四、永遠の別れ【1】
眠りにつく前にあの【おまじない】を唱えてみた。
魔女ならきっと、何もかも忘れさせてくれて、明日になればまた明るい自分になれる。
そう願っていたから……。
気付けばあたしは、ネグリジェ姿で窓から身を投げ出していた。
眼下に広がる遠きコンクリートの地面。
あぁ。自分は今、高い場所にいるんだなぁと、それだけは理解できた。
(あれ? なんであたし……こんなところにいるんだろう?)
後ろから誰かに強く抱きしめられている感触。背中に感じる温かな鼓動。そして、誰かの腕により支えられている自分の体。
どこからか老婆の声が聞こえてくる。
「これ以上邪魔をするようなら、お前の魂を代わりに狩ってやってもいいんだよ?
――ヴァンキュリア・E・クレイシス」
ハッと振り返ったすぐ側に、あの時姉を助けてくれた黒髪の彼がいた。気品ある凛々しい表情。目線を下げれば、彼の着ている服が貴族であることを証明している。そして老婆が今、口にした名前……。
思ったことが無意識に、呟きとして漏れ出る。
◆
「もしかして……本物……?」
呆然と呟くエミリアを無視して、クレイシスは魔女を睨み据えたまま不敵な笑みを浮かべた。
「やれるものならやってみろ」
窓枠を掴んだ手を支えに、エミリアの体を力任せに部屋の中へと引き込む。
勢いで、二人は部屋の床に倒れ込んだ。
クレイシスはすぐに上半身を起こすと、窓の外へ警戒の目を向けた。
そこに魔女の姿はない。
すぐさま周囲に視線を走らせるが、やはりどこにも魔女の姿はなかった。
(消えた、か……?)
クレイシスは再び窓へと視線を戻した。
――その刹那!
喉元にチクリと刺すような痛みが走った。痛みに思わず顔をしかめて視線を下げれば、喉元に短剣の鋭い切っ先が突きつけられている。
いつの間に現れたのだろう。魔女はクレイシスに馬乗りになって座っていた。
魔女は片目を大きく見開き、勝ち誇ったようにキヒヒと笑う。
「たかが人間の分際で生意気な口を叩くんじゃないよ」
切っ先がゆっくりと喉を辿って上に行き、クレイシスの顎を持ち上げる。
「お前がその娘の身代わりになってもいいんだよ? えぇ? クレイシス。
――くひひ。お前の魂も姉と同様、さぞかし高貴できれいな魂であろう」
ぺろりと、魔女は上唇を舐めてみせた。
クレイシスは床を掻き掴むようにして拳を握りながら、奥歯を噛み締め唸る。
「この化け物が……!」
ふいにエミリアが魔女に襲いかかろうと身を動かすのが見え、クレイシスは手で制して引き止めた。
魔女から笑みが消える。
「なかなか勘の鋭い坊やだね、クレイシス。本気でその娘の身代わりにでもなるつもりかい?」
「お前はオレがこの手で狩ってやる」
魔女は盛大に笑った。
「どうやって狩るのか言ってごらん。裁判者でもない人間が吼えたところで何の脅しにもならないよ」
「――そこまでだ。魔女アーチャ」
部屋の入り口からクルドが姿を現す。
魔女は苛立たしげに舌打ちすると、クレイシスから短剣を退けた。
「裁判者に感謝するんだね。次は生かさないよ」
そう吐き捨てて、魔女は霧のようにして姿を消した。