二、狙われた彼女【16】
広々とした殺風景な一室に、静かに鳴り響くオルゴールの音。
クルドは気分を入れ替えるように二度、手を叩き合わせた。
「そこに寝転がられると邪魔だ、クレイシス。すぐに立て」
急いで身を起こす黒猫。
ラウルが不満の声を上げる。
「おいおい、もう終わりか? せっかくヴァンキュリアの馬鹿をいじめるチャンスだったのによぉ」
「馬鹿とはなんだ、この山猿盗賊!」
「なんだと、このクソガキが! ――おい、クルド、あれ出せ」
へいカムカムと、ラウルが手を上向きに招いて何かを要求する。
頬を引きつらせてクルド。
「お前は近所のガキ大将か? ラウル、お前今年でいくつだ?」
「三十八」
「素直に答えるな。大の大人が子供相手にムキになってどうする? 歳を考えろ、歳を」
ラウルは残念そうに、床を人差し指でぐりぐりといじりながら、
「コイツが下町のガキだったらなぁ。とことん泣かせて可愛がってやるんだが」
「そういう問題じゃなく歳を考えろって言ってんだ、歳を」
呆れにも似た嘆息ついて。クルドは部屋の中へと歩を進めた。
部屋の中央――黒猫の側にあった宝石箱を拾い上げる。そのまま宝石箱の中に入っていた写真を見つめ、懐かしく目を細めて微笑する。
「もうこの仕事は辞めると、誓ったはずだったんだがな……」
呟きに、黒猫がクルドを見上げて尋ねる。
「クルド。それ、クルドの子供なのか?」
ラウルが口を挟む。
「いや。そいつは『マナ』って言って、クルドが息子同然に育てていた魔女裁判の後継者だ。二年前に魔女に殺されて殉職しちまったがな。あの時魔女に殺されていなければ、今頃お前と同じ十五――」
「その話はよせ、ラウル!」
鋭く、クルドの声が部屋に響いた。
激しく宝石箱の蓋を閉じる。
「二度と口にするなと言ったはずだぞ!」
真面目に、ラウルが深謝する。
「……悪かった」
黒猫が何か言おうとして口を開きかけたが、気兼ねしてか、口を閉ざして顔を俯けていく。
少し、気まずい沈黙が流れた。
やがてクルドはぽつりと呟きを落とす。
「死ぬなよ、クレイシス」
「――え?」
黒猫がクルドを見上げる。
思い返すように深く、クルドは悲しみに沈んだ声で続ける。
「たとえ俺が死ぬ運命にあっても、お前は絶対助けに来るんじゃない。いいな?」
「クルド……」
「魔女裁判は常に死と隣り合わせの危険な仕事だ。受け継いだ時から覚悟は決めている。余計なことはするなよ」
パチンと、クルドは指を鳴らした。
――同時、部屋に現れる祭壇、本棚、そしてクルドの足元に出現する魔法陣。
ずらりと部屋を埋め尽くすほどの本棚に、ラウルは顔をしかめた。
「おいおい、これだけの本があればこの本はいらないだろ?」
と、懐に入れていた黒表紙の本を手に取り、クルドに見せる。
クルドはその本を受け取ると、
「棚に並んでいるのは全部魔女に関する本だ。魔女に対抗すべき武器はこの本にしか記されていない」
ぴらぴらと黒表紙の本を振ってみせ、
「まずは魔女を詳しく知ることが先だ」
その言葉に黒猫が本棚を見回して驚愕に問う。
「知るって……この膨大な本の中から見つけ出すってことなのか?」
ラウルがフッと鼻で笑って、
「お前のことだ。すでに目星はつけているんだろう?」
「当然だ」
クルドは答えて、指先で虚空に円を描いた。唱える。
「呼・来」
棚から抜け出した一冊の本が、魔法陣の上に落ちてくる。そして、ぱらぱらと本のページが風も無いのに勝手にめくられていった。
不思議そうにその様子を見つめる黒猫。
「やっぱり魔法……だよな?」
半眼でクルド。
「お前、まだ気にしていたのか?」
「なんとなく気になるんだ」
「気にするなと言っているだろう?」
「そりゃそうだけどさぁ……」
呟き、ふてくされたように床に身を伏せる黒猫。
クルドは無視して本の前に屈みこんだ。
本はあるページを開いたままで動きを止めている。
ラウルと黒猫は、横から覗き込むようにして本に体を近寄せていった。