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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

置いて落として懐かしみ、拾って見つけてまたつなぐ

作者: あましま



 カーファー男爵家当主ことアンセル・カーファーは、自分の耳を疑った。


「いま……なんと……?」


 愕然としながら問えば、彼の正面に座った楚々とした女性――エメリは、嫌な顔もせず先刻の発言を繰り返す。


「はい。結婚調印式の日程が動かせないのでしたら、営みはその三日後にいたしましょう、と」

「いや、そのあとだ」


 そのあと、とつぶやいたエメリが、一拍おいて朗らかに笑う。


「はい! はらむには、それがいちばんいいタイミングですので!」

「…………」


 巫女になる女性は、こんな性格になるものなのだろうか。

 祈りの神殿に座し、神秘の向こうにあるとされる祈りの巫女――そのひとりであるエメリのあけすけすぎる態度を前にしたアンセルは、無意識ながら己のこめかみに指を押し当てていた。



 聖教会に所属し、魔物から国を守る結界を担う『祈りの巫女』。

 彼女たちは血筋あるいは素質を見いだされて集められ、一定の期間、巫女としての日々を過ごし、能力の衰えか所定の年齢まで勤め上げれば還俗となる。その際には国から生活や仕事の保障を受ける権利があると同時に、ひとつの義務も存在した。


 ――子供を生むこと。


 巫女の確保のために定められた決まりは、脈々と守られてきた。

 婚姻を結び末永く添い遂げる相手がいれば僥倖だが、子を成すための一時的な結婚でも構わない。この際の離婚は、瑕疵とならない。むしろ、巫女は役目を果たした証、相手は次代の巫女候補を誕生させた証として、誉れとさえされている。

 一般的な婚姻と比べれば、はるかに優遇されているものだ。


 国が婚姻先を斡旋する以上、基本的には貴族が指名される。

 まず平民にはお鉢などまわってこない。裕福かつ信頼のおける商人あたりなら、目があるかどうかといったところ。

 だから、今期、還俗する巫女の婚姻先として爵位としては下のほうながら、一年前の国境線戦で武功を上げたアンセルの名が適齢期ということもあって挙げられたのも、むしろ当然のことだった。

 けれども、アンセルは一度それを辞退した。半年前に妻を迎えたからだ。騎士として大変世話を受けた上司の縁者であり、子供はいないが、互いに信頼のおける夫婦として過ごしてきた。巫女の夫と選んでいただけたのは光栄だが、まだ夫婦となって間もない妻への不義のようで申し訳ないと。

 以上の事情を告げたのだが、相手は巫女。そして、巫女との婚姻は一夫一婦制が基本の国法には抵触しない扱いになっている。おまけに今期は還俗する巫女が多く、妥当な相手を探すのも難儀しているとか。


 ……というわけで、子供が生まれて乳母に預けられるか手がかからなくなるまでとの前提で受け入れることを承諾したアンセルは、その後、エメリの釣書や巫女としての身上書などを送られ、顔合わせをする運びとなったのだった。




 そうして婚姻に当たっての話し合いと顔見せのため設けた席が、今日、この場だ。

 ここでエメリから、さっきの朗らかでえげつない発言が、貞淑だという巫女のイメージをぶち壊す勢いで転がり出てきたのである。


 返答に困って、むしろ今後の生活に著しい不安を覚えたアンセルを見て何を思ったか、エメリが、ぐっと身を乗り出す気配がした。うつむいていた顔を上げれば、やけに気合の入った笑顔と握りこぶしが目の前にある。

 巫女に特有の白く色が抜けた髪は雪のように淡くやわらかそうに肩へと流れ、意気込みを表して紅潮した頬をより鮮やかに見せていた。愛嬌のあるまるい瞳も、呆れるほどにきらきらとアンセルを見つめている。


「だって、男爵様には愛する奥方様がいらっしゃるのでしょう? でしたらほかとの性交なんて、一回で終わらせるにこしたことはないじゃありませんか!」


 ――愛……愛、ねえ。


 わずかな自嘲を覚えるうちにも、朗らか発言はつづいている。


「わたくし、きちんと自己管理はしております。計算上、調印式から三日目ないし五日目が最適なのです」

「……そう、か」

「それで子供が生まれるまでは、離れなどお借りできればと。お手数ですが、身の回りのお手伝いをひとり、お願いできますでしょうか」

「まさか。屋敷に部屋を用意するつもりだが」

「いえいえいえ! 奥方様がきっと困られます!」


 誠意のつもりで伝えたアンセルだが、ぶんぶんと頭を手を振り回すエメリの勢いに気を削がれる。


「いいですか、男爵様。わたくしは決まりとして子種をいただくだけのよそ者です。形式上は第二夫人なんてなりますが、本来ありえないのです。最低限だけ、お手伝いをいただければ、それで充分です」

