三、彼女の妹【3】
◆
エミリアの部屋のドアが二回、ノックされる。
「シンシアよ。中、入ってもいい?」
「どーぞ」
彼女の返事を聞いて、シンシアはゆっくりとドアを押し開けた。
「――ねぇ、エミリア。クルドさんが屋敷のどこにもいらっしゃらないんだけど、もしかしてお帰りになられたの?」
「うん、そうだよ」
振り返らず。エミリアは下手な鼻歌まじりに、一生懸命ベッドの上で何かを櫛といで いる。
気になったシンシアは彼女の背後に近づき、そっと様子を覗き込んだ。
「……何しているの?」
「黒猫ちゃんをきれいにしてあげているの」
見れば、ピンクのクッションの上でふてくされたように大人しく――というよりも、観念したかのように身を伏せて、なすがままにされている黒猫の姿があった。
シンシアは黒猫を指差す。
「それ、クルドさんの猫でしょ?」
「そ。もらったの」
「『もらった』って……。こんな血統のある綺麗な猫、譲ってくれるはずないでしょ?」
「おじさんが言ったのよ? 『檻にでもぶち込んどけ』って」
「そんな端たない言葉を使わないで、エミリア」
「いいの。あたし、庶民の人と結婚するから貴族の礼儀なんて覚えたくないの」
シンシアは悲しくため息を落とすと、エミリアの隣に腰掛けた。彼女の髪に優しく手櫛を通す。
「ねぇ、エミリア。明日のウェルタ家の社交パーティはどうするつもりなの?」
フッと。エミリアの手が止まった。
黒猫の片耳が声のする方へと動く。
「あなたは貴族の礼儀なんて覚えたくないと言うけれども、覚えなくてはならないの。わかるでしょ? どんなに嫌がっていても私たちは貴族なの。それらしい振る舞いをしなければフレスノール家は潰れてしまうわ」
エミリアは櫛を持つ手をぐっと握り締めていった。震える唇から毒づくように呟きを漏らす。
「潰れたっていいじゃない、別に……」
「エミリア」
少し強めに、シンシアは叱った。
黒猫の背に舞い落ちる一粒の雫。その感触に、黒猫が何事かと真上――エミリアを見上げる。
「お姉ちゃんにはわかんないんだよ……。あたしがどんな気持ちでいるかなんて……」
鼻をすすって、エミリアはさっと片目の涙を拭った。尋ねる。
「ねぇ、お姉ちゃん。貴族ってどうすればいいの? どう振る舞えばみんなに嫌われない? どうすればお姉ちゃんみたいになれるの? どうすればヴァンキュリア・サーシャ様みたいになれるの?」
「エミリア……」
「どんなに綺麗にしても、どんなに振る舞いを頑張っても、誰もあたしを認めてくれない。みんながいる輪の中に入っていけないの。どうすればいい? ねぇ、どうすればいいの? お姉ちゃん……」
シンシアは口を開くことなくただ黙って、エミリアを優しく抱き締めた。