幽霊使いと殺人鬼
トリックオアトリート、というのが流行りなのか何なのか、界隈ではよく聞くけれど。
こんなことをやってると大概いつも飽きてきて、けれど止めるわけにもいかねえ。そんな時には流行りを取り入れてアクセントを加えるのがいつもの話なんだが、今はそんな気分じゃない。
大方、幽霊に憑かれてるからだろう。
今、この俺の肩の辺りにいるやつ。
薄く半透明で浮いている、ワンピースで短髪の若い女が、おーい、とか聞こえてるー、とか、めちゃくちゃ話しかけてくる。
……反応したら負けだ。
俺は、それとなく触れるような仕草をしてみたが、通り抜けて触れられなかった。
明らかに幽霊だった。
「おぉーい。見えてるんだろぉ?無視すんなよぉ。」
ぎゃーぎゃーと騒ぐこいつは、周りには見えてないらしいが、鬱陶しいこと限りない。
あぁ。楽しく仕事できやしねぇ。
ふと気を抜いてしまい、視線がかち合う。
「おぉー!目があった!絶対目あった!」
……煩い。段々イライラしてきた。
「私が見えてないなら私の後ろの看板、何か分かるよなー!?」
「マクドナルド。」
薄めに透けてるんだから見えるっつーの。
「あっはははは!引っ掛かってやんの!私の声聞こえてんじゃん!」
「…………今日の昼飯ハンバーガーにするか。」
「ごーまかしたー!!」
半ば強引に俺の昼飯が決まったところで、シカト続行で次の「標的」を探し始める。
次は出来るだけ金を持ってるやつがいいな。これまでで使いすぎた。
「また「殺す」の?」
しかし幽霊はまだ話しかけてくる。
「…………まぁな。」
「お、諦めた。」
このまま無視し続けるのは無理だろう、と悟ったので、さっさと話してどこかに行ってもらうのがいいと判断して、俺は壁に沿って歩き始める。
「生きてくためには殺すのが一番早い。」
「おわー。割に合わない生き方ぁ。」
クスリなんかと一緒だ。いくら割に合わなくても、いくら危険でも、
「今更止められねぇよ。」
「ふぅん。」
ちょうど良さそうなスーツの中年を見つけて、後を付けていく。
数日かけて行動パターンを分析して、自然に誘導して人気のない場所に、それから殺す。
「見た感じ、会社の重役っぽいねぇ。ばれない?」
「口を出すなよ。バレないようにするのが大事なんだろうが。」
この手の金持ちは金を直接持たない。
だが生活費程度ならば金を下ろした直後を狙えばある程度は稼げる。つまりは数日あれば数万円が手に入ると言うわけだ。
いつもならば。
このよくわからん女のせいで集中は散るわ重めの倦怠感を感じてるわで、上手くいく気が全くしない。
強行するとしくじる、という確信が脳内にちらつく。
幽霊をうかがい見ると、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ねぇ、私のこと見える人って珍しいんだ。ちょっと構ってよー。」
「満足したらどこかに行けよ。気が散る。」
「オーケーオーケー。いいよん。」
と、幽霊は言い、俺の憂鬱な幽霊生活が始まった。
「おじさん名前なんてゆーの?強盗さんじゃないだろうし。」
「あぁ……?覚えてないな。」
「ふーん?記憶喪失?」
「いや、何となくは覚えてるんだが、殺人ってのは楽しくてなぁ。だがやってると段々脳にキてな、いらない記憶を奪ってく。」
「うわぁ。職業殺人鬼、って感じじゃなさそぉ。ってゆーか殺人鬼で認識合ってる?」
「別にそれでいい。俺はそもそも名前を呼ばれる生活を送ってねえからな。」
「へぇ。じゃあなんか名前考えとこっかー。私はれーちゃんでいいよん。ゆーれーのれーちゃん。」
流石に俺はれーちゃんとは呼ばない。
俺は「家」を持ってない。ので、とりあえず寝床としている空き家の方へと向かう。
「で、おじさん職業は殺し屋なの?依頼とか受けてるのー?」
「いいや、依頼を受けたりしてる訳じゃない。見つけた良さげなやつを殺してるだけだ。もともと好きでやってることだ。」
そう言うと、こいつは「うぇー。」と舌を出してイヤな顔をする。
「好きなこととか言って人殺してるやつ、絶対ろくな奴じゃないわー。考えなくても分かるぅ。」
「煩い。そんな事は分かってる。」
多少不安定な精神に触れられて俺はそう吐く。
「おじさんには、殺人鬼になるきっかけとかあったの?」
「……さっきからずっと気になってたんだが、お前何歳なんだ。二十九の俺をおじさんと呼べるほど若くはないだろ。」
「ほえー。でもほぼ三十路じゃん。あ、私は永遠の十八歳だよー。」
十一歳差。
「そこまで変わらないだろう。おじさん呼びは止めろ。違和感がある。」
えー、と。空中でワンピースごとふわふわと数回転して、「れーちゃん」は思い付いた様に突然言った。
「じゃあ、「さつじんき」の「つじ」さんはどー?つじさん!いいっしょ。」
「……なんでもいい。」
センスがあるのか無いのか、暫定的に名前をつけられたくらいの所で、俺は寝床の鍵を開ける。
「飯食っていー?」
「今は何もないぞ。」
俺よりも早く部屋にぬるりと滑り込むと、俺がドアを閉めたときにはもう冷蔵庫に顔を突っ込んでいる。
別に俺から離れられないという訳ではないらしい。
扉も開けず腰まで突っ込んでじたばたしながら野菜やら何やらと言っているが、実際のところキャベツと玉子位しかない。