「……よそ者……」


 いっそ神殿で十月十日ひきこもることも考えたのですが、還俗した身で舞い戻るとそれはそれで面倒なのです、と、エメリは言う。

 たしかに。アンセルもそこには同意した。

 出ていって孕んだから神殿で産むというのもなんだか違うだろう。……と、そこでふと気になって問いかける。


「親戚など……いや、実家……などは。頼れないのか。あ、そちらに行けと言うのではなく」

「あら――男爵様、ご存知ありませんか」

「なにを?」


 ぎこちなく首をかしげたアンセルの前から、巫女の姿が遠のいた。とはいうが、乗り出していた体をもとのソファに戻しただけだ。

 なのに、なぜか。

 なぜかその距離を――引き止めたくなった。

 エメリが再び口を開くのが数秒遅ければ、アンセルが身を乗り出して腕を伸ばしたかもしれない。


「巫女は神殿に上がる際、それまでのすべてを置いていくのです。還俗したからといって戻れるものではありません」

「――そのようなことが」

「まあ、戻ってもいいのですけれどね」

「はあ」


 漂い出した神妙な雰囲気を、だが、あっさりとエメリが粉砕した。ちゃめっけたっぷりの笑顔に、もとからなかった毒を抜かれた気分になるアンセルである。

 だが彼は、次の発言に表情を改めた。


「ただ、わたくしの場合は戻る場所がないというだけです」

「……それは」

「国境沿いの村でした。少し前に戦いが起きた、あのあたりに」

「……そうだった、な」


 察して、アンセルは深く頭を下げた。

 あの地には、自分もひとかたならぬ思い入れがある。手放せないはずのものを置いてきた場所でもある。よく聞けば分かるが、エメリの言葉には独特の――アンセルにとっても耳慣れた抑揚があるのだ。


 いえいえ、とエメリは笑う。


「そういうわけですので、ご迷惑と思いますが、できるだけ引っ込んで過ごさせていただければ充分です。何か助力が必要であれば、おっしゃってください。任は離れますが、能力の全部が失われたわけではないので」


 すでにアンセルも知っていることだが、エメリの退任は能力減退ではなく年齢が理由だった。出産適齢期のことを考えた処遇だ。


「野良の巫女なので――礼儀は神殿で学びましたが、貴族に通用する所作はこれから学んでまいります。粗忽者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 野良の巫女とは、血縁によらず、既存の巫女からの所縁でもなく、神殿の関知しない在野から能力を発見されて招集される者をいう。自嘲でも蔑みでもなく、あたたかみのある音の運びだった。

