01 与えられた役1
貴族学園の多目的ホールでは、新入生を歓迎するパーティーが開かれていた。
入学式の夜に歓迎パーティーをおこなうのが、この学園の伝統行事。
きらびやかなドレスやタキシードに身を包んだ貴族令嬢や令息たちは、三年間の学園生活に期待を膨らませながら、友人作りに勤しんでいる。
十五歳という若さも相まって、会場は賑やかな雰囲気だ。
そんな晴れやかなパーティー会場で伯爵令嬢モニカ ・レナセールは、人生最大の注目を浴びて……は、いなかった。
「お前との婚約を破棄する!」
これ見よがしに、浮気相手の腰を抱き寄せたモニカの婚約者は、会場に響き渡るような大声を上げた。
しかし、その断罪劇に興味を示す者はこの会場にはいない。変わらず、楽し気な雰囲気が漂っている。
「……理由をお聞かせ願えませんか。えっと……」
(彼の名前はなんだったかしら……?)
モニカは、ぼやっとしか思い出せないこの婚約者の名を、必死に思い出そうとする。
けれど考えれば考えるほど思い出せないし、目の前にいるのに顔すら曖昧にしか認識できない。
確か、伯爵家の嫡男だったような気はするが……。
やはり思い出せない。
そもそも彼とモニカは、婚約した際の一度しか会っていないのだから仕方ない。
「理由ならあるぞ! お前のような地味な娘が婚約者では、これからの学園生活を満喫できない! 俺は、華やかな彼女とラブラブな青春を送るんだ!」
婚約者の隣で、浮気相手がうんうんとうなずく。
「そういうことですのよ。モ………………あなたは、おとなしく引き下がってくださいまし」
浮気相手はモニカの名前を呼ぼうとしたが、どうやら思い出せなかったようだ。
それはモニカも同じである。クラスメイトであるはずの彼女のことを、まったく思い出せない。
(入学したばかりだもの。仕方ない……わよね)
「だからお前との婚約は……あれ? 俺って、誰かと婚約していたか?」
モニカの婚約者は途中で、婚約していたことすら忘れたようだ。浮気相手はぷっくりと頬を膨らませる。
「しているはずがございませんわ。私を浮気相手にするおつもり?」
「まさか……! 俺が愛しているのは君だけだよハニー。早く帰って両親へ報告しようじゃないか」
「あの……待ってくださいませ!」
ほぼ赤の他人と言っても差し支えない相手に、見下されたにも関わらず、引き留めなければならないのは、モニカとしても悔しい。
けれど、親同士が決めた婚約を勝手に破棄などできない。
「この件に関しましては後日、両家で改めて話し合いを……」
そう提案しようとしたが、二人の目にはもはやモニカは映っていないようだ。それどころか存在すら忘れたかのように、モニカを無視してその場を離れてしまった。
(どうしましょう。婚約破棄はこれで、三度目よ。さすがにお父様が、お怒りになるわ……)
今までにも二度ほど、同じような理由で婚約破棄を経験している。
一度目は幼い頃だったので、「こんな地味な子は嫌だ」と相手の男の子に泣かれ。
二度目は、親同士が婚約の契約書を作成し忘れたために、相手はモニカを忘れ、知らぬ間に新しい婚約者を作っていた。
さすがに三度目ともなると、父の面目が立たないではないか。
モニカの父は優しいので大抵のことは許容してくれるが、父は騎士団長補佐官という立派な役職。娘がこれでは申し訳なさすぎる。
モニカが途方に暮れようとしたその時。ひときわ輝くオーラを放つ者が、モニカの前に現れた。
「待ってくれないか」
その声はさほど大きくもなかったのに、会場にいる皆が彼に注目する。モニカの婚約者と浮気相手も、同様に振り返った。
輝く金髪とエメラルドグリーンの瞳を持つ彼は、ここプロテヘル王国の王太子、ブラウリオ・ アグア・プロテヘル。
人当たりが良く穏やかな性格で、王太子という地位がなくとも、皆が彼を好きになってしまうような魅力がある人だ。