「何もないじゃんっ!」
……だからそう言っているだろう、と俺は呆れて寝転がる。
「寝る。お前は静かにしてろ。明日はとりあえず誰か殺すから、邪魔せず家で待ってろ。」
「ふぇー。おやすみおやすみー。」
目を、閉じる。
人を殺していないと、段々息が苦しくなってきて、そのうち意識が朦朧としてくる。
だからこれは楽しい事なんだと、自分に言い聞かせないとやっていけない。
楽しい楽しい楽しい殺人を終えて、今回の収穫は5106円。
特に選ぶこともなく、何となくで廃屋に連れ込み殺したが、大丈夫だろう。
と、当たり前のように約束を破って幽霊のやつがついてきているが。
昨日までの元気が嘘のように、ぶつくさ言いながらずっと浮いているだけだ。
心配なんかは全くしていないけれど、何かあるんじゃないかと気になる。
俺は、快楽の余韻から脳を引き抜き、幽霊女に声をかける。
「おい、どうした。何かあったか。」
しかし奴は中空でパンツを見せたままふわふわ浮いて反応しない。
「…おい。」
「ぁあ、ごめんごめん。何?」
「どうしたさっきからぼーっとして。誰か来たか。」
「いや、誰も来てない。」
なら何かあったのか、と聞こうとして、この女の心配をする理由もないと思い直す。
「しっかし、綺麗に殺すよね……。」
跡も残さないね、と言う。
「証拠が残ると困るからな。首を折ってまとめて燃やす。」
本来ならもっとゆっくり準備してからやるんだが。
今日は切羽詰まってる。
仕方ないとも言える。幽霊が来てから出来ていなかったし。資金不足は死に直結するのだ。
と、その瞬間。
不意に幽霊はゆらっと、廃屋の奥へと進む。
いや、むしろそれは「釣られていく」という様に、自然に、そこがまるであるべき場所かのように。
俺がつい目を牽かれて、一つ隣の部屋の闇を見やると、そこに。「居た」。
「やぁ。」
脳が「それ」を認識する前に、弾け飛ぶ様に身体を回転させて向き合うーーーいや、既に身体は動かない。
まるで金縛りのように止められた四肢は、間抜けなことに、ぴくりともしなかった。
その「少年」は、幽霊女を肩口に浮かせて言う。
「初めまして。れーちゃんがお世話になったね。」
僕の名前は、京という。
「そんなに警戒しなくても、僕はあなたを殺したりしないさ。あなたのようにはね。」
しかも見られていたと来るか。
つくづく俺は運がない。と、徐々に慣れてきた拘束に反発して手足を動かそうと力を込める。
いや、運がないのはあの幽霊が来てからか。
そもそもこんな場所で殺すことになったのは、あれのせいで十分に殺しができなかったからではないか。
じわじわと、疲労した金属が曲がっていくかのような感触が腕を包む。
やがてそれは限界を迎え、甲高い炸裂音と共に晴れて俺の腕は一本自由になった。
「あぁ。すごい精神力だね。ごめん、落ち着いてもらうために拘束しただけで、害意はないから直ぐにほどくよ。」
しかし直ぐに片腕どころか全身が解放された。
「とりあえず話を聞いてよ。殺すのは無しで。」
「……。」
端から話などは一切聞いていないが、どうやら何か話があるらしい。
幽霊女のことといい、こいつはたまたまここに居合わせた訳ではなさそうだ。
だが殺す。
見られていたからには一秒足りとも生き残らせる義理はない。
「僕は―――」
目の前のやつが口を開くその瞬間、手持ちの小さな刃物を真正面に投げ放つ。
直線上右にぶれた刃先は、奴の左肩に突き刺さる。
「おっと…」
手持ちがそれしかないので、また動きを止められる前に胸元に飛び込み膝を首へ叩き込む。
しかし瞬間。
自分の足はまたもや動きを止め、それどころか膝を引き、体は後ろへと下がる。
「痛いや。まあ、いいけど。そろそろこれで落ち着いた?」
前は気付かなかったが、今回はわかる。
あの幽霊女がこちらに手を向けている時に金縛りが起こる。
つまりあいつがいる限り俺の行動に自由はないということで、どうやら俺はこれより先には進めないらしい。
「わかった。話は聞く。」
「オッケーオッケー。」
ナイフを肩から抜いて、少年は明るく笑う。
破れたシャツの切れ目に赤に染まった肌色がのぞき、白い服を黒く染めていく。
気にも留めないように少年は、
「僕は霊媒師をやっている。」
と。
「霊媒師なんて、随分な肩書だな。」
「まあ、あくまで肩書だから。何となくだ。幽霊を「使う」仕事をしてるからね。」
幽霊を「使う」。
物のように、と言ったら怒られそうだけれど。と少年は付け加えて。
「人間は死んだら幽霊になる。そして僕たちはそれを集めている。」
「集める…?」
「世の中に幽霊があふれると困るからねー、定期的に回収してるの。この国は派手に「Halloween」やるしねー。」
と、今まで黙っていた「れーちゃん」が口を開く。
「じゃあ、そいつも集めてきた幽霊なのか?」
「いいや違うよぉ。私は特別製。基本的に、幽霊はエネルギーみたいなのだから。」
くるりと重力を無視して一回転。随分と慣れているようだが、明らかに酔いそうな動きだ。
「さっきあなたを金縛りにあわせたのも幽霊。憑依させて、体を動かすことができる。まぁ、限度はあるけど。」
「そゆことー。」
「その幽霊を使って俺の後ろに滑り込んだわけか?」
「ええ。こんな風に、」
