三、彼女の妹【13】
※ 前書きに失礼いたします。
お気に入り登録をしてくださった方へ、この場をお借りしてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございます。
皆さま共に最後までお付き合いくだされば嬉しく思います。
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小鳥が水辺に舞い降り、羽を休める。
木漏れ日の差し込む深い樹木に囲まれた空間、その水辺に古い木造の民家が一軒、建っていた。
建物の傷み具合からして、長い間、人に使われていないようだ。
虚空から姿を現したクルドは、その民家の前に静かに降り立った。
ふと、微かに耳に届く子守歌。
声を辿って水辺に目を向ければ、そこには白く質素なワンピースに身を包んだ、長い黒髪の若い女性が座っていた。
どうやらこの子守歌は彼女が口にしているようだ。
その彼女の膝には黒猫が深い眠りについていた。
クルドは大鎌を長槍のように前に突き出し、その女性の側へと近づいていった。
女性は顔を上げない。まるで母親にでもなったかのように、膝で寝ている黒猫に子守歌を聞かせている。
クルドは大鎌の刃を女性の顎に当てると、そのまま ぐいっと持ち上げた。
「呪文の詠唱はやめろ」
歌が止まり、女性は無言でクルドを睨み付ける。
「――待っていたよ」
別の方向から老婆の声。
クルドは女性から刃を退くと、その声の方へと振り向いた。
いつからそこにいたのだろう。家の戸口の側で木製のロッキングチェアを揺れ動かしながら編み物をする一人の老婆がいた。
クルドは不敵に口端を歪め、笑った。
「東の大魔女、か……」
老婆は編み物の手を休めることなく、穏やかな口調で言う。
「誘き寄せるのは私が上だったようだね」
「うるせぇ」
不機嫌にクルドはそっぽを向いた。
笑いもせず、老婆は編み物をしながら淡々と言葉を続ける。
「お前さんに会うのは二年ぶりになるね。弟子が死んだのが、そんなにショックだったかい?」
クルドの表情が鋭く変わる。老婆を睨み、声を落として、
「当然だ。死のないお前たちには一生わからない痛みだ」
ぴーっと。老婆は絡んだ一本の毛糸を引き伸ばしていった。ある程度の高さで止めて、
「その痛みを二度も味わいたくなければアーチャの邪魔はしないことだね」
言って、クルドに顔を向ける。
「今すぐフレスノール家から手を引きな。これは私からの警告だよ」
「彼女の魂をどうする気だ?」
「答えてやる義理はないね。用はそれだけだよ。その黒猫の坊やを連れて、とっとと帰りな」
老婆は視線を落として ちくちくと編み物の手を進めた。
「…………」
納得のいかないまま、クルドは黒猫を抱く女性へと目を向ける。
黒猫が奪われることを恐れてか、女性は隠すように黒猫を胸へと引き寄せていく。
老婆は手を止めて顔を上げると、その女性を睨みやった。
「その坊やはもう返しな、ヴァンキュリア・サーシャ。そういう約束だっただろう?」
クルドは怪訝に顔をしかめると、老婆へ目を向けた。
「ヴァンキュリア……サーシャ、だと?」
老婆は口元だけをフッと緩め、
「私が特別に作った傀儡だよ。肉体が無いもんだから、その中に彼女の魂を入れてやったのさ」
「なぜ彼女の魂を傀儡に? 魂狩りの目的はこれだったというのか?」
やれやれ。老婆は呆れるように首を振って視線を落とし、また編み物の手を進めた。
どうでもいいとばかりに、
「そう思いたきゃ私を裁きな。裁判者だろう?」
「俺の質問に答えろ。魂狩りの理由はなんだ?」
老婆は馬鹿にするように鼻で笑った。そして、
「自由を求めたことはあるかい?」
「え?」
「死せる先の未来に、幸せがあると思うかい?」
戸惑いを浮かべるクルド。
「どういう、意味だ……?」
「彼女はそれを望んでしまった。ただそれだけのことさね」
老婆は編み物の手を休めることなく続ける。
「死んで初めて気付く大切な時間、かけがえのないモノ。彼女の魂がその坊やに『何か』を伝えたがっているようだったからね。少し手を貸してやっただけのこと」
「『何か』って……?」
「知らないね」
「えっ?」
「馬鹿言うんじゃないよ。魔女を何と勘違いしているんだい?」
編み物の手を休めて疲労のため息を落とすと、顔を上げてクルドを見る。人差し指を突きつけて、
「理由が知りたきゃ自分で調べな。それがあんたら裁判者の仕事だろう?」
老婆は再び視線を落とすと、編み物を再開した。手を動かしながら続ける。
「それともう一つ。あんたの弟子を殺したのは北の魔女サラスティーデ。北の新魔女さね。彼女には私からちゃんと警告しといてやったから、二度とあんたの前には姿を現さないはずだよ」
「なんで、そんなこと……?」
「裁判にいつまでも個人的な感情を持ち込んでんじゃないよ。アーチャがその坊やの魂を狙い出したら容赦なく裁きな」
「…………」
しばしの沈黙が降りる。
すると老婆はまた編み物の手を止め、苛立たしげにクルドを見やった。
「何してんだい? とっととその坊やを連れて帰りな。それとも私と一戦したいってのかい?」
クルドは微笑すると、無言で首を横に振った。