10 モブと推し2
ルカはしばし悩んでいたが、閃いたように「ああ」と呟いた。
「弁当が美味い」
昼休み。モニカはぷんすか怒りながら、廊下を歩いていた。
ルカに少しだけ思い出してもらえたのは嬉しいが、よりによってモニカ本人ではなくバケットサンドのほう。
所詮ルカとの関係は、このバケットサンドがあってこそ。これがなければ知り合いにすらなれていなかった。
「はぁ……」
時計塔でのルカが、しっかりとモニカを認識してくれるだけに、この落差が辛すぎる。
立ち止まったモニカは、改めてバスケットを見つめた。
モブという立場が、このお弁当よりも低いなんてあんまりではないか。
確かにこれは、イメージアップアイテムというゲーム内では存在感のあるものだが、効果は非常に低く、あってないようなもの。
それよりも低いのが、悲しすぎる。
せめてこのアイテムが、もう少し効果の高いものだったら良かったのに。と悔しく思っていると、向かい側から歩いてきた学生が思い切りモニカにぶつかってきた。
「きゃっ!」
思わず手から離れてしまったバスケット。
このまま床に落ちてしまえば、中身のバケットサンドが床にばら撒かれてしまい、ルカに渡せなくなる。
ただのお弁当係なのは悲しいが、やはりルカには好きなものを食べて喜んでもらいたい。
自分自身も倒れ込みながらモニカは、必死に離れたバスケットに手を伸ばす。
すると突然、身体の周りに風がまとわりつき、ふわっと体勢が元に戻る。そして同じく風の力によって落下を免れたバスケットは、ふよふよと空中を移動してモニカの手へと戻ってきた。
ぽかんとしながらバスケットを見つめていると、「大丈夫か?」と声が聞こえてきた。
「先生……!」
駆け寄ってきたのはカリストだった。
彼はモニカにぶつかってきた学生に向けて「おーい二年生。人にぶつかったら謝れよ」と声をかける。振り返った学生は、「あ……すみません」と腑に落ちない様子でカリストに向けて頭を下げた。
「ったく。あいつ、悪いと思っていないな」
困った学生を見る雰囲気で呆れているカリストだが、あの学生にはモニカは見えていないはず。仕方のない態度だ。
「私は存在感が薄いので……。必ず私を見つけてくださる先生のほうが珍しいですよ」
「そうか? 俺の感覚では、モニカは誰よりも目立つが」
不思議そうにモニカを見つめる彼のグレーの瞳は、思わず魅入ってしまうほど綺麗だ。
(先生の瞳には精霊が宿っているから、きっと昨日の精霊たちと同じ感覚で私を見ているのよね)
精霊たちと出会ったことを、カリストに相談してみようか。
彼自身も、モニカを聖女のような存在だと確信している。双方の考えを合わせれば、新しい発見があるかもしれない。
けれど、モニカには前世の記憶があり、自分がゲームの中のモブであることもまた事実。
それを覆すような発見があるとも思えなかった。
「それより先生。助けてくださりありがとうございました。お弁当が無事で良かったです」
「美味そうなものが入っているな」
カリストはじっとバスケットを見つめている。精霊を通せば、中身が食べ物だということすらわかるようだ。
「助けていただいたお礼に、おひとついかがですか?」
「いいのか? それじゃ遠慮なく」
モニカがバスケットの蓋を開けると、カリストはお腹が空いていたのか、嬉しそうにバケットサンドを取り出し口へと運ぶ。
「これは美味いな。モニカが作ったのか?」
「はい。切って挟んだだけですけどね」
モニカが作ったと言える部分はソースくらいで、バケットを作ったのもハムを作ったのも料理長だ。
「いや。バケットの厚さと、具材のバランスが絶妙に良い。ソースのかかり具合も非常に俺好みだ」
「バケットサンドでこれほど褒められたのは初めてです」
ルカが「美味い、美味い」と食べてくれるのも嬉しいが、カリストの感想はまるでコンテストの評価のようだ。
実際、モニカはこのバケットサンドをこだわって作っている。
バケットは縦長にカットすると、食べ応えはあるが途中で飽きてくるので、輪切りにして好きなだけ食べられるようにしている。
挟める具材も、どこから食べても均一に味わえるよう大きさに気を遣っているし、ソースも全体にかかりつつも、噛んだ際にこぼれてしまわないよう細心の注意を払っている。
このこだわりに気づいてくれたことが、とても嬉しい。
「そうか? なんならもっと食べてやろうか」
カリストは食べ足りない様子。
褒められたのは嬉しいが、これはルカに作ったもの。モニカは彼からの視線を遮るようにバスケットを抱きしめた。
「こちらはルカ様への差し入れなので、先生は一つだけですっ」
「それは残念」
さほど残念そうに思えない声色を奏でつつ、カリストは最後の一口を口へと放り込んだ。
(また、からかわれたのかしら?)
ルカのことで必死になっているモニカを見て、楽しんでいるようにしか見えない。これ以上からかわれる前に、さっさと退散したほうがよさそうだ。
「それでは失礼いたしますわ。助けてくださりありがとうございました」
再度お礼を述べてから時計塔へと向かい始めると、後ろからカリストが呼び止めた。
「モニカ」
「はい?」
「俺も、顔には少々自信がある。差し入れならいつでも待っているぞ」
からかっていたのかと思えば、どうやら本当にバケットサンドが気に入ったようだ。
ルカに対抗してまで食べたいという熱意が、嬉しくも、おかしくて仕方ない。
「ふふ。考えておきますね」
カリストに会ったおかげか気分も晴れたモニカは、いそいそと時計塔を登った。
「モニカ。会いたかったぞ」
けれど、迎えてくれたルカの態度はログボ画面とは若干、異なるものだった。
言葉こそログボ画面のそのままだが、腕を組んで不機嫌そうにモニカを見下ろしている彼は、どうみてもモニカに怒っている様子。
怒っていたのはむしろモニカのほうだが、一体どうしたのだろうか。
「あの……。ルカ様、怒っていらっしゃいますか?」
「当たり前だ。お前、昨日は何て言った?」
「え……?」
そう言われて昨日の会話を思い出したモニカは、一気に青ざめる。
昨日は、一緒に授業を受けてほしいとモニカからお願いして、約束どおりルカは午後の授業にも出てくれた。
モニカとしてはそれで満足のいく結果となったが、彼女を認識できないルカにとっては、モニカに裏切られた形となってしまったようだ。
「ごめんなさいっルカ様っ! 教室へは行ったのですが、その……」
なんと説明したら納得してもらえるだろうか。モニカが困っていると、ルカは急に表情を緩める。
「なんだ。一応は努力したんだな」
「え? あ……はい……」
「怒って悪かった。今日の午後は、俺が一緒に教室へ入ってやるよ」
良くできた、と言わんばかりにルカは、モニカの頭をぽんとなでる。
(ルカ様と一緒に教室へ?)
もしそれが叶うなら、教室でもルカに覚えていてもらえるかもしれない。
「わあ! 嬉しいです」
モニカは期待を込めてうなずいた。
二人でバケットサンドを食べてひと休みした後、午後の授業を受けるために二人は時計塔を降りた。
そして出口の扉の前で、ルカはぴたりと立ち止まった。
「ルカ様?」
どうしたのだろうかと呼びかけると、振り返ったルカは少し照れた様子でモニカを見つめる。
「手を繋ぐぞ」





