第9話 傷だらけの物語
──バチッ、バチバチッ。
階段を上がって現れたのは、青く明滅する電気を全身にまとった男子生徒だった。
彼は家庭科室の入り口、二本の触手をうねらせている江村の隣に立つと、腰を抜かしている常盤を見て言った。
「ときわ……ゆルさない」
真っ赤な瞳から血を流す青白い顔は、常盤からイジメを受けていた長峯のものだった。
「長峯……お、お前までどうしちまったんだよ。今までの事なら謝るからさあ」
「ゆるさない……ゆるさないゆルサないユるさなイィぃいいい!」
長峯の右腕は二本の電極が突き出した様な形状になっており、高圧電流の青い火花がバチバチと踊っている。
「とキわ……ゆるさない、ときィわぁああア!」
巨大なスタンガンの様なその腕が、常盤の顔面を焼き焦がしたかに思えたその瞬間。
江村は捕らえていた芥と夜島を解放し、二本の触手でもって長峯の両腕を素早く封じた。
──江村が……常盤を守った!?
考えている余裕は無い。
「ヤミコ、ほら立って!」
芥は夜島に手を貸して走り出した。
「じゃますルなぁァアああ!」
「ゆうじくンに……サわるな……」
触手をくねらせる江村と、雷光を纏う長峯。
バケモノ同士で組み合っている隙をついて、芥と夜島は反対側のドアから家庭科室を飛び出した。
腰を抜かしたままの常盤を連れていける余裕は無い。
どちらにせよ、夜島がされた事や今まで長峯が受けたイジメの事を考えれば、ここで常盤を見捨てても天罰は下らないだろう。
芥と夜島は振り返らずに走り、階段を降りた。
「何これ……」
一つ下の四階は、地獄の様相を呈していた。
バケモノの姿こそ見当たらなかったが、そこら中に血だまりや人間の残骸が散見される。
もっと下の階からは、悲鳴や唸り声の様な音が鳴りやまない。
「この下に降りるのはヤバそうだな」
三階から下は普通の教室が並んでいるので、放課後でもそれなりに人が密集していたはずだ。
怪物に変身してしまう現象が同時多発的に起こったとすると、人の多い階下はここよりも酷い有様だろう。
「とりあえず隠れないとな……」
「そうね。アクヤ、ここの鍵開けれる?」
芥がワイヤーで鍵を開け、二人はひとまず『科学実験室』と書かれた大教室に入った。
ドアに鍵をかけた上で、掃除用具入れや実験器具の棚を並べてバリケードを作る。
どれほどの効果があるかは分からないが、無いよりマシだろう。
椅子に腰を下ろして一息つくと、夜島が口を開いた。
「……私さ、ずっと一人だった」
「え?」
「さっき私の事、見捨てなかったね」
「あ、あぁ……」
バケモノが触手を緩めた瞬間、芥は咄嗟に夜島の手を引いて走り出していた。
他人を助ける事を何よりも無意味で愚かな行為と信じてきた自分が、なぜこんな行動に出たのか不思議だった。
「ありがと。またアクヤに助けられちゃった」
「”また”って。屋上のはノーカンだろ」
二人は水道水を飲んで息を整えると、カーテンを少しだけ開けて校庭を眺めた。
想像通り、外はパニックを極めている。
バケモノと化した教師や生徒が無差別に人を襲い、地面に体液や遺体が散らばっているのが見えた。
さっきの廊下の様子からしても、少なくともこの地域一帯はバケモノが蔓延っているのだろうと芥は考えた。
所謂”終末”というやつだ。
思えば先日から、『女子中学生が発狂し母親を噛み殺した』とか、『狂暴化した老人が怪力を発揮して暴れまわった』とか、冗談の様なニュースがしばしば報道されていた。
(都市伝説的な何かだと思っていたけど、あれは本当だったのか……)
一体、何人の人間がバケモノになってしまったのだろう。
この現象は何なのだろう。
そして何より、どうすれば生き残れるのだろう。
「死にたくないな……」
芥は傷跡の残る手首をさすった。
これまでの人生、生きる意味を見失った事もあった。
自室から出られなくなり、死ぬ準備を整えてみた事だってあった。
しかしこの傷は、それでも彼が生きようとした証なのだ。
「……」
夜島は芥の横顔をじっと見た。
そして言った。
「私もね、今は死にたくない……かも」
人間不信の芥と、死にたがりの夜島。
歪な少年少女の、暗くて美しい、傷だらけの物語が始まろうとしていた。