドと場所を入れ替えた。