四、永遠の別れ【8】
◆
魔女は屋敷に入ろうとして、足が中へと進まないことに気付く。
足元に目を向ければ、白い粉状のモノがまるで生きた草の根のように魔女の足に這い上がっており、その肉を蝕み腐らせ始めていた。
魔女は小さく舌打ちする。
「異空間に聖塩を仕掛けていたとはね。あの裁判者……」
傷の程度からして治癒するまで十数分はかかりそうである。
魔女はくすくすと笑う。
「まぁいいわ。その間の命、自由にお戯れなさい」
◆
「黒猫ちゃんだぁぁぁぁ」
「うをっ!」
二階に上がってすぐの、突き当たりとなった廊下にて。
突然なんの脈絡なく矢のように猛突撃してきた小鳥を、黒猫は寸前でひらりとかわした。
小鳥は勢いのまま壁に豪快なキスをする。
「…………」
しばし壁に張り付いていた小鳥が悲しげに呻く。
「なんで避けるのよぉ~」
黒猫は驚愕に固まったまま、ぽとりと口から短剣を落とした。ごくりと唾を飲み込んでから、
「な、なんとなく危険を感じたから……」
「あれ?」
小鳥は壁からぐいぐいと頭を前後に揺らす。
「変ね。くちばしが壁から抜けないわ」
「なんとなく、危険を感じたから……」
黒猫はもう一度同じ言葉を繰り返した。
ようやく小鳥は自力で壁から抜け出し、床に降り立った。床を飛び跳ね、黒猫に近づきながらながら、
「黒猫ちゃん、ずいぶん大きくなったのね」
黒猫の前足が自然と眉間にいく。
小鳥がしゃべっている。恐らく、これは魔女の魔法によるものだろう。その正体は――
「エミリアだとわかって改めて聞くが、お前はエミリアだな?」
小鳥は首を傾げた。
「何それ?」
「よし、聞いたオレが馬鹿だった」
黒猫は深く納得した。
急に小鳥がポンと手を打つように翼を叩き合わせる。
「あ、そうだ。ねぇねぇねぇねぇ」
「はいはいはいはい、お前はここで何をしている?」
「そのことなんだけど、お姉ちゃんを助けてほしいの。助けを呼ぼうとしてみんなを探したんだけど、誰もいなくって」
「詳しい話は後だ。とりあえず――」
「あたしについてきて」
「ってオイ!」
言うと同時に小鳥はどこかに飛び立った。
「くそっ! 話は最後まで聞けってんだ、あの女」
黒猫は急いで短剣を口にくわえると、小鳥の後を追いかけた。
◆
「はい、これ。全部頼まれた物よ」
フレスノール家の中庭で。
かわいい熊さんの絵柄がついた布袋にごてごてした頼まれ物を詰めて。
キャシーは中庭に現れたクルドにその布袋を差し出した。人差し指を振りながら忠告する。
「言っとくけど、この袋は古布じゃないからね。黒猫の情報料でようやく手に入れた、リングスっていう貴族愛用の高いブランドのバッグなの。
どうせあなたには、その価値なんて分からないんでしょうけど」
クルドは怪訝に顔をしかめる。
「なぜそんな大事な物を?」
「ちゃんと返しに来てよね」
キャシーは無理やり、クルドの胸にその布袋を押し込んだ。
「お、おい、返せないかもしれないぞ?」
押し返すクルドを突っぱねるようにして、キャシーは更に強くクルドの胸に押し込んだ。
「キャシー……」
キャシーは顔を俯けていく。
「本当はね。私、クルドが何をしているか知ってるの。私も七歳の頃に、魔女に殺されかけたことがあったから……。
断片的な記憶でしかないけど、あの時はすごく怖かった。そのとき私を助けてくれたのがロン爺だったの。あの時のロン爺ね、すごくカッコ良かったんだよ?
まるでヒーローみたいに『もう大丈夫だよ』って私の頭を撫でてくれた時、とても嬉しくて安心した」
キャシーは顔を上げると、真っ直ぐにクルドを見つめた。
「だから私は警官になりたいって思ったの。私と同じような目に遭っている子の、こうやって影で少しでも役に立ちたくて――」
クルドはキャシーの腕をぐいっと引き寄せた。
勢いにキャシーは前のめりに歩き、クルドの体と接触する。
クルドは何も言わず、キャシーをぎゅっと抱き締めた。
「……クルド?」
キャシーの顔がほんのりと紅潮する。
「ありがとな、キャシー」
「な、何よ、今日に限って礼なんて――」
クルドは微笑すると、キャシーから離れた。そのまま無言で背を向ける。
「待って!」
キャシーは慌ててクルドの腕を掴んだ。
「ねぇクルド……。絶対、帰ってくるよね?」
クルドは頷きを返さなかった。ただ一言。
「後のこと、よろしく頼む」
「え?」
フッと姿を消すクルド。キャシーの手が空を掴む。
「ちょ、ちょっとクル……」
呼びかけたが、返事は戻らなかった。
「…………」
誰もいなくなった中庭で、キャシーは空を掴んだ手をそっと自分の胸へと引き寄せる。
「生きて帰るくらい言いなさいよ……馬鹿」