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一、闇を狩る者【上・前】



「朝早くから仕事とは大変だな、クルド。もしかして儲かっているのかい?」

 一階に酒場、二階に宿と。寂れた安宿を経営する好々爺の老人亭主が、朝食のパンとコーヒーをカウンターに並べ置きながら、からかうようにそう尋ねた。

 そのパンを手に取って、

「儲かっているよ。またここのツケを増やすくらいにな」

 寝癖のついた銀髪頭を掻きつつ、無精髭の中年男――クルドはパンにかじりつく。ジーンズに白いシャツ、その上に羽織った古ぼけのジャケット。それがクルドという男の普段の服装である。

 ふと、カウンターに軽やかな足取りで飛び乗る一匹の黒猫。品がよく、毛並みも艶やかで、上流貴族に飼われていてもおかしくない血統のある黒猫だった。行儀よくカウンターにちょこんと座り、青く澄んだ瞳を亭主に向けて、「ちょうだい」とばかりに何かを訴えている。

 その眼差しを受けた亭主がにこやかに笑って、黒猫の頭を優しく撫でた。

「お前さんのも用意しているぞ、いつものやつ」

 スープ皿に注がれた温かいミルクを黒猫の前に置く。

 黒猫はミルクを味わうよう上品に、小さな舌を出して舐め始める。

 それを横目でちらりと見たクルドは顔をしかめ、黒猫が舐めていたミルク皿を自分の元へと引き寄せた。

 すがるように皿を追いかける黒猫。

 クルドはその頭を叩いて動きを止める。

「当然のごとく何飲んでいるんだ、お前は。俺がこのことを知らないとでも思ったのか? 上流貴族が愛飲するウールドミルクなんぞこっそり飲みやがって。俺たちが飲んでいるミルクと同じのを飲めといつも言っているだろう?」

 亭主は笑う。

「まぁこのくらいは大目に見てやれ、クルド」

「……」

 クルドはしばらく半眼になって黒猫を見ていたが、やがて、

「わかったよ、好きにしろ」

 投げやりに呟いて、嫌々しくミルク皿を黒猫へ返した。

 再びミルクを舐め始める黒猫。

「ところで――」

 亭主が話を切り出す。顎先で窓際のテーブル席を示し、

「お前さんの幼馴染みがまた来ているぞ」

 クルドはくるりと背後を振り返って、

「また来たのかよ、お前」

 窓際の席で卵サンドとオレンジジュースを頂く女性が一人。癖のある長い朱髪を後ろで一つに束ね、好奇心旺盛な赤い瞳を輝かせた活発な三十代の女性である。紐で吊るした単眼鏡を首にかけ、ペンライト、携帯食を常に持ち歩き、丈の短いスカートと露出度の高い解禁シャツで神出鬼没に現れる。女性は唇についたパン屑をそっと手で拭き取りながら、

「張り込むことが警察の仕事ですもの。当然でしょ」

「暇なのか?」

「暇じゃないわよ」

「じゃ帰れ」

「嫌よ」

 即答。

 クルドは疲れきった表情を浮かべ、額に手を当て、ため息を漏らした。

「あのなぁ。いくら安全部捜索係に任命されたからって、そう毎日毎日張り切って仕事するこたぁ――」

 女性は人差し指を振りながら舌打ちする。

「フェヌーバル市イーグル地区保安警察署、第二生活安全部貴族課、特命係の捜索担当よ。略さないで」

「言いながらめんどくさいと思わないのか? その部署の名前」

「全然。憧れの貴族課に配属されたんですもの。しかも特命よ、特命! 給料が全然違うんだから」

「そんで暇になったってわけか」

「普通逆に考えない? 扱う仕事がデスク・ワークから肉体労働になったの。ヤマが片付くまで休暇が取れないのよ。こんなことになるんだったら上司の前であんなこと言わなきゃ良かったわ」

「あんなこと?」

「上司が持っていた写真を偶然見て、『あ、それあの子に似てる』なんて言ったものだから配属先を変えられたの」

 怪訝に眉をひそめてクルドは問い返す。

「あの子?」

 女性は人差し指を立て、迫るように、

「ほら、ずっとあなたにしつこく付きまとっていた例のあの子よ」

 クルドはうんざりと顔に手を当てた。

「あのなぁ。だから何度も言っているように、俺に付きまとっていたあのガキはそのヴァなんとかじゃ――」

 女性は舌打ちしながら人差し指を振る。

「ヴァンキュリア公家」

 訂正を要求される。

 クルドは唸りながら難しい顔をして頭を掻いた。

「まぁ、なんだ。だからその……」

 言葉を詰まらせたことが何も知らないと察してか、女性は教鞭を振るかのように話を続けてきた。

「ヴァンキュリア・E・クレイシス伯爵。姉が自殺した数日後に突然失踪した十四歳の――いいえ、現在は十五歳の若い伯爵よ。世界財界の五本指に入る、世界で知らない者はいない筋金入りの大貴族――ヴァンキュリア公家の後継者よ。弱冠五歳で爵位を受け、財界に名を馳せた偉才稀なる天才児。彼の存在によりライバルだったルーベルト公家は致命的な打撃を蒙り、衰退したと云われているわ」

 気だるく手を振るクルド。

「んなこたぁどうでもいい。とにかく俺はそんな大それた坊っちゃんとは面識がない」

「だから何度も言うように、四六時中あなたにしつこく付きまとっていた例のあの子が失踪中のクレイシス伯爵だったのよ」

「知るか」

 吐き捨てて、クルドはコーヒーを一口飲んだ。

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