 深々と頭を下げるエメリに合わせて、アンセルも腰を折る。


「こちらこそ。……短い、おそらく短い期間ではありますが、快適に過ごしていただけるよう尽力します」




 かくして男爵と巫女は打ち合わせどおり床をともにし、見事懐妊を果たす。

 一発的中おめでとうございますと笑う巫女に、男爵は苦笑するばかりだった。




 カーファー家に元巫女エメリが迎えられ、三ヶ月。

 日々はつつがなく流れていく。


 心配されていた男爵夫人と元巫女の仲も好調で、屋敷の雰囲気はむしろ、彼女が来てからますます居心地のよいものになっている。

 今日もほら、テラスではふたりの女性がささやかな茶会を開いていた。


「まあ、神殿ではそんなことが……」

「けっこう自由なんですよ。女性ばかりですから、男性の目を気にしなくていいというか」

「ふふふ。殿方が知ったら夢が砕かれるわね」

「ええ、ええ。男爵様にも内緒にしてくださいね」

「分かっているわ」


 会話はとりとめのないこと。日々の話、神殿の話、貴族の話。

 住む世界が違うふたりの話題は、これでなかなか尽きることがない。


「けれど、ほんとうによろしいの? 自分の子供を自分で育てたい……とは思わないの?」


 夫人が問うのは、エメリのお腹の子のことだ。

 話し合いの結果、男児でも女児でも、カーファー家の子となると決まっている。


「そうですね……わたくしを乳母として扱っていただけるなら」

「そんな。貴女が母なのに」

「ふふ。お母さんがふたりでは混乱しますよ。ですから、最初のうちにきちんと形におさめたほうがいいんです。もとより巫女の子供は巫女だけの子ではありませんから」


 巫女の能力は、血に継がれることが多い。

 ないからといって子の価値は下がらないが、あればよろこばれる。

 可能性が高い以上、女児かつ発現の兆候があればすぐにでも神殿に召し上げられるだろう。

 そうしていつか還俗するとき、とくに身分のない自分よりも男爵家というしっかりした帰る場所があるならそのほうがいい、と、エメリは言っているのだ。つまり、それは、彼女がいつかカーファー家を去ると決めているということだ。


 ……風に乗って流れてくるふたりの会話を聞くともなしに聞いていたアンセルは、憂いの乗ったため息をこぼした。




 日々は過ぎる。

 懐妊から半年。エメリの腹も目立つようになってきたが、妊娠としては安定期。

 軽い運動なら推奨されるからと、掃除だのなんだのとやりたがっている。神殿でも奉仕として毎日していたので、いままで安穏としていたのが逆に申し訳なかったそうだ。


「♪ ♪」

「……エメリ? それは?」


 調子よく庭で箒を踊らせていたエメリは、ひょっこりと身を覗かせたアンセルを見て目を丸くした。楽しげに動いていた口も閉ざして、なんだかクッキーをうっかり丸呑みしたような顔にまでなっている。


「男爵様。……ええと、内緒にしてくださいね?」


 眉尻を下げ、唇の前に人差し指をたて、彼女は言った。


「置いてきたはずの、ものなのです。ちょっとだけ――かけらを、懐かしんでしまいました」

「…………」


 アンセルは、一歩、エメリに近づいた。


「……」


 エメリは、二歩、アンセルから距離をとった。


 アンセルは神妙に。エメリはにこやかに。

 見えない境界線をひいて、向かい合う。


「……エメリ。貴女は、国境線での戦いの引き金をご存知か」


 探るようなアンセルの言葉に、エメリは迷いなくうなずいた。


「はい。国境沿いの村が侵略のうえ、火を放たれたことが発端でしたね」

「そうです。人も家も畑も、何もかも蹂躙された」

「……ご覧になったのですか?」

「偵察から奪還まで、すべてを」

「……そうですか」


 ほんの少し、沈黙がおりて。

 また一歩。対して一歩。

 アンセルの視線は、ずっとエメリから離れない。

 エメリは微笑んだまま、それを受け止める。


「私は平民上がりの騎士だ。先の国境戦で、爵位をいただいた」

「はい、伺っております」

「……エメリ」

「はい」

「私は、あの村で育った」

「……はい」

「騎士になると夢を語って、家族とともに大きな都市へ移った」

「立派に、夢を果たされたのですね」

「――夢を叶えたら迎えに行くと言った少女がいた」

「……そうですか」


 塊を吐き出すようなアンセルの言葉にも、エメリの笑みは揺れない。けれど、箒を握りしめる手指から、色が抜けていた。


「……お悲しみになられたでしょう」


 いつしか握りしめていた、アンセルの拳も同様だった。


「――『エリシュカ』……!」


 エメリは微笑み続ける。

 アンセルのその叫びが、自分に向けられたものだと知って、なお。


「それが、その子の名前なのですね」

「……っ!」


 詰める一歩。逃げる一歩はない。

 その代わり、細い腕がアンセルに差し伸べられた。ゆるく広げられた手のひらを、男爵は、縋るように握りしめる。ぎり、ぎり。力加減のできない男の手は、女の手の肉を己の指の形に歪めかねない。


「……エリシュカ」


 向かい合い、手をとり、とられ、握り合うことはないまま。

 うつむいてこぼすアンセルの声は、震えるばかり。


「エリシュカ。エリー。俺の、――俺が、置いていった……!」


 巫女エメリとの会談前に用意された細密画。よほどの画家が手掛けたのか、いまにも動き出さんばかりの女性の姿に、置いてきたもののかけらを見た。歳も髪の色も記憶と違っていて、それでも。

