三、彼女の妹【8】
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ようやく人目を盗んでテラスへと移動した黒猫は、テラスとその出入口との壁隅に静かに身を伏せた。毛並みの良い猫とあってか、行き交う人々はその存在に気付いても騒ぎ立てることなく通り過ぎていく。
黒猫は、そこから広がる中庭の景色へ目をやった。
手入れの行き届いた花園が庭の周囲を彩り、庭の中心に造られた噴水では、瓶を持った女神の像が瓶から優雅に水を流している。
テラスにはワイングラスを片手に数十人の紳士淑女が、それぞれの会話を弾ませていた。所詮は酔い覚ましに来る程度。人の出入りに油断はできない。なぜなら人が少なくなり次第、自分も中へ戻らなければならないからだ。
黒猫は人の出入りを見張り、人数に気をつけていた。
――ふと、三人の少女たちが立ち退いたことで気付いたのだが。
テラスにはエミリアがいた。
エミリアは鼻をすすって顔を上に向け、必死に涙を我慢しているようだった。人目から背けるように、くるりと体を中庭へ向けて……。
黒猫はため息を吐いて体を起こすと、エミリアの側へと歩いていった。
「黒猫ちゃん……?」
気付いたエミリアが足元にいる黒猫に目をやった。
「あたし達のあと、ついてきちゃったの?」
黒猫は黙ってエミリアを見上げた。
エミリアはくすりと笑って黒猫を抱き上げる。
「もう、しょうがない黒猫ちゃんね。寂しくても我慢して、ちゃんとお留守番してなきゃダメじゃない」
周囲に聞こえないよう耳元で、黒猫はエミリアに話し掛けた。
「別に無理してアイツ等と仲良くする必要なんてないんだぞ?」
悲しげに微苦笑してエミリア。
「なぁんだ。さっきの見てたんだね、黒猫ちゃん」
「友達は無理して作るもんじゃない。どうせ作るなら信頼できる奴を選べ」
エミリアの頬を一筋の涙が流れ落ちる。
「やっぱりあたしって貴族が似合わない女なのね。友達が一人もできないなんて……。下町になら、いっぱい友達がいるんだけどなぁ」
ちろりと、黒猫はエミリアの泣き濡れた頬を舐めた。
エミリアと黒猫は顔を見合わせる。
戒める顔で真剣に黒猫。
「それはお前が、貴族としてのプライドを持っていないからだ」
エミリアは首を傾げる。
「貴族としての……プライド?」
「そうだ。お前には華やかさというものがない。今のお前じゃ、誰も見向きもしないぞ」
「でもあたしは……お姉ちゃんやサーシャ様みたいな上品な女にはなれないよ……」
ぺちぺちと。黒猫は両前足の肉球で、エミリアの頬を挟むように叩いた。
「いいか、エミリア。大事なのはフレスノール家の女として、胸を張って前へ進み出ることだ」
エミリアの目からポロポロと涙が零れ落ちていく。
黒猫はエミリアの頬を流れる涙を前足でそっと拭い、言葉を続けた。
「怖がるな。利の無い奴は相手にされない。それが貴族という世界だ。お前は貴族なんだぞ、エミリア」
エミリアの首に前足を回し、抱き寄せる。
「貴族として生まれたからには、オレたちはそうやって生きていくしかないんだ。
接し方がわからなければ学べばいい。何もできないなら誰かを見て、それを真似ればいい。自分を変えたくなければ変えなくていい。周りを見るんだ、エミリア。自分だけを見るのではなく、他人を見て、そこから学べ。この業界ではプライドなくては簡単に圧し流される。
庶民になろうと考えるな。貴族としての豊かさを味わったら、それ以外の生き方なんてできないんだぞ?」
エミリアは優しく黒猫を抱き締めた。
「黒猫ちゃんって、まるで人間の貴族みたい……」
タイミング悪く、黒猫の腹の虫が鳴る。
「……腹減ったよぉ~」
エミリアが笑う。目の淵の涙を指で拭いながら、
「わかったわ。何か持ってきてあげる」
黒猫を床に下ろす。
「ここで待ってて。何か食べ物を持ってきてあげるから」
そう言い残し、エミリアは広間へと歩いていった。いつもと違う、上品さを感じる落ち着いた歩き方で。
黒猫は小さく自嘲すると、誰にでもなく呟きを落とした。
「オレも他人のこと、偉そうに言えた義理じゃないんだけどな」
――スッ、と。エミリアとシンシアがテラスの出入口付近ですれ違った。
エミリアが足を止め、怪訝に振り返る。
「……お姉ちゃん?」
だがシンシアは答えず、テラスに出て黒猫の側まで歩いていく。
エミリアはシンシアの前に回り込むと、心配そうに顔を覗き込んで尋ねた。
「大丈夫? お姉ちゃん。なんだかいつもと様子が変だよ?」
シンシアは答える代わりに、無言でやんわりと微笑んでみせた。
エミリアも連れるようにニコリと笑って、
「じゃ、お姉ちゃんも黒猫ちゃんと一緒にここで待ってて。あたし、食べ物とってくるから」
そう言い残して、エミリアは広間へと向かっていった。
「……シンシア?」
疑問を持ったのはエミリアだけではなかった。黒猫も、様子の違うシンシアに戸惑いと不安を抱く。
近づいてくるシンシアを警戒しながら数歩後退する。
だからといってシンシアが何か言ってくるわけでも危害をくわえてくるわけでもなかった。ただ黙って目前まで近づいてきて、黒猫を優しく抱き上げ胸へと寄せる。
これには黒猫も首を傾げるしかなかった。
(シンシア……だよな?)
疑うことを忘れ、逃げることへの疑問を覚えてくる。
油断した黒猫の耳元でシンシアは声なき声で何かをささやいた。
瞬間に襲ってくる激しい目眩と抵抗もできないほどの睡魔。
黒猫は何をする間もなく、深い眠りへと落ちていった。
そっと、口元を緩めるシンシア。
「連れて行ってあげる。お姉さんのところへ……」