第6話 個人レッスン
そしてほたるは、またあの電話機の前に来ていた。
日が落ちて薄暗くなったタバコ屋のカウンター。
ピンクの公衆電話はそれなりの存在感を醸し出している。
「これが遠い銀河の星を繋ぐ機械だって言うの……」
未だに半信半疑のまま電話がかかってくるのを待った。
リリリリリ。
「はい。ほたるよ」
「あ、熊取さん。今日も出てくれたんだね」
「だって約束したし……」
「でもありがとう」
お礼を言われて、なんだかちょっと照れてしまい、ほたるはニヤつく。
「まあ、なんだか分からないけど、あんたに付き合ってあげるわ。変な妄想に取り付かれてるかもだけど、別に悪い奴じゃないみたいだし」
「妄想ってどの辺りのこと?」
「まあまあ全部よ。でもいいわ。その話をしだしたら頭が痛くなるし」
「頭痛かい? そりゃ困ったね」
「あんたのせいでしょ! いや、こうして血が上っちゃうから頭が痛くなるのね。今日は落ち着いて話しましょう」
「そうだね。熊取さんはちょっと怒りっぽいよね」
「悪かったわね!」
思わずまた怒鳴っていた。
反射的に出てしまった癇癪を押さえようと、ほたるは咳ばらいをする。
「う、うん、失礼。今日は怒らない。嵐山キララみたいにおしとやかにしましょう」
「嵐山キララ?」
「まあ、漫画のヒロインなんだけどね。ちょっと私に似てるのよ」
「へえ、そのヒロインも短気なの?」
「あんた失礼ね! 私の何処が短気なのよ!」
少年のひと言に早速ほたるはキレてしまった。
「ごめん。でも今、滅茶苦茶怒ってたよね」
「それはあんたが私を挑発したからでしょ! 私だって怒りたくって怒ってるわけじゃないんだから」
「ごめん。じゃあこれからは気をつけるね」
「分かればいいのよ。ホント男子って無神経なんだから」
相手が謝ったので、少しはほたるの怒りも収まった。
「ねえ、熊取さん」
「なによ?」
「昨日電話で言ってたこと。飲みたくない水を飲まされてるって言ってたあれ」
「ああ、水泳教室のことね」
「早速問題を解決するためにこちらの学習システムを使って、あらゆる方面から検討して結果を出しておいたよ」
少年の言い方が何やら手の込んだ感じだったので、ほたるはまた難しい話なのかと眉間に皴を寄せた。
「検討して結果って? どゆこと?」
「君の話だと泳ぎの苦手種目のせいで、飲みたくない水を飲まされているんだったね」
「ちょっと違うような気もするけど、息継ぎの時に口の中に水が入ってくるの」
「なら泳がなければ水を飲まされなくっていいということ?」
「いや、そうゆう訳にはいかないの。それに苦手だけど泳げるようになりたいわけ」
「じゃあ泳ぎが上達すれば問題は解決するってことだね」
「まあ、そうゆうことだけど、簡単に言ってくれるわね……」
そして少年は、また小学生のほたるには理解しがたいことを話し始めた。
「君たちの星では技術の習得は、繰り返し練習することで獲得する方法を採用しているんだね」
「なんだかまた難しい方向に行きかけてない?」
「まあ、聞いてよ。僕たちの星ではその辺りは全く違う方法で技術習得しているんだ」
「はいはい。じゃあ言ってみなさいよ」
「生命体には寿命がある。それは分かるよね」
「馬鹿にしてんの? そのぐらい分かるわよ」
またちょっとイラっとしつつ、ほたるは少年の話に耳を傾けた。
「銀河の生命体全体のものさしで測った場合、我々はそれほど寿命の長い種族ではないんだ。そのため技術の習得に関しては効率化されていて、先人たちが磨いた技術はデータ化されている。それを新しく生まれて来た者たちが引き継ぐってことになってる」
「なにそれ。ややこしい言い回しなだけで、そんなの私たちと一緒じゃない」
「それが違うんだ」
少年は一度話を区切ってまた説明を再開した。
「君たちは学校などで教育という形で視覚、聴覚、時には触覚を使って先人たちの残した知識を覚えていく。そうだろ」
「そうよ。当たり前じゃない」
「でも僕たちのやり方は違うんだ。そのやり方では効率が悪すぎて膨大な知識を覚えきる前に寿命が尽きてしまう。そこで我々はシンプルに、必要な情報を脳内にコピーして即座に使える様にしているんだ」
「何言いだすのよ。そんなことできるわけないでしょ」
「それが出来ているんだ。というか、この銀河の文明社会の中ではその方法が一般的なんだ」
「つまり私たちのやり方は遅れているって言いたいわけね」
「そのとおり」
「馬鹿にすんな!」
ほたるはまたキレた。
「適当な妄想をさも当然のように語ったかと思えば、今度は何見下してくれてんのよ! いい加減にしないとキレるわよ!」
「いや、もう何度かキレてる感じだけど……」
「やってられないわ。今日こそ帰るからね。引き留めたってダメなんだからね」
「ちょっと待ってよ。証明させてよ。ね。頼むよ」
「くだらなければすぐ切ってやるんだから……」
また昨日の様に、ギリギリで思いとどまったほたるだった。
「昨日の話を聞いて僕なりに必要なデータを頭にコピーしておいたんだ。それで実際に病院のリハビリプールで泳いでみた。君からどういった泳ぎか聞いていなかったから、取り敢えず代表的な八種類の泳ぎをマスターしておいたよ」
「八種類ってそんなにあるの? 私らは四種類しか普段泳がないけど」
