二、狙われた彼女【4】
少女はぱたぱたと気楽に手を振って、快活な笑顔で口を開いた。
「あはは。気にしないで、どうぞ。続けて続けて」
シンシアに良く似た元気のいい少女だった。歳の頃十五といったところだろうか。肩ほどのストレートの金髪をふわりと風になびかせて。お転婆な印象をもつその少女は、好奇心旺盛な翡翠色の瞳をきょとんとさせた。
「どうしたの? あたしがいたら、邪魔?」
呆然とするクルドと黒猫。
少女は口に手も当てず、クルドにニコッと微笑んだ。黒猫を指差して、
「ねぇ。さっきヴァンキュリア公家って言っていたけど、もしかしてその猫、ヴァンキュリア公家で飼われていた猫なの?」
「いや、その前に君……いつから――どうやってここに?」
ここは二階の客室である。
いったいどうやって、いつの間にここまでよじ登ってきたというのだろうか?
体つきを見ても、ロッククライマー並の頑丈な筋肉質ではなく、ごく一般的な貴族らしい細く華奢な体をしている。
少女は人差し指を顎に当てた。考え込むように答える。
「あなた達の話は割と最初の部分から聞いていたわ。ちなみにどうやって来たかは秘密」
そう笑って誤魔化して、少女は座っていた窓枠から飛んで床に着地した。男性の歩幅くらいの足取りで元気よく歩いていき、シンシアが座っていた椅子にちょこんと腰を下ろす。そのまま平然とした顔でテーブルに置かれてあった紅茶を飲み始めた。
クルドと黒猫はその少女をしばし観察し。
「えーっと……」
困った声音でクルドが頬を掻きながら問う。
「どちら様、ですか?」
「エミリア」
素っ気なく、少女は答えた。
「は?」
目を点にして問い返すクルド。
再び素っ気なく、少女は答える。
「フレスノール・エミリア。さっきここにいたのはあたしのお姉ちゃん」
クルドは身を仰け反らせ、すっとんきょうな声を上げる。
「お、お姉ちゃんだとォっ!」
少女――エミリアはこくこくと頷く。
「そうそう。あたし、妹」
言いながら飲み終えた紅茶をテーブルに置いて、エミリアは黒猫へと目を移した。
「ねぇあなた、しゃべれるんでしょ? いいのよ、しゃべって」
「――え?」
思わず黒猫は声を出す。
にこっと。エミリアは黒猫に微笑む。
「猫がしゃべれるなんて、ヴァンキュリア公家で飼われていた猫って普通の猫と違うのね」
言葉を失うクルドと黒猫。互いに顔を見合わせる。
エミリアは不思議そうに首を傾げて問い掛けてきた。
「何? どうかしたの?」
あまりにエミリアの普通なる態度に戸惑いながらも、クルドと黒猫は言葉を返す。
「いや、『どうかしたの?』と聞かれてもだな……」
「普通、常識的に考えて猫はしゃべらないものだろう?」
エミリアは飄々と答えを返す。
「あら、九官鳥はしゃべるわよ?」
「……た、たしかに」
「言われてみれば……」
逆に納得させられるクルドと黒猫。
「ねぇ、おじさん。あたしで良かったら協力してあげる」
「は?」
突然話を振られ、しかも主語のない言葉にクルドは呆然と問い返した。
だから、と。エミリアは苛立たしげに人差し指を振りながら続ける。
「これって、クレイシス侯爵の命令なんでしょ?」
顔を崩して問い返す黒猫。
「はぁ?」
エミリアは腕組みして、フンと鼻を鳴らすと、深く背凭れに身を預けた。
「さっき聞いてた話でだいたいの事情は読めたわ。クレイシス侯爵って、やっぱり影では冷血非道な男なのね」
急に、エミリアの瞳が同情に潤む。テーブルから身を乗り出すような姿勢で黒猫に迫り、
「クレイシス侯爵に、あなたの子猫たちを人質にとられているんでしょ?」
「はぁ?」
黒猫は眉間にシワを寄せて首を傾げた。
エミリアはクルドへと目を移す。
「この結婚を成功させて林檎代を黒字にしなきゃ子猫たちを路頭に迷わすぞって、クレイシス侯爵から脅されたんでしょ?」
肩を滑らせてクルド。
「どこをどう聞けばそういう話になるんだ?」
「高い林檎を売るには貴族に取り入ってルートを得ないといけないってこと、あたしにもわかる」
ぴくぴくと、黒猫の口元がひきつる。
「……ど、どういう解釈の仕方をしているのか知らないが、オレ達は――」
「実はそうなんだ」
「――って、クルド!」
クルドはエミリアの言葉をあっさりと認めた。
「やっぱりそうなのね!」
嬉しそうに手を叩き合わせてエミリア。
そのことに黒猫が焦る。
「ふざけるな、クルド。ここで否定しないとオレの風評むぐっ――!」
ぴーぴー煩い黒猫の口を塞いで、クルドは真顔でエミリアに話を続けた。
「憎きクレイシス侯爵の頬を大量の紙幣でぶっ叩きたいんだ。協力してくれないか?」
「むー!」
口を塞がれたままで黒猫が抗議の呻き声を上げる。
エミリアは元気よく席を立ち上がり、
「いいわよ」
胸を張ってそこを叩く。
「あたしに任せて。パパを説得してくるから」
「あ、いや、それはちょっと――!」
子供の戯言で済ますつもりが予想外の展開に慌てるクルド。
エミリアはクルドの手を握って、
「大丈夫よ。パパだってきっとわかってくれるわ」
「いやあの」
「ここで待っててね、すぐ戻るから」
「待ってくれ、あ」
クルドの制止も聞かず、エミリアは風のように部屋を飛び出していった。
静まり返った部屋の中に取り残されたクルドと黒猫。
呆然とするクルド。その手からぽとりと黒猫が解放される。
黒猫は前足を唸らせると鋭い爪を突き立て、思いきりクルドの腿に突き刺した。
「余計なことを言うなぁぁぁ!」
「ぎゃぁぁぁ!」