 逢って、視線を交わして、声を聞いて、確信した。

 抱いて、――抱いて、抱いて、抱き潰した、たった一度と許された夜。

 一度だけというのなら、この一度で食い尽くしてやろうと思った。


「――わたくしも、故郷を置いていきました」


 声を聞き、わずかに曲げられる指の感触を感じ、アンセルは女を引き寄せようとする衝動を必死に耐える。


「置いて、きたのです。わたしの、アンを」

「…………ッ!」


 巫女はそうして、巫女となるのだ。


 どちらにせよ同じだったと、女は言うのだ。


 だから、と、力の抜けていく指先を、けれど、逃がすものかと握りしめる。

 女を留めたまま――男は、行動とは裏腹の言葉を告げた。


「……ときがくれば離婚はする」

「はい」

「でも貴女にはここにいてもらう。生まれる子供もだ」

「……奥方様にご無体は」


 ふ、と。いつかの自嘲をアンセルは繰り返す。


「お互い、信頼で契った。――同じだったから」

「…………」


 視線を感じたエメリが頭上を振り仰いだ。

 ふたりがいる庭を見下ろせる二階のテラス、いつも女性ふたりが賑やかす場所に、この家の女主人がいた。いつの間に、と、声なくつぶやくエメリのそれが聞こえたわけでもなかろうが、階上の彼女は、ひらり、手を振ってみせる。

 そうしてそれだけでは終わらず、声も振らせてきたのだ。


「ねえ、エメリ。かわいい貴女。実は私の旦那様もさっきまで知らなかったのだけれど――うちに来てくれる還俗の巫女はこの子がいいって、私が神殿にねじこんだのよ」

「……え」


 ふふふ、と、笑う彼女は勝者の面持ちだった。けれど、その頬が一筋、また一筋と濡れていく。


「一生をかけて見つけ出したい人がいたの」


 幼いころに乱暴な親から売られてしまった、彼女の唯一。


「……やっと見つかったの。一年前の戦いで、もうだめだと言われて看取られるために国境近くの分神殿に運ばれた騎士を。貴女が治癒して、そのあとずっと寝たきりで、ようやく動けるようになったあの人を――やっと、昨夜、見つけたと報告があったの」


 巫女の祈りは、聖神殿でだけ捧げられるわけではない。分神殿からも可能なのだ。……ちょっとだけ、祈る時間と巫女の消耗が大きいけれど。

 その分、戦いで疲弊した騎士へ、早いうちに癒やしのちからをもたらすことができる位置に行けるから、と、あのとき、誰もが国境を目指すと手を挙げた。


「そのとき旦那様が逢えなかったのは、残念だったわね」


 エメリと同じように頭上を見上げたアンセルが苦笑した。


「逢ったら、浚っていた。今の形でよかったんだ」

「そういうところよ。旦那様」


 快活に返した女主人は、そういうことで、と身を翻す。完全にその姿が階下のふたりの視界から消える前――言葉をひとつ、置いていった。


「手放しても置いていっても落としても、拾うべきひとの手が拾うのよ」


 アンセルはエメリを見る。

 エメリはずっと、テラスを見上げたまま。


 どれくらいかの時間が経って――ぽとり。瞳から流れる涙を、アンセルの指が拾った。


「……急展開、すぎるわ」


 呆然としたままの声も、話し方も、アンが置いていったエリーのものだった。

 それがうれしくておかしくて、アンセルは目を細め、喉を鳴らす。


「まったくだ。うん、でも、まあ――人のことは、俺も言えない」


 話を聞いて、すぐにここへ来たから。

 言われて、エリシュカは、なるほどと先程のアンセルの出現を思い返す。

 そろそろと視線を落として振り返れば、ああ。置いてきたはずの、忘れたはずの、忘れようとしたはずの、まぶしい懐かしい笑顔があった。


「だからさ、エリー。俺のエリー」


 さわやかに朗らかに、彼は言うのだ。


「一発を狙うためでなくても、いいよな」

「……騎士って、そういう性格になるものなの?」


 半眼で返すエリシュカを見たアンセルは何がおかしいのか、身をかがめて笑い出した。


 そんな大きな動きをしても、ふたりの手はつないだまま。


 まだ、口づけは交わさない。

 この屋敷の夫婦がふたくみになるまで、それは暗黙の了解だ。

 その代わりにと、愛しく腹を撫でるアンの手のひらを、エリーは微笑んで受け止めた。




ありがとうございました。わずかでもお心に残りましたら、うれしいです。

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