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6頁目「幽霊」

 急な話で申し訳ないけど、僕は個人的に気になることがあるんだ。君についてとも言えるし、これは僕たちのこととも言えるんだ。これはとても大切な話とも言えるしそうでない話ともいえるんだけど、聞いても良いかな?


 昔……それこそ僕があの村から追い出される前、歩いていると耳にすることがあった。いくら避けられ蔑まれようと、入ってくる話はいくつかある。それは風が音を乗せて、この貧弱な耳に届けてくれる。幸い、その内容は、遥か前の方の日記のページの切れ端にメモしてあった。


「あんた、ゴーストを知っているかい?」

「ゴースト?」

「この村の近くに墓地があるんだけどね、そこから、でる、らしいんだよ。ゴーストが」

「そんなわけないよ。あの墓地がいつまであったと思ってるんだい。そんなこと言ったら、今頃ここのもんは皆おっ死んでるさ」

「分からないよ? もしたら案外近くにいるかもしれないね。例えば……」


 日記の会話のメモはここで途切れている。残念ながらこの先はまだ話すわけにもいかないんだ。はっきり言って僕も詳しくは覚えていないしね。忘れっぽいのさ、僕は。

 

 ああ、聞きたいことだったね。僕が聞きたいのは、君はゴーストと聞いて何を思い浮かべるか、ということだ。直訳したままの幽霊か、それとも別の何かか。幽霊といっても人によっては色々な解釈があるだろう。自分の祖父や祖母、もしくは両親が死んだ後のような身近な存在を思い浮かべるだろうか。それとも明かりは全くないのになぜか仄かに青白い光が見える、薄暗い廃墟の仲に佇む悪霊を思い浮かべるだろうか。それこそ、誠に酷い呪いをかけられるような。


 では、ゴーストが霊的なものではなければ君は何を思い浮かべるだろう。その場合、少なくともそれを良心的なものであったり楽しげなものであったりする人は少ないのではないだろう。「ゴーストライター」なんて言葉があるくらいだ。良いようには見られていないのは違いない。悪寒、視線、気配、でもその気配は薄い。それは目には見えないかもしれない。正体不明、でもなぜかそこにある。

 これを例えるならば何だろう。ストーカー? でもそれは少し具体的すぎであり率直すぎる。それはもっと概念的なものだ。


 君は「ゴースト」を知っているかい?




──────




『起、きろ、起き、ろ、起きろ、起きろ』


 何の声だろう。闇の褥の中、一筋の光……というにはあまりにも淀んでいる音が響く。淀んでいるうえにくぐもっていて心地いいものではない声だ。それは間違いなく、この僕に語りかけられていた。


「――……っはぁ!!」


 僕は飛び起きた。長く眠っていたはずなのに目は冴えている。ただそこは外だった。雑草が生え散らかり石が転がっている土の上に寝ていた。最悪のベッドだ。たが頭痛がするのと変に汗をかいている理由はそれだけではないだろう。それは、長い長い悪夢からの目覚めだった。


『やっと起きたな、ネロ』


 いや、まだ目は覚めていないようだ。


「誰!? 一体何を……!」


 飛び起きて更に目が冴えてくると、より多くのことを思い出してくる。普段からは信じられないほどにつり上がった口元と、新月のように光のない目をした妹を。そして、表情も分からずただこちらを見下ろしていたバンデンの姿を。そして何よりも、あのどろどろとした赤い光景を。だけどどこを見渡してもそれはない。あるのは見なれた光景だけだった。針葉樹に囲まれた円の中心、小川が何本かある空間。木でできた家。それは僕とグラシーの家だった。


「何で、何で?」


 もう何も分からない。分かるのは意味も分からず飛びだす間抜けな声と、何もないところから響く不思議で濁った気持ち悪い声だけだ。


「そうだ、家だ! 家に……!」


 僕は妹といたあの時間に戻ろうと、あるいはすがろうとするように、家の扉に一度転びそうになりながら駆け寄った。そして扉を引いた。


「あれ、開かない?」


 扉とは引いたら開く。そういうものだ。僕の貧弱な記憶能力でも、ここを出る前に鍵をかけた覚えなどないのだ。鍵をかけていない扉でしかも自分の家。だけどどういうわけか開かない。


『今はだめだ』

「なんだって?」

『ここにはしばらく、戻れない』


 家の主を差し置いて頭に直接響く不快な声が開かない扉の答えを示した。


『君は今、ここを離れるべきだろう』

「なんであんたに家のことを決められなければならない! そうだ、妹は……グラシーはどこだ!」


 聞きたいことが山ほどあった。なぜ自分が今ここに倒れていたかがだんだん鮮明に思い出されていったからだ。それは僕の目の前にある古びた木の家が無言で語ってくれていた。この不快な声があの地獄のような光景と関係があるのかは分からない。けれど、こうして叫ぶしかなかった。


 しばらく扉を力一杯に叩いていた。木でできた、あまり丈夫とは言えないような扉だ。自分たちで作ったものだから簡単に分かる。一生懸命造ったけど、自然のものを自ら切り出して使うのは骨が折れる話だった。不備も結構ある。だから、鉄の壁も壊す勢いで殴れば、この扉も長くはもたないはずだし、少なくともちょっとの隙間は開くはず。けれどそれこそ鉄の壁のようにびくともしないのだ。


『ここからは一度離れるべきだ。この森から、一度出ていくべきだ』

「どうしてだ! いいからグラシーはどこか教えてくれ! 頼むから……!」


 普段叫ばない僕がどこから声を出していたのかは分からない。ただ、それだけ必死だった。妹はいない。それに、そんな妹と過ごした場所にも入ることができない。あの僕の知らない、赤い光景の中で不気味な笑顔を見せる妹のところへさえも。それがひたすらいらただしくてしょうがなかった。僕は膝に力が入らなくなり、家の前で崩れ落ちていた。目から溢れる水と一緒に気力が抜け落ちていくようだ。僕はこの瞬間全てを失った気分だった。地道稼いだ財産も、大事な存在も。もうどうなってもいいという考えが浮かんだりもした。だけど、そんな考えを首を振って何とか追い出した。


「……くそっ」


 長らくついたことがない暴言を吐きながら、僕はふらふらと立ちあがって、軸の狂った機械のようにふらふらと街の方へと歩いて行った。家にも入れないのならこうするしかない。結果的に不快な声に従うことになるのは自分でも嫌気がさしたけど、こうするしか他はないと頭に言い聞かせた。


『そうだ、それで良い。ネロ、君は見つけなければいけないんだ』


 僕はふらふらといくつもの木々を通り過ぎていく。鬱蒼とした森の中、その暗闇が更に心をむしばんでいく。それでも歩き続けた。不快な声が言うようにその先に答えがあると信じているかのように。


『君が、何のために生まれ、何のために生きなければならないのかを……』


 伸びないはずの草木と、変わらないはずの家の一部が変色しているのを後にして。

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