少年は右手をふいっと振ると、ゆらゆらと手が歪む。
そしてその手を、手近な柱に突っ込んだ。
「体を一部、幽霊にすることもできる。」
「……。」
非合理にもほどがある存在だな。
興味は、無いが。
「それで、なんでわざわざ俺のところに来た。」
今興味があるのは、こいつらの目的。
「―――人殺し。」
「?」
「人を殺せる人間を探していたんだよ。人を殺すともちろん幽霊が出る。つまりあなたが殺せば殺すほど、幽霊が集まるわけだ。」
「それは……本末転倒じゃないのか?」
首をかしげる俺に、少年は笑って首を振る。
「正直、幽霊が溢れてしまうことなんて滅多にない。これはあくまで建前で、僕が幽霊を集める理由は他にもある。いや、むしろ本命といってもいいくらいだ。」
大量の幽霊を使用して、死人を現世に固定する。即ち死者の復活。
狙うは十月三十一日。
「ハロウィン。」
「手伝ってよ。」
と少年は言い、抜いたナイフをこちらに向ける。
「これは脅しであって、取引だ。僕に手を貸してくれれば、誰にもバレずにいっぱい殺せるよ。」
「……。」
「少なくとも、あなたからはそういう匂いがする。」
「そうだな、当分生きるための金が入るなら手伝ってやる。」
俺はそう言い、差し出されているナイフを受け取る。
少年はふふ、と笑い
「もちろん。」
と。
「それじゃあ、僕らは死体を片付けておくから、また明日、詳しく説明するよ。」
今日は十月……二十八だったか。
これから三日は忙しくなりそうだと思い、俺は幽霊と少年に背を向け、寝床へと歩き始めた。
彼の背を見届けると直ぐに、れーちゃんが前に飛び出してきた。
「名前、付けたげたんだー。」
「ん?」
「あの人の名前。覚えてないっていうから、「さつじんき」の「つじ」さん、って名前ー。」
「ふうん。れーちゃんらしいネーミングセンスだね。」
「それぇ、褒めてるの?」
彼女は転がっている死体に、ぷかぷかと位置を合わせ、
「よっこいしょ。」
死体が息を吹き返したように飛び上がる。
「どう?なじむ?」
「うん。いいねー。首が折れてるだけで外傷もないし、何より死んでるのは使いやすいねぇ。」
ぱきっ、と首の位置を元に戻す。
「それで。」
と、京は。
「「幽霊使い」としての見解は?れーちゃん。」
「うぅん、そうだねぇ。ひとつ言うなら、つじさんが殺した人の幽霊は、もうこの世には存在しない。」
「というと?」
首をかしげる彼に、自分のものになった腕を眺めて彼女は言う。
「こんなパターン、見たことないから何とも言えないんだけど、つじさんは周囲の幽霊を「喰って」エネルギー源にしてる。人を殺さずにいられないのも、長い間何も食べずにいられるのもそのせいだと思うよ。冷蔵庫の中、一か月くらい空だって言ってたし。」
それに、実際に見たから。と付け加える。
この体の持ち主を殺した時、幽霊が彼に吸われて消えていく様を。
文字通りの「吸収」。
「現に、拘束に使った幽霊を三つも喰われた。あの人はそういう「幽霊」だ。」
「……なるほど。」
「このままだと、計画に支障が出るんじゃない?きょーちゃん。」
「まぁいいよ。強行突破のためには必要な人員だ。もともと幽霊の数はぎりぎり足りてるし、いざとなったら現地で調達しよう。」
「あの子」の幽霊さえ、喰われなければ構わない。
三日が経ち、とあるビルの前に俺はいた。
「山陽化学研究所、「例のビル」だよ。」
あの翌日、約束通りに寝床の前で待っていたあいつらに、あらかた全てを聞いた。
生き返らせたい奴の死体が、「例のビル」に保管されていること、
そいつが幽霊関係の特別な力を持っていたこと、
そいつの影響で、京が霊感を手に入れたことも。
「作戦は単純に行こう。つじさんが陽動しながら正面突破、その間に僕が裏から入る。れーちゃんはつじさんと一緒に上を目指して。」
「待て、俺は人を殺すのはできるが、銃火器に対応できるわけじゃない。」
そう言うと、彼は笑って、
「れーちゃんがいるから、そこは気にしなくていい。強者感を出してくれればそれでいい。」
と。
彼自身は幽霊を従える力があるから大丈夫だということだろう。
すいっと動き出した「れーちゃん」についていくように俺は歩き出す。
自動ドアがあった。
俺はここについての話を聞いていなかったが、彼女は、
「うぃーん!」
と叫んで自動ドアの上部に手を突っ込みガチャガチャと上下させると、ドアを全力で開け始めた。手動で。
「どりゃあー!」
開いた。
ド派手に音を立てて、警報音と共に。
「……おい。」
すぐさま銃と防弾の盾を持った職員たちが駆けつけてきて、一瞬にして道が塞がれてしまった。
しかし当の彼女は得意げに、慎ましやかな胸を張って浮いている。
「ふふふ。バトル開始じゃー!」
「待て、どうしろと」
「何を一人でしゃべっている。」
と、俺の言葉を遮るように職員の一人が言う。
「あぁ?」
「手を頭の後ろに組んで膝をつけ。」
ヘルメットをしている上に、皆同じ格好をしているものだから、誰が言ったかは分からんが、「警告はしたぞ」、と少しづつ距離を詰めてきた。
「目的はなんだ。」
「目的、か。」
特に思いつかない。
人助け……はないし。
散々迷惑をかけられた幽霊女に返す恩はないし。
あの少年だって、三日前にあったばかりだ。
と、なると?
