三、彼女の妹【10】
◆
「――ほぉ。魔女がデュアル・マジックを使ってきたか」
いつもの酒場で。
ロンはさほど驚きも慌てもせずに感嘆の声だけを漏らし、コップを磨き続けていた。
「魔女の方が一枚上手だったようだな、クルド」
コト、と。磨いたコップを置く。
カウンターにうつ伏せているクルド。弄ぶように短剣を立てては倒し、立てては倒しを繰り返していた。
少し離れた席で、ミート・スパゲッティを食しつつラウルが尋ねる。
「ロン爺、なんだ? その……でゅある、なんとかって」
ロンはラウルへと目を移す。
「デュアル・マジックのことかい?」
「あーそれそれ」
「デュアル・マジックとは、簡単に言えばドッぺルゲンガー現象のことだ。全く同じ人間の分身――つまり、魔女が魔法で他人に成りすます現象のことだ」
くるくるとフォークにスパゲッティを絡めながら、ラウルは難しい顔をして、
「ふーん。よくわからんが」
「簡単に言ったつもりだったんだけどねぇ……」
肩を竦めて、ロンは別のコップを手に取って磨き始めた。
クルドが代弁する。めんどくさそうな口調で、
「魔女がシンシアとなり、それをシンシアだと思い込んだクレイシスは、あっさり魔女に捕まっちまったわけだ」
「ふーん。で? 助けに行かないのか?」
「……」
ラウルの問い掛けにクルドは答えなかった。
返答を待ちながら、ラウルは絡めたスパゲッティを口に運ぶ。
仕方ないといったように、ロンが代わりに口を開く。
「そんな簡単に魔女が返してくれると思うか? クレイシス君を助けるにはそれ相応の代価が必要となる。暗黙の取引というのかな。ワシらはそれを『魔女の警告』と言っているがね」
口の中のスパゲッティを飲み込んでから、ラウルは動きを止めた。ロンへと目を向けて、
「魔女の警告?」
あぁ、と頷くロン。
「裁判者の行動が『魔女狩り』に切り替わると、魔女がよくそういう手を使ってくるんだ。――ほら、こんな話があるだろう? 警察が犯人を追い詰めた時、追い詰められた犯人は人質に刃物を突きつけ、『近づくと人質を殺すぞ!』とやるあの行動。注意しなければならない初歩的なミスを、この馬鹿は仕出かしてしまったわけだ。魔女は人質をいつでも殺せる状況にある。下手に動けば人質が殺される。ラウル君も、今日から魔女には近づかないことだ」
「俺様も、いつ人質になるかわからんしな」
「いや、クレイシス君の命が危ないという意味だ」
あっさりロンに否定され、ラウルは肩を滑らせた。
無視して、ロンはクルドへと目をやる。
「クルド。いつまでそうしているつもりだ? 相手は魔女だ。何か対抗策を打たなければ、このままではシンシアって子もクレイシス君も殺されてしまうぞ」
磨き終えたコップを置く。
「――あの子を失った、あの時のようにな」
短剣が倒れた。
倒れた余韻を残しつつ、カウンターの上で微動に揺れ動く短剣。
ラウルが口を開く。
「つまりは俺様がクレイシスを助ければ、全てが解決するわけだよな?」
「どうやって?」
と、ロン。
「どうやって、て……。そんな身も蓋もないことを言われてもだな……」
口ごもるラウルに、ロンはさらに質問を投げ掛ける。
「魔女に近づかず、どうやってクレイシス君の居場所を探すんだ?」
う~む、と。ラウルはスパゲッティを弄ぶようにフォークに絡めながら、頬杖ついて唸り考え込んだ。
突然。
激しく押し開かれた店の扉がけたたましい音を立てる。次いで、急ぎ焦る少女の声が飛び込んできた。
「ここなら何でもわかるって煙突掃除のティムが言ったの。情報屋がよく来る場所だからって――」
つかつかつかつか。
ロンの側に近づくまで、その少女は名乗らず主語すら言わずノン・ストップでしゃべり続けた。
カウンターに身を乗り出し、少女はロンに尋ねる。
「教えてほしいの。ここなら何でもわかるって、もしかしたらあたしが探している猫も見つかるかもしれないって煙突掃除のティムが言ったの」
ここでようやく一息置く。
クルドには聞き覚えのある少女の声だった。