15 好感度アイテムの効果1
そして一か月の特訓の末。ついに『刺繍したハンカチ(フエゴ公爵家)』は完成した。
最速で材料が揃ったにも関わらず、結局はゲームでかかっていた期間とさほど変わらなかったのは、気にしてはならない。完成したという事実が重要だ。
「意外と、なんとかなったな」
「先生のおかげです。本当にありがとうございます」
「いや、モニカの努力の賜だ。よく頑張ったな」
カリストは、モニカの頭をなでまわした。
なんだかんだ言いつつも、カリストは意外と甘い。最後までやり遂げれば、猫でも可愛がるように褒めてくれる。
彼が目指すレベルには到底、追いついてはいないが、しっかりと上達を認めてくれる優しさがある人だ。
モニカの両親も成果を見せればいつも褒めてくれるが、過程を見守ってくれるわけでも、努力している姿を覚えているわけでもない。ただ、結果を見て喜ぶだけ。
誰かに努力の過程を見てもらえたのは、今回が初めてだ。その成果を褒めてもらえるのは、とても嬉しいし、達成感がある。
「あいつも喜ぶんじゃないか」
「そうだと良いのですが」
ゲームでは、攻略対象にアイテムを渡せば必ず喜んでもらえたが、現実のルカがどう反応するかは未知数だ。
仮に反応が微妙だとしても、モニカとしてはすでに達成感を得ているので満足だ。
ハンカチを胸に抱くと、ほんわか温かい気持ちになれる。
この気持ちごとルカに贈りたいなどと、重いことは言わない。ルカへ渡すのはあくまで、勉強を手伝うための好感度上げ。
心を込めて作った過程の気持ちは、自分だけの宝物として残しておく。
「……ともかく、俺の役目は終わったようだな。もう遅いし、さっさと帰れよ」
カリストはモニカの頭をなでる動作を急に止めると、自分の机へと戻り書類仕事を始めた。
いつもなら玄関まで見送ってくれるのに、一瞬でモニカへの興味を失ったかのよう。
(先生の時間をかなり邪魔してしまったものね……)
「お世話になりました先生。失礼します」
仕事の邪魔にならないよう、モニカが静かに研究室の扉を閉めた後。カリストは、大きくため息をついた。
彼女がルカを想ってハンカチを抱いた瞬間、何とも言えない心のモヤモヤを感じた。そのモヤモヤの理由がわからず、彼女を突き放すような態度を取ってしまった。
精霊が彼女を特別視しているせいで、カリスト自身も彼女が気になって仕方ない。
「早く『特別』の意味を理解しなければな。感情のやり場に困る……」
翌日のお昼休み。
モニカとルカはいつものごとく、時計塔の最上階で昼食のバケットサンドを食べていた。
「――で、野外授業でブラウリオが」
最近のルカは、授業中のクラスの様子をよく話してくれるようになった。授業中はあれほどつまらなそうにしているのに、彼は意外と周りをよく見ているようだ。
そして、その時の様子をさも楽しかったかのように話すのは、モニカが授業を受けることを願ってのことなのだろう。
推しにかなり気を遣わせてしまっているようで、モニカとしては申し訳ない。
(けれど、それも今日で終わるかもしれないわ。ルカ様、もう少しのご辛抱ですっ)
そわそわしながらチャンスをうかがっていたモニカは、バケットサンドにかぶりついたルカを見逃さなかった。
(今よっ!)
「ルカ様、お口にソースがついてますわ。こちらのハンカチを差し上げますので、どうぞお使いくださいませ」
さりげなく差し出した、真っ白なハンカチ。刺繍した部分は下に向けてある。
「……おう。悪いな」
いつもはこのようなやり取りなどしないので、ルカは戸惑っている様子だが、一応は素直に受け取る。モニカは、よしっ! と小さく握りこぶしを作った。
ルカへの渡し方については、ずっと悩んでいた。なにせ、物が手縫い刺繍だ。下手な渡し方をしてしまえば、受け取ってもらえないかもしれないし、受け取ったとしてもルカの負担になるかもしれない。
さり気なく、どうでもよいものとして受け取ってもらうには、これしかない。と、考えたのがこの方法だった。
(ふぅ。目的は無事に果たせたわ。後は効果がどのくらいでるか……って、えっ!)
一安心したのも束の間、ルカは口を拭く直前で目ざとく、刺繍した面を見つけてしまったのだ。
「うちの紋章じゃねーか」
「……そうですね」
モニカがフエゴ公爵家の紋章が入ったハンカチを持っているのは、普通に考えればおかしなことだ。
気まずく思いながらも返事をすると、ルカも疑問を感じたのかじっくりと刺繍を観察し始めた。
(きゃーやめて! そんなにじっくり見ないでください……)
モニカの腕前では、そのような至近距離で見られると粗が目立つではないか。
「これ……、モニカが刺繍したのか?」
「はい……そうです……」
完全に渡し方を失敗してしまった。こんな見つかり方をするなら、「下手ですが」と初めから話して渡したほうが、まだマシだったかもしれない。
ルカはおもむろに自分のポケットからハンカチを取り出すと、雑に口についたソースをふき取る。
どうやら、モニカが刺繍したハンカチは、公爵令息様のお口を拭う価値もなかったようだ。
ルカの反応が微妙でも満足だ、と完成した時のモニカはそう思っていた。けれど実際に拒否されるのはやっぱりキツい。
改めてモニカのハンカチを見つめた彼は、ぼそっと呟いた。
「……これ、くれるって言ったよな?」
「はいっ。ですが、ご不要でしたらすぐにでも廃棄――」
今すぐそれを回収して、この場から消え去りたい。
モニカが手を伸ばしかけた時――、ルカは極上の笑みを称えながら、ハンカチを胸に抱いた。
「俺、この紋章が好きなんだ。あんがとな!」
それは、モニカにとっては既視感のある光景だった。
ゲーム内で作成したアイテムを、初めて攻略対象に渡した時に見られる、スチルだ。
ゲーム内で時々出現するスチルを集めるのも、乙女ゲームの楽しみのひとつ。モニカはそれらを、とっかえひっかえスマホのホーム画面の画像に設定しては推しを愛でていた。
そのスチルが、目の前でリアルに再現されている。画面で見るよりも何倍も、何十倍も、何百倍も、素敵だ。
(はあ……。推しの笑顔が眩しすぎて溶けそう……)