ふと、糸に引かれるように盾を持った職員の一人が、ふらふらとこちらへ歩いてくる。
「おい、お前―――」
そいつが俺の前で半回転して、力なく倒れ掛かってきたもんだから、反射でヘルメットごと頭を捩じる。
こいつも、俺に殺されるために生まれたわけじゃないのにな、と、思考したことで俺は思いつく。
「強いて言うなら、仕事、だな。」
「動くな!」
今までのじわじわとした空気は一転、一気に緊張が走ったのが目に見えて分かった。
仲間が殺されないと緊張感が出ないというのは、なんとも緩い。
死体から盾を奪い取って蹴とばし、開け放しになっていたドアを後ろ手に閉める。
「警告はしたぞ!」
誰かの合図によって一斉に放たれた銃弾が俺の右腕を壁に押しやろうとする。
俺は、狙いをずらすために斜めに走りながら幽霊に視線をやった。
「さっきのはお前の力か?」
「そうだよ。幽霊使いは、こんなこともできるんだよぉー?」
そういうと彼女はくいっと手首を振ると、いくつかの爆音とともに武装した男たちがあらかた吹き飛んで崩れ落ちた。
そこに残ったのは、見覚えのある顔をした、爆弾を腰につけた男だけ。
「こないだつじさんが殺した人を操ってるんだ。再利用再利用ー。」
「そういえば、お前は周りの奴には見えてないのか?」
「そりゃあ幽霊ってのはそういうもんだからねー。私の可愛らしいお姿を見たいんなら、それ相応の努力をしてくれなくちゃあ。」
「……ふうん。」
盾と銃を拾って、俺は階段を探し始める。
「冷たいなぁおい……。」
本人曰く幽霊は「そういうもの」らしいので、基本無視で行こうというスタンスだ。
「と、言うか。つじさんもほぼ幽霊だよ。」
「何?」
「肉体に対して霊魂が不足している感じ。この状態は憑依してる時と同じ状態。だから、人を殺して魂を食べないと魂が消えてしまうし、そうやってどんどん幽霊を食べるから、憑依もされにくい。」
幽霊には。基本的に記憶はないしね。と、彼女はくるりと回る。
なるほど、俺はそういう特殊な条件だからこそ幽霊が見えるのか。
「それなら、京も俺と似たような感じなのか?幽霊を従えるくらいの力を持ってるんだろう。」
「きょーちゃんは逆。体に対して霊魂が過剰なんだよ。だからきょーちゃんの近くにいると幽霊がパワーアップするの。きょーちゃん自身は幽霊とか使えないよ。」
「あ?」
「え?」
「……。」
大音量で警報が鳴き出したとき、ちょうど僕は裏口の鍵をピッキングしたところだった。
れーちゃんらしい派手な解錠だな、と苦笑する。
扉を押し開けると非常階段があるので、僕はそこを駆け上がる。
飛鳥の死体があるのは七階。それはれーちゃんも知ってる。
「突破組」はれーちゃんがいるから大体大丈夫だと思うけれど、警備員に気づかれる前に僕が間に合うかどうか。
非常階段は四階で一度途切れていて、一度中に戻ってから上に進む。
恐らくは数人警備がいるだろうが、それくらいは。
がきっ!と、錆びた音と共に扉を開けた先には、
はたして、大量の警備員が、こちらに向けて待機していた。
「……ほんと、勘弁してくれよ。僕はもう精一杯なんだ。ふふ。」
ポケットの中のカッターを指先で探る。
表と違って、並び立つ警備員は一言も発することはなかった。
僕が動いた瞬間、躊躇なく撃ち殺すつもりなのだろう。
たぶん僕は死ぬ。
飛鳥が死んだその日から、ずっと死を想ってきた。
なるべき所でなるべきように終わるのだろう、と。
霊感のある僕は、果たして幽霊になるのか、ならないのか。
それともあるいは、れーちゃんのように―――?
エレベーターの扉を爆弾で吹き飛ばし、シャフトをよじ登っていく。
「大丈夫なのか。京は生身なんだろう?幽霊使いでもないのに、もし職員に遭遇したりしたら。」
心配してやるほど長い付き合いなわけではないけれど、この作戦が失敗すれば、俺は捕まるし、下手をすれば死ぬ。
不安をあらわにする俺に、幽霊使いは相変わらず緊張感なく言う。
「大丈夫だよ。裏からこっそり行く手はずになってたし、それに何より。京は強いから。」
「だが相手は銃を持ってる。普通にやって死なずにいられるわけがない。」
「つじさんは静かに殺す、「殺人鬼」だけど、京は桁違いに「沢山」殺す、」
「殺戮狂」、だよ。
「僕は死ぬ。」
と、僕は笑って、
「けどそれは今日じゃない。」
最後の一人の首を踏み砕いた。
「今日は特別な日なんだ。せっかくだからお菓子くらいくれよ。」
あんまりいっぱいいたもんだから、空気が錆びた鉄の匂いしかしない。
もうすぐだ。もうすぐで飛鳥は生き返る。
僕は顔に少しだけ付いた血を指で拭って、一面が赤くなったホールを後にした。
「あすか?」
「うん。千歳飛鳥、きょーちゃんの妹だよ。四年前に火事で、煙を吸って一酸化炭素中毒で死んじゃった。」
「煙か。」
それなら、遺体がそのまま残っていても不思議じゃない。
上にも下にもはるかに続くシャフトに、自分の位置が分からなくなって、下から順番にドアを数える。
「目的地は何階だ。」
「七階ー。生体科学研究センターっていう、今は使われてないことになってる場所。もうちょっと上だよ。」
かん、かん、という硬い足音だけが響く。
「四年前……。お前は京と長い付き合いなのか。」
「いやぁ、四年前の火事の時からだねぇ。私、そこにいたんだ。」
と、彼女は語りだす。
「私は元は人間だったんだ。
大昔からずっと、死にたくなくて、研究してたの。
幽霊が存在することは前々からわかってたから、そのエネルギーと、それを活用する方法についての、霊魂と幽霊の研究。
そして数十年かかってやっと、「幽霊化」の理論が完成した。
え?
本当の年齢は言わないよ。
幽霊なんて私には見えなかったし、何より扱い方については誰もわかりはしなかったからかなり苦労した。
けど、ある日に完成した霊魂の不安定さによって人間を区分する方法で、私は特殊な能力を持つ人間を数人見つけたんだ。
霊魂の量じゃなくて、不安定さ。
肉体と霊魂が不安定なほど幽霊に近く、幽霊を操り、干渉できることに気づいた。
死者と会話できるとか、ものを遠くから動かせるとか。そういう力。
そこで私は気づいたんだ。
死んだら特殊な力が使えるって。
いや、流石にやらなかったよ。
死にたくなかったし。
そう、死にたくなかったの。
死ぬ、の定義が何かによるけれど、私は、私の存在について忘れてしまうのが嫌だった。
今もそうだけど。
そういう意味では幽霊も死んでることには違いない。記憶ないんだしね。
で、それからまた数年経って、理論に沿った幽霊化の実験が成功して、私は、
生きたまま、記憶を維持したまま幽霊に「なる」ことに成功した。
……と思う。
幽霊になってから、記憶力が怪しすぎるんだよ。
記憶、維持してるって言えるのかなぁ?
