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一、闇を狩る者【中・前】



 フレスノール家。

 身分は男爵。貴族の中では下流に位置する。

 社交、知名度――ともに低し。

 家族構成は男爵、夫人、二人の娘。

 情報によると、その家の長女シンシアが魔女に命を狙われているとのこと。







「――って、ちょっと待てクレイシス。なんで俺がその女と見合いせにゃならんのだ?」

 客室へと案内する老人執事の後ろで、クルドは肩に乗せていた黒猫に小声で毒づいた。

 平然と黒猫は答える。

「貴族のプライベートを探るなら貴族の身分として探りを入れた方が、後々裁判沙汰の面倒がなくて済む」

「で? それのどこをどう捻ったらお前の中で『見合い』って言葉に発展したんだ?」

「貴族の身分である以上、知り合いでもない男が訪問してくる目的といえば見合いか商談だ。フレスノール卿と商談ができるなら話は別だが?」

「無理だ」

「それじゃ残された選択は二つ。女装と見合いはどっちがいい?」

「見合い」

「だろ?」

「『だろ?』じゃねぇよ。バレたら冗談じゃ済まされねぇぞ、これ」

「やればわかる。オレがいるから大丈夫だ」

 二階の客室の入り口で、老人執事が足を止める。

「こちらでございます」

 部屋の中へと通されると、中にいた夫人と二十歳の女性――長女のシンシアが椅子から立ち上がった。夫人が、向かいの長椅子へ座るようクルドに勧める。

 勧められるがままに、黒猫を下ろして長椅子に腰を掛け、クルドは物珍しそうに部屋を見回した。生まれ初めて目の当たりにする貴族の世界。一言でいうならば荘厳な客室だった。高級で清潔感漂う白で統一された壁と天井。天井には黄金のシャンデリアが吊るされており、まばゆいほどに輝いていた。きっとかなりの値がするに違いない。ふと、鋭い視線を感じて視線を巡らせば、部屋の隅には一体の長槍を持った空っぽの甲冑が佇んでいた。まるで何かあったら襲いかかってやろうかとこちらを睨んでいるかのように。

 かちこち、と。

 暖炉の上に置かれた小さな白い女神像が、左手に宝石の施された金色の時計を、右手に天秤を揺らして優しく微笑んでいる。クルドは今犯している罪の重さを感じ、その女神から生命の時間を刻一刻と削られていっているようで生きた心地がしなかった。

 時折、真っ白いカーテンを揺らして吹き入る風。どこ吹く風も一緒なのだろうが、ここに入る風はなぜか理由なき気品のようなモノを感じた。

 今座っているこの長椅子も、本当は座るのも遠慮したい心地よい高価な長椅子だ。靴が埋まりそうなほどの分厚くふかふかの赤い絨毯に、新しい靴であることを願いながら小さく爪先だけをちょこんと載せて。

 ……何か言うべきであろうか。

 向かいの椅子に座っている夫人とシンシアが、先ほどからずっとこちらを見ている。クルドは隣にいる黒猫へと視線を送った。

 呆れるように半眼で黒猫。小さく口を開いて何かを伝えようとしている。

 クルドにはそれがさっぱりわからなかった。

 やがて黒猫は苛立つように舌打ちして顔を背けた。

 まぁいいか。と、クルドはちょいと肩を竦め、向かいにいる夫人とシンシアに視線を戻した。

「…………」

 夫人とシンシアは一向に口を開こうとしない。

 なんとなく、ぎこちない雰囲気。

 クルドは少しでもその雰囲気を和ませようと、思いつくままに話題を振ってみた。緊張に強張る声で、

「りりり、り、立派なお屋敷でいぃっ――!」

 言葉途中で、隣に座っていた黒猫が平静とした顔で彼の腿に鋭い爪をくい込ませた。

 シンシアが目をぱちくりとさせる。口元に手を当て、首を傾げて問いかけてくる。

「お屋敷で、い?」

 痛みが顔に出ないよう、ぎこちない笑みで取り繕いながらクルド。

「い、いえ、ははは……。なんでもありません」

 シンシアの隣から夫人が辛辣な表情で問いかけてくる。

「ところで、クルドさんは実業家でいらっしゃるそうですね。いったいどのようなことをなさっているのです?」

「ぅぐっ……!」

 まるで追い詰められた子供のような顔でクルドは言葉を失った。事前に台本が用意されていたわけではなく、ぶっつけ本番の全てがアドリブ。詰問してくる鬼刑事のような厳しい表情の夫人にクルドの心臓は高鳴っていく。緊張に蒼白した顔で挙動不審に目を泳がせ、

「そ、それは……」

「――ステイヤの栽培です」

 と、バレないよう顔を俯けて黒猫が答える。

 おや? 夫人は眉間に皺を寄せて首を傾げ、周囲を見回した。

「今誰か、別の男性の声が……」

「い、いえ、あの、緊張のあまり声が裏返いぃっ!」

「……い?」

 また、シンシアが目をぱちくりとさせる。

 黒猫の前足を叩き払って、クルドは不自然な笑顔でなんとか場を取り繕った。

「い、いえ、ははは。な、なんでもありません」

 黒猫がクルドの腕を尻尾で叩いて合図する。唯一打ち合わせしていた腹話術作戦。人形のごとく口をパクパクさせるクルド。

 黒猫が顔を俯け、

「声が変わるのは生まれつきの体質でして、こうして初対面の方と話をする際には少々不便を感じています」

 気付くことなく受け入れて夫人。申し訳なさそうに顔を俯け、軽く口元を手で添える。

「まぁ、それは御無礼を」

「お気になさらないでください。初対面では仕方のないことです」

 その言葉に、今まで厳しい顔をしていた夫人の顔が解れるように和らぐ。

「とてもお優しい方なのですね、クルドさん。少々お待ちになってくださいませ。先ほど届きましたアルベルト産のデルヴァをご用意致しますわ」

 クルドの眉間に皺が寄る。思わず声が――。

「で、でるば? 痛っ!」

 腿にくい込む猫の爪。

 席を立とうとした夫人が怪訝に尋ねる。

「……どうかなさいました?」

 もはや壊れた玩具のごとく、クルドはカタカタと笑って口を空上下させた。

 黒猫が影で口を開く。

「初対面の私にデルヴァをご用意していただけること、とても嬉しく思います」

 ほほほ、と。夫人はおしとやかに笑う。

「では、それまで娘と話していてくださいまし。我がフレスノール家自慢の娘ですの。ほら、御挨拶なさい」

 夫人に促され、シンシアは少しはにかむ笑みを浮かべて、透き通るような美しい声音で答えた。

「フレスノール・シンシアです。ステイヤを栽培されていらっしゃるなんて、とても興味を惹かれます。ぜひ、そのお話を聞かせてください」

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