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死にたいときに見る鏡  作者: ラケットキラー
第1章 崩れ去る日常
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第2話 結局この程度の覚悟

 芥は前方へ駆け出した。

 が、夜島(やじま)の腕を掴むには到底間に合わない。


 彼女は折れたフェンスの一部分を掴んだまま落ちようとしている。

 ならば。

 芥は咄嗟の判断で、彼女が掴むフェンスのもう一端を片手で捕まえた。


「うおッ!?」


 落下の勢いに自身まで持っていかれそうになるが、上体を思いっきり後ろへ倒し踏ん張った。

 屋上の縁にあるわずかな出っ張り、そこに引っ掛かった上履きのかかとに、二人分の命とフェンスの重みがのしかかる。


(あくた)君、何やって……?」

「離すなよ……!」


 夜島(やじま)がフェンスを握りしめたまま落下したのは、奇跡としか言いようがない。

 芥の登場にテンパったおかげだろうか。


 さて、ここからどうしたものか。

 ひ弱な芥には、夜島(やじま)の体重と、彼らを繋ぐ鉄片を引き上げる腕力など持ち合わせていない。

 むしろ下手に動けば、二人揃って奈落の底だ。

 このまま誰かに発見されるまで耐えきれる自信も無い。


 ギシッ。ギシギシッ……。


 両端から芥と夜島(やじま)に引っ張られている1.5メートル程の鉄片は、そろそろ限界を迎えるらしい。


 無理だ。

 芥が限界を迎える前に、フェンスがちぎれるという最悪の未来まで見えた。


「芥君」

「……」

「芥君!」

「なに!」


 今、話ができる余裕などない。

 が、無下に扱って手を離されても困るので仕方なく返事をした。


「私、死ぬつもりだったんだけど」

「うるせえ! この状況で死なれてみろ! 俺にとっては人生最大のトラウマだぞ!」

「だけど……」


(ネット上ではイキり散らかしてた俺も、他人の死に直面したらこんな風に必死になるんだな)


 SNSのアイコンの裏には、一人一人の人生がある。

 死を煽るようなことを散々言っておいて、いざこの状況になれば手を離す勇気もない。

 彼女が自殺に踏み切ったのは自分のメッセージのせい。

 偶然居合わせたものの何もできなかった。

 握力ももう限界。

 フェンスもちぎれそうだ。

 何もかも、もう遅い。


「だけど、なんでだろ。今はあんま死にたくないかも」

「夜島さん……」


 それは死と隣り合わせの状況になって初めて、未練が湧いたからか。

 それとも、目の前の男に迷惑をかけたくないという一心からか。

 しかし夜島(やじま)の言葉とは裏腹に、芥の手の感覚は失われてゆく。


「……ごめん、夜島(やじま)さん」

「え?」

「無理みたいだ」

「ちょっと待ってよ」

「もう手が……」

「もうちょっと我慢して! 今私が落ちれば、芥君は一生苦しむことになるんでしょ!? 私のせいで人の人生を台無しにするなんて、そんなの私耐えられない!」

「んな事言われてもッ……え?」


 手首に不思議な感触が走った。

 上体をそらしたままで首だけを下に向け、手元を見る。


夜島(やじま)さん……!」


 夜島(やじま)が、芥の手首を掴んでいる。

 ここまで自力でよじ登って来たらしい。

 芥は掴んでいた鉄片を離し、両手で彼女の手を握り返した。

 ガランと音を響かせ、フェンスの一部分だったものは地面に落下した。

 

「言ったでしょ……もうちょっとだって」


 彼女は鋭い目を芥に向けた。

 生に執着する、熱い視線。


 フェンス片を捨てたおかげで、だいぶ軽くなった。

 女子一人の体重なら、芥の残りの全ての筋力を使い何とか引き上げられそうだ。


「う、おぁっ……!」


 声にならない声を上げ、力を振り絞って彼女の身体を引っ張り上げた。

 ドサッ。

 彼女は芥の身体に重なるようにして倒れ込む。

 そしてそのままの勢いで転がり、芥のすぐ横へうつ伏せになった。


「ハァ……」


 全身の力が抜ける。


 それからしばらくは二人とも、横になったままで息を整えた。

 先に口を開いたのは夜島(やじま)


「ありがとう」

「え? ああ、いや」

「芥君が頑張ってくれなかったら、私、死んでた」

「でも──」


 一瞬だけ迷ったが、芥は覚悟を決めた。

 ここで言わなかったら、きっと一生言えない。

 うしろめたい思いを抱えて生きていく方が、目の前のクラスメイトに嫌われる事よりも、彼はずっと嫌だった。


「昨日のメッセージ送ったの、俺なんだよ。いつ死ぬんですか、ってやつ」

「ふーん……そうなんだ」


 意外にも反応は薄い。


「……ごめん」

「いいよ。芥君、結局助けてくれたじゃん」

「でも俺のせいで、今日死のうと」

「ううん。遅かれ早かれ、死ぬつもりだったもん。良い場所探してたの」

「そ、そうなんだ」

「でもやっぱり死にたくないって思った。今はね」


 『今はね』の意味を考える余裕など、今の芥には無かった。


「結局この程度の覚悟だったんだな。私って」

「……」

「死にたい死にたい言ってても、結局手を離す勇気は無かった」

「それは俺もだよ」


 芥は仰向けのまま、ちらと夜島(やじま)を見た。


「早く死ね、みたいなこと……ネットでは言えても、目の前で死のうとしてる人を見捨てるなんてできなかった」

「……ありがと」

「やめろよ」

「わかった」


 そう言って彼女は笑った。

 言葉を交わすのは初めてのはずなのに、それはなぜだか、妙に懐かしく感じる笑顔だった。

 何となく心地よい雰囲気が流れた。


「あ!」


 突然夜島(やじま)が立ち上がる。


「フェンス……」

「あ」


 二人は、屋上の縁から顔を出して下を見た。

 さっき手放した鉄片は、真下のコンクリートの上でひしゃげている。


「誰にも当たらなかったみたいだね。良かった」

「そうだな。……てか夜島(やじま)さん、力あるね」

「え、そうかな」

「うん。だってさ、腕の力で登って俺の所まで到達したんでしょ」

「登り棒とか得意だから」

「得意ってレベルじゃないよ」


 二人はまた笑った。

 息も心拍数も落ち着いてきた。

 ふとスマホを見ると、13時27分。

 あと三分で昼休みが終わる。


「やっべ。夜島(やじま)さん、そろそろ戻ろう」

「ヤミコでいいよ」

「え?」

「あだ名。ヤジマミサコから三文字とって、ヤミコ」

「……分かった。行こうヤミコ」


(ジマミじゃねえんだ)


 芥は心の中で笑った。

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