あ、そうそう。それでね。
私は研究をずっと続けてたの。霊能力手に入れたしー、はかどったね。
で、四年ちょっと前に、飛鳥に出会った。」
「……ほぼお前の話じゃねぇか。」
もうそろそろ着きそうなくらいに時間をとったのに、その妹の話が最後まで出てこなかった。
というか一言。
「まあ、まだ続きがあるじゃん?」
「最初、幽霊が少ないなー、と思った所から始まったんだ。
流石に道端とかにはなかなか幽霊はいないんだけど、その時は普段幽霊の良くいる葬儀屋さんにもほとんど居なかったんだ。
で、そのとき。
私の思いが変わった。
え、いや、悪かったよ、言い方が悪かったぁ。
意思を変えさせられた。
意識の方向が強制的にあらぬ方向へ。
あの感覚は未だに忘れられないよ。
義務感、というか。
とにかく私は飛んでいったんだ。
意識の向く方へ、赴くままに。
そしたら、そこで、火事が起こってたんだ。」
「しかいの全てを埋める黒煙と火炎が、霊体のはずの私にも感じられるようで。飛鳥は火元の隣の一軒家の二階で炎と戦ってた。辺りの幽霊をありったけ集めて、炎をどかして瓦礫をどかして、意識を失ってた京とあの子らの父親を外まで誘導しようとしてた。」
「……。」
「でも足りなかったんだね。力はあっても幽霊の使い方が下手だった。使い果たして結局閉じ込められてた。」
当然のことだ、と言いたげに、彼女は目を閉じる。
俺はすぐ目前に近づいた七つ目のドアへと梯子を登る。
「私はね、飛鳥に手伝ってあげようか、って言ったんだ。そしたら飛鳥は荒い呼吸のまま、記憶のある幽霊は使わない、その人の思いを消してしまうことはしちゃいけない、って。すごいでしょ。その時に、この子は幽霊を大事に扱える、どんな時でも命に優劣をつけない子だって感じた。」
だから、助けてあげた。
「壁をぶち抜いて外まで出してあげたの。すぐに救急が来て三人を運んで行ったけど、飛鳥はそのちょっと前に「ありがとう」って言ったきり意識が飛んじゃって。後から死んだって話を耳に挟んだ。きょーちゃんは火事の時に集まった霊の影響で霊感手に入れて、それから私はきょーちゃんと一緒にいる。」
「……なるほど。」
俺の想像よりも短い関係だったが、しかし彼、彼女らにとっては運命にも近い出来事だったのかもしれない。
「だがそれなら、なぜそいつの死体がこんなところにある。」
「あぁ、それは。」
と、「れーちゃん」がまた話し始めようと口を開いた時、ちょうど目的のドアが目の前に来た。
「よっこいしょ」
くすんだ金属で囲われた重厚な枠に彼女は腕までを入れて、ガキン、というくぐもった高音を出す。
後は開けるだけだと言い残し、彼女はそのまま扉を貫通して中へと入りこむ。
「最後まで責任もってやれよ……。」
扉とシャフトの僅かな隙間に足をのせて、重音を奏でてやけに重い一対の扉を引き開けて内に入る。
一瞬、よくわからなかった。
しかし数秒、薄暗いホールに目が慣れると、それが何かは一目瞭然だった。
フロアの中心に構えられた、天井まで届く巨大な円柱。
少し赤色をしているのは、おそらく無色のその円筒の中に入っている液体の色なのであろう。
しかしそれは、フロア全体のほの暗い雰囲気と対照的に異質なほど透き通っていて。
そして、その液の中に浮かべられているのは、
「人間―――」
積層された透明感で形作られた曲線が、明確にまだ幼さを残す女の像を描いている。
重力すら遠く及ばないと言うように四肢は放たれ。
髪は長く、円柱の中央から底まで流れてなお余っている。
さらにそれは液体と同化してしまうほどに透明。
神聖さすら感じるような「それ」の瞳は閉じられたままである。
「これが……。」
千歳飛鳥。四年前に死んだ、京の妹にして霊能力者。
「れーちゃん」は、円柱の前に立っていた。
幽霊の癖に立っているというのが違和感を覚えるというなら、まるで地面に立っているかのように浮いている、という方が正確かも知れなかったが、しかし、その些細な語弊を感じるより前に、俺は彼女が完全に固まっていることに気付いた。
「……?おい。」
呼び掛けると、かすかに聞こえるかどうかくらいの声で、
「―――ない。」
「あぁ?」
「これは飛鳥じゃない……!」
螺旋階段をのぼるときはいつも、疲れた気がする。
運動量は普段の殺戮の比じゃないのかもしれないけど、何度も何度も同じ景色を見なければならないという状況は、エンドレスな螺旋を思い浮かべてしまって気が滅入る。
けれどまあ、たった四階の階段くらいなら、高さもそこまでないし。
果たして僕は七階につくことができた。
非常時にはどうかと思う、施錠された非常扉の鍵を打ち壊す。
このビル、この会社はこういうところで無駄にセキュリティを高く保っているふりをしている。
実際はこの通り、突破も難しくないし、警備もザルだ。
一般人に研究を悟らせないようにするためだけの、見せかけだけの警備。
こんなところに飛鳥を奪われたのだと思うと、怒りにも似た悪寒が走る。
「侵蝕計画」。
山陽科学研究所の現在の主要計画にして、極秘の製造物。
端的に示すのなら、まさしく「人口霊魂生成計画」。
霊魂と似たようなエネルギーを空の死体につぎ込み、一つの霊魂として精製する。
つまり幽霊の鋳造。
それには、幽霊と親和性の高い素体が必要になるため、選ばれたのは飛鳥の遺体だった。
病院で目が覚めた僕が飛鳥のことを聞いた時にはもう遅かった。父親は家に引きこもり、飛鳥はすでに山陽に引き取られた後。
だから僕は、霊魂が一番不安定なハロウィンに、集めた幽霊で飛鳥の幽霊を引き寄せる。
それかられーちゃんが体に幽霊をいれて、僕の霊魂で残りを埋める。
そういう計画。
すでにれーちゃんはついているのか、もしくはまだか。どちらにせよ早く飛鳥を見つけないと―――
「れーちゃん!つじさん!見つかった?」
七階フロアには部屋は三つしかない。
ひとつは僕の今出てきた、非常口への部屋、ひとつはエレベーターのある部屋。そしてこの大ホール。
大ホール以外に飛鳥を隠せるような場所はない。
すなわちあの機械の中に。
「違う、ここにあるのは飛鳥じゃない!」
と、れーちゃんが叫ぶ。
馬鹿な、そんなはずはない。
けれど大仰な装置の中に浮かぶのは、見慣れぬ死体。
直前の偵察で、ここの中にあることは分かってるはずなのに……!
