4頁目「帰郷」
──コンコン。──コンコン。──コンコン。
家の中も外もジメジメとしていて、気温は35度はあるように感じた。森の中でさえこの気温なのだから、きっと森より外はもっと蒸している。にも関わらず男は今日もノックをしている。
バンデンが初めて来た日から何日が経過したかはわからない。日記には特筆すべきことがなければ何も書かないため、ページを辿っても何回男がここに訪れたか、正確にはわからない。
毎日毎日、バンデンはここに通い続けていた。雲ひとつ浮かばない暑い日も、子どもの肩たたきのような雨が降りしきる日も。
しかし、バンデンがここに来るのは今日で最後になるだろう。
ノックの音がすると僕はドアを勢いよく開いた。いつかの日と同じく男が痛みを訴える。輪郭のはっきりしない低い声で。
「わかった。話を聞くよ」僕はおはようも無視してごめんも無くそう言った。
「ア、リガとう」と、バンデンは言った。
久しぶりに聞いたノイズ混じりの低い声はやはり不気味だ。しかし、何処か新鮮なものを感じられるような気もする。黒髪の中に1本だけ交じる白髪のような親しさに似ている。
バンデンは仮面に嵌め込まれた青い玉を仮面ごと僕の妹へと向けた。
僕は妹を制するように後ろに手を向ける。
「話は聞くけど、それは僕だけだ。僕の妹は巻き込まないでくれ」
「カノジョ もリーナム村の、出身のは、ず」バンデンが青い玉に僕を映す。
「まず話をしよう。僕の妹に内容を伝えるかどうかは僕が決める」
僕が青い玉を睨みそう言うと、バンデンは凸凹のある笑い声を上げた。そこに感情というものは感じとれない。どこまでも無機質な笑いが鉄の仮面から聞こえてくる。
「キョウ ダ、イ 愛」彼は平坦な調子で僕に尋ねた。
「お兄ちゃんならこれくらいやって当然だと、僕は思ってるよ」
「良い オニイ、ちゃん」
声は相変わらず低くてノイズの入った無表情なものだったけど、鉄の仮面の向こうで彼が微笑んだのを僕は感じた。あるいはそれは僕の思い違いかもしれない。
「おジャ マし、ました」
山高帽のつばに鉄の手を添えて軽く礼をしてから、バンデンは家を離れて森に向かって行く。その動作は平滑で慣れているようだった。少なくとも喋るよりかは。
「すぐ戻ってくると思うから、グラシーはここで待っててくれ」と、僕は妹に向かってそう言った。
そうそう、そう言えば君たちにはまだ僕と妹の名前を伝えていなかったね。森に篭もっていると名乗る機会も少なくてね、失念していたよ。
僕はネロ。妹はグラシー。
僕は妹を呼ぶことがあまりないし、妹は僕のことをお兄ちゃんと呼ぶから、名前の出番というのは極めて稀かもしれない。僕と妹以外の人なら呼称として名前を用いるかもしれないけれど、不老不死となってから人との接触は避けているからそもそも親しくなる人がない。でもまあ、頭の片隅くらいに僕と妹の名前を置いといてくれ。
バンデンの姿を追って僕は鬱蒼とした針葉樹の中に紛れる。彼の黒いローブは針葉樹の影に上手く溶け込む。見つけるのには少し苦労した。
彼を発見したのは家から100メートルほど離れた所だった。右手に持つ杖にもたれて木の影に佇んでいる。その様子は異様で、僕の知らないどこかの世界の“入口”かあるいは“出口”のように思えた。鉄とローブを纏った嘴の男がその門番だ。僕は近くにあった木の幹に背中をあずける。
「ノロ、い につい、て聞く」とバンデンは言った。
僕は肯く。
「ワタ、シタチは ノロいをカイジュす、る」
「解呪……?」
僕は驚いて言葉を反芻した。彼はそれに肯く。
「つまりそれは不老不死の呪いを解呪できる」戸惑いから、僕はバンデンのような疑問符をつけない喋り方で尋ねた。
「キョ、ウミ ある」また仮面の青い玉に僕が映る。
僕は自分を見つめながら言葉を探す。「興味はある。教えてくれ、その方法を」
バンデンはほんの少し嬉しそうに──あくまで僕がそう捉えているだけだが──仮面を縦に揺らした。それから低くてノイズの入った声で説明を始める。
“解呪の魔法陣”。北ミクロネル島という離島の傍に浮かぶ島にそれはあるらしい。それはその名の通りどんな呪いも解くことができる。説明終わり。
「え? 方法ってそれだけ?」と片眉を寄せて僕は言った。
「ワタ シがツれ、ていく」
「それで?」
「ワタ シがマホ、ウジンを発動 させ、る」
「それはバンデンでなければできない」
「ワタ シでな、いとデキな い」
「ふぅ……」僕は肺の中の空気を吐き出した。「参ったな」
それは僕にとってはとても魅力的に聞こえた。このバンデンという男──背格好から僕がそう予想している──を信用できるならの話だが。当時の僕は不老不死というのに疲弊していた。不老不死というのは波も方角も無い海を漂っているようなものだ。寿命のある人間は休んでいてもゴールへと海流が運んでいくが、不老不死の呪いは海底に沈む錨のようなものだった。
「これは妹に伝えることにするよ。悪いけど、1日くれないか?」
「ココ ロのジュンビ 」と低くてノイズの入った声でバンデンが言った。
僕は森でバンデンと別れてすぐ家に帰った。妹は僕の心配など露ほどもしていなかったらしく、
「あ、早かったね」
が、おかえりの代わりだった。
僕はそれに「ただいま」と返してから、解呪の話を始めた。
一通りの説明を終えると妹は「へぇ」と某ボタン1回押したかのような呟きを漏らしてから読書に戻った。僕は本を妹から取り上げる。