「へえ、そうなんだ。ねえ熊取さん、君が今取り組んでいる泳ぎの型ってどんな感じかな」
「えっと、両手で水をかいて両足を揃えて水を蹴るの。バタフライていう泳ぎなんだけど」
「バタフライ。おかしな名前だね。両手でかいて両足を揃えてキックするか……僕たちで言うスポカーンかな?」
「スポカーン? そっちの方がおかしくない?」
「え? そうかな、結構カッコいい名前だと思うんだけど」
「そんでスポカーンはどんな泳ぎなの?」
「両手で水をかいて体が浮き上がったところで息継ぎをして腕をそのまま水上で前に戻すんだ。その時に揃えた足で水を蹴って……」
「それよそれ! それがバタフライっていう泳ぎよ」
「いや、スポカーンだよ」
呼び方が違うのが当たり前なので、よく考えたらどうでもいいことだった。ほたるは泳法に関心があるだけなのであっさりと聞き流した。
「何でもいいけど。それに間違いないわ。それでどうだった? 滅茶苦茶難しかったでしょ」
「いや、疲れる泳ぎだったけど、ドリオロリンよりは楽だった」
「ドリ……まあいいや。他のやつは置いといて何メートル泳いだの?」
「君たちの訓練施設と形状が違いそうだから何とも言えないけど、まあまあ泳いだ気がする。あれは手と足のタイミングが大事な泳ぎだね」
「そうなのよ。そこがどうもね……ちょっと待って、よく考えたらあんた宇宙人なんでしょ。私らと体のつくりが違うんじゃないの?」
今まさに関心のある泳ぎの話題だったので聴き入ってしまったが、少年が本当に宇宙人だとしたら、体の形そのものが違う可能性が高かった。
「いや、その辺は君たちと全く同じだから心配しなくていいよ。熊取さんと同じように手が二本、足が二本ちゃんとあるから」
「ふーん、そうなんだ。まあ、それなら参考になるかも」
もう少し相手の容姿について訊いてみたくなったものの、そもそも妄想に取りつかれているだけのやつかも知れないので、あっさり省略した。
一応は納得したほたるに、少年は先ほどの話の続きを再開した。
「じゃあ話を戻すね。その泳ぎは脚の動きが特有だね。脚というよりも腰辺りから水生生物特有のひれの動きを真似て蹴りだしている。実際脚の方が殆どの推進力を生んでいて、腕は呼吸のために使っている。そんな感じかな」
「へー、そうなの? ほとんど手のかきで進んでるって思ってた」
ほたるはくだらない話なら電話を切ってやると公言していたが、その内容にいつの間にか引き込まれていた。
「僕がこうしたら早く習得できそうって考えたこと聞いてくれる?」
「まあ、聞いてあげてもいいかな……」
ほたるは早く続きが聞きたかったが、ちょっとした恥ずかしさで控えめになってしまった。
「さっきも言ったけど、脚の動きが重要なんだ。腰から水生生物のひれの様な感じで水を蹴る練習をしたらいいと思う。腕に頼るとスポカーンの泳ぎの本質から外れてしまうからね」
「じゃあ腕を回さないでキックだけ練習しろってこと?」
「タイミングを取る練習はしてもいいけど、取り敢えずはキックに重点を置くんだ。いいかい。腰から蹴ろうとすると上体がぶれやすい。肩や背中の力を抜いて頭がキックの動きでブレない様に気をつけて泳ぐんだ」
「ビート板使った方がいいのかな」
「ビート板てなに?」
「そう言うと思ったわ。脚だけで泳ぐときに腕を乗せとく水に浮く軽い板のことよ」
「ああ。それなら分かるよ。リハビリとかで使う水に浮くやつだね」
「それ使った方がいいかな?」
「それとそれなしと両方。どちらも姿勢に気をつけて。とにかく蹴り終わったらお尻がプカッと浮くぐらいしっかり蹴るんだ。そうすれば自然に体が浮き上がるから次のキックもしやすくなるんだ」
「分かったわ。明日やってみるね。友達と川に泳ぎに行くから練習してみる」
「川って……本当にそこで泳ぐの?」
少年の声は驚きにあふれている感じだった。
「うん。深いとこもあって飛び込んだりもできるよ。魚もいっぱいるんだから」
「汚染されていない水の川ってこと?」
「田舎だからね。プールの水より綺麗だよ。飲んでも平気なくらい」
「すごい。君の住んでいる所はまるで夢の世界みたいだ」
「今の田舎者って嫌味?」
「いや、そんなわけないよ。いいなー。君の見ている景色を見てみたいな」
少年が田舎に憧れを抱いている感じは受話器越しに伝わってきたが、ほたるはサラリと聞き流した。
「こんなとこで良ければいつでもどうぞ。なんかあんたの言い方って鼻につくのよね」
「鼻につくって?」
「まただわ。まあいいけど一応泳ぎのことは参考になったからありがとね」
「うん。僕も引き続き自分の体でスポカーンを泳いでおくよ。結構楽しいし体力もつくしね」
「あんたには負けないわよ」
「いやもうライバルなわけ?」
「男子はみんな敵なの。あんたもよ」
「いや、友達じゃなかったっけ?」
「競争するときは誰であろうとも叩きのめすんだから」
「激しい人だな……」
「何か言った?」
「いえ、別に……」
余計なことを言うとまた怒りだしそうだと感じたのか、少年は口ごもる。
「まあ、とにかく頑張って」
「うん。頑張る。ありがとう」
受話器を置いて、ほたるはまた自転車に跨ると海辺の道を走り出した。
ちょっと明日が楽しみになったほたるの踏み込むペダルが軽い。
潮風を受けながら疾走する自転車は、Tシャツと少女の心を膨らませながら走って行くのだった。