「階層を移動させたか……もしくは隠したのかもしれん。幽霊女は上を探せ。俺は下を探す。」
つじさんは端的に指示を出す。
僕はこの機械にふと、気を引かれて、その円柱のフォルムを見やる。
内側で、浮いているかのようなその女の子には、何処か見覚えがあって、僕はそのガラスの表面に手を伸ばす。何を掴める訳でもなかったけれど、この子が、飛鳥と同じように実験台にされていたのだと思うと、全く救いのない心持ちになる。
僕は、この子を生き返らせることはできない。
飛鳥に使う幽霊に限界があるから、ギリギリの今ではそんな余裕は持ち合わせていない。
もしかすると、つじさんがあの性質を持ってさえいなければ、なんとかなったかもしれないが……。
僕はせめて、想いだけは届けておこうと目を閉じて――――――
八階は研究室(?)な部屋がいくつか並んでいた。
どの部屋にも真ん中に長机が設置され、書類が幾つか放ってある。
しかし死体を隠しておくに十分な場所は見当たらなかった。
んー。もういっこ上かな。
けれど、九階も同じ構造をしていて、探索の余地はなかった。
天井から十階に行こうとして、しかしこのビルが九階までしかないことに気づく。
上は外れかー。しかしまあ。
八階へと戻り降りて、通り過ぎた部屋で偶然、私は書類のひとつに目が留まった。
「侵蝕計画報告書記録版」
ホッチキスで留められた数枚の書類は、「最新版」と書かれたクリップで挟み込まれている。
「最新版……?」
一枚目には、計画の概要や日付なんかが書かれていて、大方は事前に偵察していたものと一致していたが、一部。
「停止?なんで。」
ひらりと紙をめくり、上から目を通す。
「第一次実験は、失敗。侵蝕計画を一時停止し、第二次実験と検体の殺害等の準備を行う……ってことは、七階フロアの子が第二検体?」
生きているようには、見えなかったけれど。
しかし、使用済みになった飛鳥の死体を何処かへ捨てたなら、もうここにはないかもしれない。
けれどどこか、何かが少しおかしい気もする。
さらに読み進めると、第一次実験検体の処分の欄があった。
「飛鳥の処分……。「検体は、肉体に対して霊魂の量が不足しているため、意識がなく、実験は失敗。よって再実験には再度計算が必要になる。なお、検体は生体科学研究センターの補完装置に保管、管理する」。」
生体科学研究センター?
と、言うことは第一次検体があの子で、第二次検体が飛鳥ということ。
つまりは、飛鳥はまだ生きている―――!!
「きょーちゃん!」
飛鳥が生きているなら、わざわざ運ぶまでもない。ただ歩かせればいい。なら七階に限らず、閉じ込める場所などいくらでもある。
そのことを彼に伝えようと、急ぎ飛んで床を突き抜ける。
「きょーちゃん!飛鳥がまだ生きてるかもしれない!」
と、叫びかけた私が目にしたきょーちゃんは、胴体に十センチの穴を開けて。
既に死んでいた。
「足りねぇなぁ。」
俺は、見つけたバールを担いで階層をうろつく。
「これくらいじゃ生活費にはなっても報酬にはならねぇな。畜生、これからどうせ逃げなきゃいけねぇってのに。研究所ってのはやっぱり金を貯めるところじゃねぇな。」
しかし、仕事は仕事。京の妹の死体を探さなければならない。
正直、どんな見た目か全くわからないまま降りてきてしまったが、しかし。
今俺のいる倉庫には、四十センチほどの段ボールが棚にラベリングしてあるくらいで、大きな箱は見当たらない。
幾つかあった大きめの箱の中には真緑の小さな結晶や、水色の液体の入った小瓶、大きめの標本などで、どれも幼女というには無理がある。
俺は、先ほどからちらほら見つかる小さい金庫をバールで叩き壊してさらに探す。
ちなみに中身は金やプラチナなどの貴金属。
売ればそこそこの値段にはなるが、いかんせん量が少ない。
と、もう一階層下へいってみようかと思っていたところに、薄く透ける女の姿。
けれどもそれは見慣れた姿だった。
「つじさん、今さっき何処にいた?」
「れーちゃん」は、泣きそうな表情を必死に抑えてそう言う。
幽霊なのに、もう既に頬には泣いたような後が残っていて、崩れてしまったかのような目は真っ赤に充血している。
さらには両の握りしめた拳は、はっきりとわかるほどに震えている。それが怒りか恐怖か悲しみか、何に起因するかは分からなかったが。
ともかく、彼女は俺にそう聞いた。
「ずっとここで死体を探してたが。何かあったのか。」
「きょーちゃんが死んだ。殺された。」
これには流石に俺も驚いた。
「冗談だろ。誰に。」
七階へと急ぐ俺に、彼女は。
「わかんないの、でも、普通の人じゃない。」
「どういうことだ?幽霊とかか。」
「それはないよ。「あれ」は憑依でなんとかなるような傷口じゃない。」
「……。」
階段を駆けて京を目にした時、床一面に散らばった鉄の臭いと警告色さながらの赤が感覚を突き刺した。
中心に横たわるもはや動かない彼の、その胸腔に空いた穴は、もう生きているという希望はないと嘲笑っている。
「帰ってきたときには既にこうだったのか?」
「うん。」
誰かが、隠れていると考えた方がいいということか。
「ねぇ。一応聞くけどつじさんは殺してないよね。」
「……やってない。」
大前提として、俺は殺してない。
その上で、あえて証拠を挙げるなら、さっきも言った通り、そのときここにいたこと、何よりも。
「俺はこんな殺害手段を持ってない。一撃で人体を貫通させられるような強力な「何か」は。」
「……そうだね。霊能力でもあるまいし。」
傷口の穴は少し横長で、勢い良く突き抜けたのか、なかの骨やなんかは荒々しく引きちぎれていた。
「それに血だね。血溜まりになるほどの傷に、全く血も垂らさずに移動するなんてことは出来ない、だよね。」
「なぁ、どうする。死体は見つからない上に、京が死んじまったときたら、できることはねえんじゃねえか。」
