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路地裏のメッセージ

作者: 天海 悠









 閉店間近の雑貨店で、白髪の店主はクローズドの札を下げてやれやれと肩をひとしきりもんだ。


 今日はまあまあの人の入り、でも午後になるにつれて暇になっていき、最後はほとんど居眠りをしていたかもしれない。


 それはあんまりソフトな音だったので最初は気づかなかった。


 たん

 たん たん


 雨でも降ってきたのかとすりガラスに暗い窓の外を覗いてみた。

 雨粒が当たっている気配はない。


 タン タタン

 だし

 だし


 さっきよりも強めの音がした。

 辛抱強くいつまでも定期的に。

 取るまで鳴り続ける控えめな電話の着信音のように。


 やっと気がついてクローズドの札が下がった扉の外に大きな影があることに気がついた。


 こりゃいかん。


 眼鏡を押し上げて白髪の頭をかきかき、開き戸を押し開いてみる。


 そこには店主よりもはるかに大きな、見上げるほど大きな毛むくじゃらの猫が立っていた。うわっと見上げると皿ほどもある大きな目の中、瞳孔が縦になって細く光る。


 襲いかかって食べられるかと思ったが、じっと立っているだけだ。

 恐る恐る尋ねてみる。


「どうしました」

「閉店ですか」

「ああ…まあ。でもいいですよ。どうぞ」


 閉店の札はそのままに、店主は客を招き入れた。

 奇妙な客は辺りを見回し、何かを探すように後足で二歩三歩店内を歩き回った。器用なものだ。妙な事に感心して店主は巨体を支えるあとあしをじっと眺めた。


 ごく一般的な雑貨に混じって魚の模型と昆虫標本にマニアックな本、こんな客が好みそうな品ぞろえなのかもしれなかった。


 店内をゆっくりと動き回る。音はまるでしない。

 だがそのうち、爪が床を噛む小さなカチカチという音は聞き分けられるようになった。


 店主は黙っていたし客がそれっきり何も言わないので、店の中はしんと海の底のような沈黙に満たされた。


「これです」


 客はわずかにかがんで前足で何かを差した。

 魚の形を模した小鉢がある。


「これがいいんですか」

「それにしてください」


 随分礼儀正しい猫だ。自分勝手で気まぐれなイメージとはかなり違う。


「ご自宅用ですか」

「プレゼント包装にしてください。色は青で」


 客はそこでやっと前足を下ろして普通の猫型の姿になった。そうなるとあれほど大きかった姿が急激に縮んで、ごく普通の一般的な猫と変わりない大きさになる。


 ちょこんと座り込んでいる猫を前に店主は鉢を包みながら狐につままれたというよりも猫につままれた気分でリボンをかけた。

少し考えて猫が咥えやすいように包みの紐を小さく輪っかにして調えた。

 鉢自体はそんなに大きなものではない。


「はいどうぞ」


 床にかがんで客に品物を渡すと相手は器用に口で紐を噛み、ついと背中を向けてスタスタと入り口に向かって歩く。


 引き戸を開けてやるとひょいと敷居を飛び越えて悠々と路地の奥に去っていった。


 薄暗い視界の中で、小包を咥えたまま塀の上に飛び上がるのが見え、それから姿は見えなくなった。


 はあこれはまた一体どういうことなんだろうか。


 陽はもう落ちかかっている。


 店主は店に戻ってそこにクローズドの札が下がっているのを見て中に入り、今度こそ内側から鍵をかけた。

 確かに棚にあったはずの魚を模した小さな鉢は姿を消している。

 プレゼント用に出した青いリボンもはさみもまだカウンターの上にある。


 そうだお代をもらわなかったぞ。


 はっと気がついて腰を浮かしかけ、それから座った。


 まあいいさ、猫だから。


 食事のあと、電卓を手に帳簿と向き合っている連れ合いに聞いた。


「今日の会計、おかしなところはないか」

「どうして」


 連れ合いは驚いたようにちょっとメガネをずらしてこちらを見る。


「何もおかしなところなかったよ」

「午後はお客少なかったなあ」

「閉店後に一人来てるね」

「本当か」

「ええ、ここに精算レシートが残ってる」

「会計はおかしなところはないか」

「変なこと聞くね。ぴったりだよ」


 それから連れ合いはひとり言のようにつぶやいた。


「そうかあの鉢売れちゃったんだね。結構お気に入りだったんだけど」


 コトンと音がして二人で立ち上がり裏口に回る。小さな包みがそこにあった。


 連れ合いのばあさんが不思議そうにそれをは拾い上げて開くと中には魚を模した小さな鉢が入っていた。


 青いリボンが揺れる。プレゼント包装の紙の上に、小さく引っ掻いたようなカタカナ文字が読めた。


 イツモアリガト

 スキ


 二人で顔を見合わせ、あっけにとられて立ち尽くす。小さな町の細い路地にはもう影が落ちて、軒や植木鉢やとい、ガスボンベや不規則に付きだした凸凹の木材、何に使うのかわからない箱や掃除用品、塀替わりの木々が複雑にからみあう。


 何が潜んで息を潜め事態を見守っているのか、どんなに目を凝らしても見えはしないが、店主はそういやしまったなと首を曲げて引っ掻いた。


 そういや今日は婆さんの誕生日だった。













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