第16話 もう一度だけ
芥の隔離に成功し、ハサミのバケモノを退けて何とか家庭科室へ逃げ込んだ夜島、壷内、旗野、市川。
四人は冷蔵庫に残された食料を物色した。
調理実習の余り物に加え、料理研究部の備蓄らしき食材もある。
「期待通りだ。缶詰もあるし、節約すれば二週間は持つな」
旗野が中心となって食料の配分を行い、日持ちしなそうな生鮮食品から食べていく事にした。
「まさか、こんな状況で豚肉が食べられるとは思いませんでしたよ」
さっきまでムスッとしていた壷内だが、夜島がてきとうに作った肉野菜炒めを口にした途端に機嫌が良くなった。
「過熱が必要なものはガスが使えるうちに食いたいもんだなあ。マッチは節約したいし」
「もぐっ、そうッスね! はふはふっ、さすが旗野部長! もぐもぐもぐ……」
「まったく。もっと落ち着いて食べなさい」
ハムスターの様に両頬を膨らませる市川を見て、旗野は少しだけ笑った。
「もぐもぐもぐもぐもぐ……ごっくん。はぁーいッス……旗野部長ってやっぱり、私のお兄ちゃんみたいッスね!」
「お兄ちゃん、か。お前それ好きだよな」
「だって、本当にそうッスから!」
旗野は市川の兄を見た事は無い。
しかし危なっかしい妹に手を焼いている青年の姿を思い浮かべ、心の中で合掌した。
食事をとって一休みしていると、壷内が口を開いた。
「それにしても、あの怪物と対等に戦えるなんて……旗野先輩と市川さんがいれば、行動範囲を広げられるかもしれませんね」
旗野は首を横に振った。
「いやいや、さっきのはたまたま弱っちいヤツだっただけさ。それに、俺と市川と君の三人がかりで一体相手にするのがギリだ。しかも俺の剣は二本ともオシャカだし。戦闘は可能な限り避けた方が良い」
「そうですか」
「そもそも、さっきのヤツだってちゃんと殺せたか分からないぞ。火炎瓶とはいえアルコールじゃあな……あ、ここなら燃えやすい油があるんじゃないか」
旗野は壷内と二人で家庭科室の食用油を集め、火炎瓶を新たに作る事にした。
夜島は皆の食べた食器を片付けたり、余った食材にラップをかけて冷蔵庫へしまっている。
「旗野部長、私は何したら良いッスかー?」
「市川は外を見張っておいてくれ。異変があったらすぐに知らせるんだぞ」
「了解ッス! ……よいしょっと」
市川はドアの近くへ椅子を持っていき腰掛けると、バリケード代わりに置かれた棚の隙間から廊下を覗き込んだ。
***
進路指導室に隔離された芥は、未だ心の中の声と格闘していた。
『俺に任せろ。お前の無念を、怒りを、怨みを、晴らしてやるぞ』
そう甘く囁きかけるのは、彼自身の心の声。
濁った笑顔で手を差し伸べてくるのは、彼自身の心の姿。
「お前の言ってる事は、間違ってない」
それは芥の本心である。
イジメから助けようとした親友に裏切られ、誰も助けてくれずに家族からも見放された。
家族は勝手に死に、彼を引き取った叔父でさえ彼を厄介に思っていたのは明白だった。
自分が誤った訳では無いのに、人生は暗い方向へどんどん落ちてゆく。
怒りや怨みと呼べる感情が無いと、言い切る事はできなかった。
『さあ、俺に委ねるんだ。周りに合わせる必要なんかない、何も気にせずお前らしく生きられる世界へ行こうじゃないか』
「俺らしく……生きる……」
自分の記憶には、何か大切なモノが欠けている。
だがそれが何なのか、思い出す事は彼には出来なかった。
「そうだな。それも良いかもな」
『……やっと分かったか。さあ』
目の前の醜い自分が、歪な笑顔と共に右手を差し出して来た。
この手を取ってしまったらもう二度と、元の自分には戻れない気がする。
それでも良い。
友情も家族愛も、クソだ。
俺は復讐のために生きて来たんだ。
「思い知らせてやる……友達のふりをして、人を信用するふりをして、上っ面の自分で生きてるだけの薄っぺらいヤツらに!」
『ああ、もちろんだ』
目の前の手を取ろうとした、その瞬間。
「……ッ!?」
芥は思い出した。
何を考えているか分からない、無表情な顔。
肩にかかる黒髪。
差し出された右手。
──改めて宜しくね、アクヤ。
温かく柔らかい、握手の感覚。
「…………ヤミコ」
手が触れる直前で、芥は思いとどまった。
「やっぱり、やめておくよ」
『チッ、余計な事を……』
「ヤミコが待ってる」
左手首の傷跡は、もう疼かない。
『ヤミコだって、お前の事を友達となんか思ってないさ。いつか絶対に、お前を裏切るに決まってる!』
「……そうかもしれないな」
『何?』
芥は笑った。
「でも、そうじゃないかもしれないだろ」
『……どうしてだ? 俺に任せれば理想の世界へ行けるんだぞ。上っ面だけのヤツらばかりの世界を見なくて済むんだぞ!?』
「もう一度だけ、信じてみるよ」
目の前の自分の姿はドス黒く、暗く醜いオーラに染まっていった。
『……俺は”鏡”だ。お前は俺なんだ。俺は何度でも現れるぞ』
「何度来ても同じさ」
『お前は絶対に俺に縋る……絶対、絶対にだ……』
脳内に響く声が遠のいていく。
それと同時に、疲れ果てた芥は意識を手放した。