一方的に婚約破棄を告げられたモニカを、憐れんだのだろうか。
モニカは一瞬だけそう思ったが、単なる勘違いであることにすぐ気がつく。
ブラウリオは、モニカなど目に入っていない。彼の視線はモニカの少し後ろに向けられていた。
釣られてモニカも、その視線の方向へと振り返ってみる。そこには、この会場でもっとも愛らしいオーラを放っている女性が立っていた。
アメジストのような紫の瞳が神秘的であり、ピンクの髪はふわりと肩の下あたりまで伸びている。
彼女は聖女リアナ。
平民の生まれだが、聖女としての能力を買われ貴族学園への入学を許されたと聞く。
「リアナ嬢。よければ、俺と初めのダンスを踊ってくれないかな」
「お誘いくださりありがとうございます、ブラウリオ殿下。ですが私は平民ですし……」
彼女は、周りの視線を気にするようにうつむいた。
聖女になったばかりの彼女は、貴族社会に慣れていないようだ。
「殿下。彼女が困っていますよ。職権乱用はいけません」
「俺はそんなつもりでは……」
ブラウリオとリアナの会話に割って入ってきたのは、宰相の息子であるロベルト・スエロ。
銀髪に青い瞳。眼鏡をかけた彼はぱっと見は地味だが、その存在感は王太子に勝るとも劣らない。
彼は二人の元へと向かう途中で、勢いよくモニカの肩にぶつかった。モニカは「きゃっ!」と悲鳴を上げながらその場に倒れてしまう。
「おっと。失礼いたし……? 気のせいか」
ロベルトはモニカに謝ろうとしたが、モニカの存在に気づけなかったようだ。
(いくら私が地味でも、ひどすぎるわ……)
悪意がないだけに尚更、モニカのショックは大きい。
けれど、大半の人間はモニカに悪意などない。彼女が目立たな過ぎて、気づけないだけ。
いつもなら忘れられても軽く受け流せるが、今は婚約破棄からの立て続けなので心が回復していない。
そんなモニカに、影を落とす者がいた。
反射的に見上げると、モニカにとってはこの場でもっとも親しい相手が、彼女を見下ろしている。
「ルカ様……」
ルカ・フエゴ。
騎士団長の息子で、モニカにとっては幼馴染。
ワインレッドの髪は、左側だけいつも耳にかけており、露出している耳には、見慣れないピアスが垂れ下がっていた。
金色の瞳は、昔はくりくりと丸くて可愛かったのに年々、鋭さが増している。
その切れ長の瞳をさらに細めて、ルカはモニカを見つめていた。
他人から見れば睨んでいるように映るが、幼馴染であるモニカにはわかる。
この表情は――、モニカを思い出せずにいる顔だ。
(……ひどいです、ルカ様)
彼は幼馴染でありながらも、たびたびモニカを忘れる薄情な性格。
そのくせ、モニカが作ったお弁当はいつも食べたがるような、ちゃっかりした一面もあったりする。
婚約者に捨てられ、空気のように扱われた挙句、幼馴染にまで忘れられてしまった。
モニカは恥ずかしい気持ちと、悲しい気持ちが入り混じり、この場にいるのが辛くなる。
逃げるようにしてパーティー会場を出たが、その姿に目を向ける者は、やはりいない。
そのため、モニカが階段を踏み外し、倒れ込む場面を見た者はどこにもいなかった。
けれど彼女にとってその事故は、今までの人生でなによりも衝撃的なものとなる。
物理的にもかなりの衝撃だったが、そのせいか、今まで忘れていた記憶が走馬灯のように脳内を駆け巡った。
『走馬灯』などという装置は、この世界にはおそらく存在しない。
モニカが、脳内を駆け巡る記憶を走馬灯のようだと感じたのは、その記憶の中にあった世界に、存在していた物だったから。
モニカが思い出したのは、前世の記憶。日本人として生まれて、十七年ほど生きた記憶だった。
そしてその記憶によると、この世界は乙女ゲーム『聖女と四人の守護者』に酷似している。