ここまでやって報酬はなしです、では流石に俺も納得いかないが、雇用主が死んだならばどうしようもない。
俺たちはなんともやり場のない、特にれーちゃんは俺よりも想いがあるだろう、目的を失った虚脱感のようなものに襲われた。
「きょーちゃんを埋葬しよう。でも、実は飛鳥が生きてるかもしれないって話が出てきたから、今度私はまた探しに行くよ。」
先に気付いたのはれーちゃんだった。
「あれ。きょーちゃんの幽霊……は。どこ。」
明らかに死んでいる京を見て、蘇生は行えないにしろ、集めた幽霊で補填くらいは出来たりしないかと素体を探し始めて気が付いた。
幽霊がいない。
一人たりとも。
幽霊は浮遊する、言わば花粉のような存在だ。
風もないのに何処かへと流れてしまうことはない。
と、すると、幽霊を「喰った」者がいる。
京の幽霊ごと。
それに、あの報告書―――
対して、あまり幽霊を見たことがなかったつじは、血溜まりを見て気付いた。
きれいな円。
彼は、さっきれーちゃんが言っていた言葉を思い出して、ふと、自分の手を見る。
ちょうど腕くらいの太さの棒が凶器だろう。しかし俺はそんなものを持っていない。あるとするならば。
ふと周りを見渡して、しかし何も見当たらない。
あるのは巨大な円柱とその周りを囲むコードの束だけ。
瞬間、違和感を覚えた。
部屋が暗くなったような感覚。
かろうじて光を放っているように見えた円柱が、その輝きを数段落としていたのだ。
紅く、闇く。
「まさか……。」
ここまで分かってしまえば、後はもう身体が動くだけで。
「第一次検体は霊魂が不足して失敗……!つじさ 」
先に気付いたのはれーちゃんだった。
しかし、先に動いたのはつじの方。
容器の中の彼女を「殺す」ために。
ガラスのようなその右手をうっすら、しかし確かに朱く染め上げて、宙に浮く彼女が眼を開く。
足が滑った。
血溜まりに全力で踏み込んだために、重心がズレて身体が崩れ落ちる。
どっ、と音がしたような錯覚と共に、左耳から一切の音が消え去った。
「っ!?」
生気を感じない蒼白。獣のような手の形をとっているそれが耳を掠めたのだと気付いた瞬間、一秒すらも「それ」に近づいていることを正気が拒否した。
つじさん、と叫ぶことはせず、れーちゃんは一気に「それ」を押さえ込む。
己の身を削るのも厭わない「呪殺」。
しかしそれを餌か何かのように食い散らかして、「それ」は液体から這い出る。
当然のように、ガラスの割れた音はしない。
「人間……か?」
「だ、第一次検体だよ。「侵蝕計画」の失敗した実験台。肉体に対して霊魂が不足してる、言わばつじさんみたいな状態……」
そうか、起き上がりすらしないと思ってたけど、よく考えたらつじさんみたいなのがいるじゃん、と彼女は呟く。
まともな手足の使い方すら覚えていないような動き。
かろうじて二足歩行を保っているのは、元が人間だったせめてもの名残か。
完成されたその体躯を、化物のように雑に動かして、「それ」はつじに焦点を合わせる。いや、焦点など合ってはいない。
眼窩に収まっているはずの球はぐらぐらと不定に揺れている。
「―――――――――」
言葉など、ない。
ただあるだけのうめき声を、これもまた雑に、あったから使うだけという風に鳴らして「それ」は、翔ぶ。
つじが避けられたのは、これまた偶然だった。正面に立つのは危険だと感じたのが、ギリギリ間に合っただけのこと。
「づぁっ!」
「つじさんっ、作戦がある!」
と、いうか。
彼女は既に行動に出ていた。
右腕が光っている。
つじが初めて京に出会ったときの、京の幽霊化。それに似ているがしかし異なる。
あえて説明してしまうのであれば。
人間を幽霊にする「幽霊化」とは逆に、高エネルギーの幽霊が実体の形をとる、敢えて言うなら、
「人間化」。
「吹き飛ばす!つじさんが引き付けてるうちに、身体ごと霊魂を!」
チャージまでの五秒。
人知を越えた「それ」の速度に相対するには久遠に近しい。だが等しくはないその時を彼が稼げば、あるいは。
彼は「解った」、とは言わない。
この期に及んで分からないなんて言うのであれば、とうの昔に死んでいる―――
恐らく音速にたどり着いているであろう「それ」の爪を、つじは手持ちのナイフの腹で受けることで、致命傷を防ぐ。
圧倒的な速度、重み。それを受けてつじの身体は回転する。回す。
流す。
それ自体は当たり前の技術だ。しかしつじは派手は殺し方をするわけではない。故に打撃、間接技等の人体の壊し方はよく知っている。
跳んだ右腕を流れに任せて背中側に。しかし左手を伸ばした「それ」の指に引っ掛けて回す。
それだけでは止まらない。どうやら痛みはないらしく、一向に構う気配はない。
引っ掛けていただけの左手を、手首に掴み直し、素足の「それ」を踏みつけさらに回す。
この華奢な身体に、あれだけの速度を出す膂力はない。ならば恐らく霊能力。
それならばと、外側の肉体を的確に抑えにいく。
重心、関節、力の加わり方。全てを計算して、床に捻り倒す。
「――――――」
ここまでで約三秒。
「まだか!」
「こっちに!」
言われた通りに彼は「それ」の長い髪を紐がわりにして、背負い投げる。
ジャスト五秒。射線上に浮かぶれーちゃんはその腕を、宙を舞う「それ」の背に、突き刺す。
火花、閃光、轟音、火炎、爆風。
破壊が、散らされた。
やったのか、どうなのか。
揺れる炎が退いていく様を彼は見て、次いで見たのは。
透明な髪の千切れた「検体」が、かろうじて立っている様と、れーちゃんのいない、妙に冷めた空気だけだった。
「検体」はこちらを向いて、
「えっち。」
と。
「……ぁ?」
「今は私の身体なんだ、恥ぃよ。」
先ほどまでとは違い、まともな反応と動き。
「今は。奪えたのか。身体を。」
「検体」の身体をした、れーちゃんは言う。
