第21話 鏡の自分
あの戦いから一晩が経過し、旗野が目を覚ましたのは翌日の朝だった。
「ぅー……よく寝た……」
呑気な事を言いながら起き上がった旗野を見て、市川の泣き腫らした目からまた涙がこぼれた。
「旗野部長……旗野部長ぉ~!!」
市川は旗野に飛びつくと、幼子の様にわんわん泣き始めた。
「おーどうした市川?」
「ごべんなざい……ズーッ、ごべんなざいぃ……!」
「謝る事は無い。俺が勝手に無理しただけだ。あと、俺の服で鼻水を拭くな」
旗野は困った笑顔を浮かべ、優しく市川の頭を撫でた。
「ははっ。いやーみんな、迷惑かけたな」
メガネをかけて一同の顔を見回した旗野は、芥に気付くと視線を止めた。
「君は、芥君だね……気分はどうだ?」
「こっちのセリフですよ」
芥は笑った。
旗野は目を細め、じっくりと芥の全身を見る。
「夜島さんの言った通りだ。モンスターにはなっていない様だな」
「いや、半分はバケモノかも」
自虐的に言うと、芥は袖をまくって腕の切創を見せた。
「ハサミで斬られたんですけど、秒で治りました」
「自動回復か……確かにアイツらと同じスキルだな」
「オート……何ですって?」
朝食を作り終えた夜島が、皿を運びながら「力も強くなってたわね」と付け加えた。
「なるほどな、自動回復に加えて身体強化……確かに身体はモンスターに近付いている様だ。だが、心はどうかな?」
「俺の、心は……」
『お前が聞いている声は、お前自身の心の声』
あの悪夢の中で聞いた、暗く響く声が頭にこだまする。
『お前が見ている姿は、お前自身の心の姿』
ドス黒い感情に歪んだ笑顔が浮かぶ。
『俺は”鏡”なんだよ』
「”鏡”、か……」
「鏡? 一体何の事だ?」
「いや、何でもないです……」
そう言い残して口を閉ざした芥の肩に、壷内が手を置いた。
「お願いします。隠さないでください、芥先輩」
「……」
「教えてください。大切な情報です」
旗野も布団から立ち上がり、芥に向かって言った。
「そうだ。これから先、この中の誰かがモンスター化しないとも限らない。そうなった時、芥君の経験が必ず役に立つはずだ」
「はぁ……。あまり思い出したくはないんですが……」
とりあえず、自分を生かしておいてくれた恩は返した方が良いだろう。
それに加え自分の安全のためにも、この部屋で共に暮らす人間がバケモノになるのは出来る限り防ぎたい。
そう考えた芥は覚悟を決め、悪夢の内容を皆に話す事にした。
***
芥は、覚えている限りの内容を一通り語り終えた。
「なるほど。恐らくはそれが芥先輩の深層心理……」
「それに惑わされなければ、モンスターにはならない様だな」
壷内と旗野は、それぞれ芥の話をメモにとりながら呟いた。
夜島がいつもの無表情で黙っている横で、市川はぽかんと目を点にしながら言った。
「で……つまりどういう事ッスか?」
「つまりだな」
旗野が振り返り口を開く。
「芥君は自分の深層心理……つまり、”心の奥底にある感情”と対面したんだ。恐らく”怒り”とか”憎しみ”とかいう、負の感情だ」
「ふんふん」
「負の感情は、”みんなを殺す力が欲しいだろ”と囁いてくる。そうだな、芥君」
芥は「まあそんな感じです」と頷いた。
旗野は続ける。
「そして、その声に飲み込まれてしまったが最後、モンスターに変身してしまうんだろう」
「なるほどッス。じゃあ芥先輩は誘いを断ったから、モンスターにならずに済んだんスね! 良かったッス」
「いや、そうとも限らないよ」
口を挟んだのは壷内だった。
「幻覚症状は何度も現れる。そうですよね、旗野先輩」
「ああ、俺もそう思う」
旗野は目を細める。
「芥君。夢の中のソイツは、『俺は何度でも現れる』と言ったんだよね。もしソイツが再び現れたとして、君はまた打ち勝つ事が出来るのか?」
「……」
四角い眼鏡の奥から覗く刃物の様な視線に、芥は言葉を詰まらせた。
旗野は容赦なく続ける。
「ソイツが差し出す手を握らないと、誓えるか?」
「……はい」
「ははっ、誘導尋問だったな。すまんすまん。だがまあ、君は一度乗り越えたんだ。次もきっと大丈夫さ」
旗野は笑うと、椅子から立ち上がってトイレ代わりの被服室へ向かう。
去り際、神妙な面持ちで佇む一同を見渡すと、妙に明るい声で言った。
「ラスボスが”もう一人の自分”だなんて、カッコいいじゃないか。ははっ」
「旗野部長……笑えないッスよ」
市川は苦笑いを浮かべると、横目で芥を見た。
(芥先輩も、無表情で少し怖いッス……夜島先輩みたいに、話してみれば良い人なんスかね……?)
一方で芥は、この状況に不思議な居心地の良さを感じていた。
まるで世界中の人間がこの五人だけになった様な家庭科室。
ここで暮らす事は、叔父や教師、クラスの面々に気を遣いながら”普通のふり”をして過ごす日々よりは容易だと思えた。
彼らは市川の槍を作り直し、バリケードの強化や火炎瓶作りをしながら夜まで過ごした。
そして、その日は何事も無く眠りに就いた。