「私自身がとり憑けばこんなもんだよー。まだ意識があるもんだから、今にも持っていかれそうだけど。」
そのままの状態で、彼女は言う。
「お願いがある。私を殺して。」
「……?なぜだ。」
「この身体は、実験で一人分の霊魂を、それに私達の集めた幽霊、きょーちゃんまで「喰ってる」。けど、まるで足りないんだ。いずれ私も喰われる。」
彼女は続ける。
「身体が完璧すぎるんだ。多分人工的に作られた身体なんだろうね。すごいや。身体のスペックにまるで魂が追い付かない。だからこそ、私は乗っ取る以外の道はなかった。」
ほら、早く。と。
「本当にいいのか。」
「私はね。別に何でもいいんだ。もう、生きようと思っていた頃のことは忘れた。それに、この身体に、きょーちゃんもいるんだ。そう考えると、まだ楽しそうじゃない?」
そろそろ、だ。
彼女は両手を広げて胸を張る。
「後は任せた!」
が、既にそれは遅い。
一瞬後。正気が消え去った瞳が、その両の腕をつじを殺すために閉じる。速度は究極。
つじは、動かなかった。
「身体も作り物だったのか。」
少なくとも、既に動作を終えた状態を、動くとは呼ばないだろう。
ナイフは肋骨を刺し砕き、的確に心臓を突き壊している。
彼の脳を少しだけ揺さぶる手のひらは、もう先ほどまでの力を残していない。
「少しは遠慮してたんだがな。作り物に掛ける遠慮は残ってないみたいだ。」
右手を顎に、左手を頭に。
ゼロ距離までを詰めた彼は「それ」を逃さぬように、首を捕まえる。
「了解、任された。」
それくらいの仕事は、ただで引き受けてやる。
一息遅れで放った答えは、もう直接届きはしないだろうが、気休めのような微かな希望に掛けてみるのも、悪くない。
と、地へと崩れ落ちた透明の「それ」に背を向けた。
直後に感じたのは衝撃と言うにはあまりにも大きな何かと、何かが壊れて建物を維持することができなくなった音。後は少しの幻聴だけだった。
「あぁんのやろぉ……。」
柄になく人の死を嘆いてみたのに、爆発するなんて聞いてねぇ。
爆発。それは本来なら幽霊の解放程度の意味しかもたなかったはずだが、しかしいかんせん量が多かったのか。
ビルまるごとを崩壊させる規模になった。
土埃まみれになってしまった。しかし特にこれといって特に致命傷になるような怪我の仕方はしていなかった。
「七階だぞ……?」
俺が急に強化された、なんていう落ちを想像して、一人で否定する。
それはあまり面白くない。
しかし、今はむしろ爽快な気分だ。ずっと感じていた、人を殺す義務感だとか息苦しさを感じなくなって、代わりになんだか達成感が残っている。
もう一度爆発音が聞こえたのはその時だった。
俺達の突入してきた入り口、だったところが、瓦礫のひとつなく綺麗になっている。
まさか、まだ殺せていなかったのか。
その中心から立ち上がったのは、立ち上がった彼女は。
防弾ジャケットにヘルメットの、職員の生き残りだった。
「……?」
何故生きているのか、てんでわからなかったが、今職員に居られると俺は逃げることが出来なくなる。
口止めでもしておこうかと近付いて、彼女に話しかける。
「ねぇ、これをやったのって貴方?」
だが、話しかけられたのは俺のほうだった。
「あぁ。お前はなんで生きてる。」
……何を尋ねてるんだ、俺は。意味のない質問だ。
彼女はちょっと笑って、
「生きる意味みたいなのを期待してるなら分からないけれど、生き残った方法を聞いてるのなら、幽霊達が守ってくれたから、かな。」
幽霊。
その単語の出てくる人物を、俺は多く知らない。もしも合っているのであれば、こいつは、
「千歳飛鳥と言います。どうぞよろしく、ですかね。一応」
「知っている。」
れーちゃんとは反対に、妙に大人っぽい子供だ。
そういう点では、京によく似ている。
「俺は京の知り合いだ。」
「お兄ちゃんの……。」
山陽に預かられていた間に何があったかは知らないが、まあ、本来の目的は達成したと言えるかもしれない。
殺人衝動も収まったし。
「京は死んだよ。れーちゃんも。」
「……お兄ちゃん……。れーちゃんは……幽霊じゃなかったですか?」
「化物相手に相討ちになった。それで。」
俺はいやに冷静だった。彼女につられたか、彼女がつられたか。
俺がそれより先を口にしようとした時、ガタッ、と。
複数の銃口がこちらを向いていた。
処分か、口封じか。どちらにせよ変わりはしない。
少女を置いていくか、連れていくか。しかしこちらは重要だ。
「―――どうする。一緒に来るか。俺が京の知り合いだからと言って、投降してはいけない理由はないし、むしろ山陽に戻る方がいいかもしれんが」
「私は、」
俺が全てを言い終わる前に、彼女が遮る。
「私は貴方に着いていくよ。だって、お兄ちゃんが託したんでしょ?」
託した?
「れーちゃんと、お兄ちゃんの匂いがする。お兄ちゃん達とは長くあってなかったし、れーちゃんなんて一回だけだけど、忘れたりなんかしないよ。」
それは、爆発の時に俺が霊魂を「喰った」からかもしれない。もしかすると、それで爆発を押さえたのかもしれない。れーちゃんの言った、「後は任せた」は、そういうことだったのかも。
「……そうか。」
やはり、れーちゃんの言った通り、この子は優しい。
優しくて、強い。
この状況で、初対面の俺にすら気を使える。
いや、単純に、「味方」が居なかっただけかもしれないが。
正義の味方。
少女の味方。
俺がそんな役割とは、笑えて来る。
彼女は幽霊であろう「何か」をずずっ、と引き釣りだして構えた。
そんな彼女と視線がかち合う。
いいだろう。今は気分がいい。
それはきっと今日のおかげで、明日もきっと幽霊のようにゆらりと、生きていくんだろう。
「行くぞ、手伝え。今日は特別な日だ。切り抜けたら、飴の一つくらいは買ってやる。」
トリック・オア・トリート、だ。
そんな俺に、
「何ですかそれ。」
と、彼女は笑った。