「あ、ちょっと」抗議の声をあげる妹。
「これからどうするか、っていう話をしようとした矢先に本を読み始めるなよ……」
「知らないよ」
「いや、知らないは無いだろ……自分のことだぞ?」
「はぁ」妹は呆れた、と言った感じにため息を漏らした。「それ、ブーメランだよ。お兄ちゃんこそどうしたいの?」
そう言われて少し考えた。錨を抱えてこのまま海に漂い続けるか、走錨してどことも分からないゴールに打ち上げられるか。
「……僕は、解呪するべきだ思う」
「じゃあそうしよう」妹はあっさりと言った。
「いや、僕に意見を言わせたんだから、自分もちゃんと言いなよ」
不公平だ。と言いながら、僕はなんだか子供っぽいことを言ってるなと思った。
「私はお兄ちゃんに付いて行くよ。どこまでも」
堂々と綺麗に微笑んで妹はそう言った。
「……ゾッとすること言うなよ。なに? トイレまでついてくるつもり?」僕は少し見とれてから茶を濁した。はぐらかしながらも、僕は内心本当に嬉しく思っていた。
翌日。
──コンコン。──コンコン。──コンコン。
ここ数日……いや、数ヶ月で随分と聞き慣れてしまったその音がドアから響く。今日は過去2回とは違い丁寧に開いた。
「ではイこ、う」
バンデンは僕がドアを開いたと同時にそう言った。行くのか行かないのかを聞くことも無いし、覚悟を問うことも無い。
僕は妹と並んで家を出た。
「北ミクロネル島……だったっけ? にはどうやって行くんだ?」
「キタミ、クロネ ルトウの近く のリ、トウにはカン、タンにイく」とバンデンは答えともならない答え方をした。「ツカ、む」
そう言うとバンデンは右手につっかえていた杖を僕と妹の前に突きだした。頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらも杖をそっと掴む。手のひらにひんやりとした感触があったのと一緒に激しい目眩がした。
「なッ……!」
目眩を振り落とすように頭を振ってから辺りを見回すと、そこは一変していた。僕たちは半径10メートル程の広間にたっていた。針葉樹の代わりに常緑樹が周りを囲んでいる。東の空の低いところにいた太陽は真上にいた。時差があるのか、はたまた僕が気づいていないだけで何時間か経っているのか、どちらかは分からない。
しかし何よりも驚かされたのは、僕たちのいる広間の地面いっぱいに幾何学模様が描かれていたことだった。
「バンデン……これは、一体」戸惑いの沈黙を僕が破る。
「転移し、た」バンデンが簡素に答えた。
「……魔法使いだったのか?」
「あるい はそうか もし、れない」
バンデンは杖で幾何学模様の中心をさした。沢山の疑問を抱えながら僕と妹は杖のさした場所に引き寄せられるように歩いて向かう。
僕と妹が中心に立つとバンデンは何やら呟き始めた。それはいつもの低くてノイズの入った声で、この距離では聞き取ることすら困難だった。
突如、魔法陣が光り輝き、身体から力が抜け落ちて地面へと崩れ落ちた。隣に妹の身体が同様に落ちる。
ただ、それだけだった。
あまりにも呆気なくバンデンの言う“解呪”は終わったらしかった。あの後、意識が無くなった僕と妹はバンデンにより家に戻されていた(メモ書きが机に置いてあった)。今朝目が覚めるとベッドの上で眠っていた。
……不老不死の呪いが解けたという実感はあまりない。
もし、誰かがバンデンとかいう男のことは全て夢だった、と言ったら僕は素直にそれを信じただろう。それほどなんの突拍子も脈絡もなく、実感の無い出来事だった。
僕に少し遅れて妹が横で目を覚ました。ベッドが少し軋む。
「……? なんだか魔法の力が強くなった?」
起きがけにそんなことを呟いた妹。その口調はたどたどしく、目はどこを見ているのか不明な虚ろなものだった。
ベッドから妹は抜け出して、寝癖をつけたまま何かに惹かれるように外へと出た。
「お兄ちゃん……私やりたいことがあるんだ」妹はそう言って針葉樹林に紛れていく。
僕は急いでベッドから出て妹の後を追いかける。服装は昨日と同じ物のままだ。
妹の後ろを何も言わずについて行く。妹の歩き方は整然としていてどこか目的にがあるようだった。考えていたのは昨日のことだ。いや、もっと前からのことかもしれない。バンデンが始めて家に来た日のことを思い出していた。あの日は本当にあったのか? いや、あれは“どれくらい前の話”だった? 不老不死の身体になってからというものの、時間の流れが普通とは違うように感じられていた。バンデンにはいつあった? しかし、あの不気味で無機質なノックの音は今耳元で響いているかのように鮮明に思い出すことが出来た。
──コンコン。──コンコン。──コンコン。
あのリズムを頭に思い浮かべながら妹の後ろを付いていく。
ここで急だけど君たちに聞いてみたいことがある。俺にはよくあった話なのだけれど、考え事をしながら散歩をしているとここがどこなのか分からなくなる、なんてこと君たちにはあったかい?
今回もバンデンや解呪のことを考えながら歩いていた。だから、妹が向かっていた場所はわからなかったし、既についていることにも気づいていなかった。
──ビ チャ……。
生暖かくヌメリのある“赤い液体”が顔に飛び散った。僕はそれに驚いて顔を上げた。
妹が手の平から爆発魔法──火球を村に放っていた。
その村は──
「リーナム村……」
地面にはパン屋のおばさんの顔や腕がちぎれ、無残な形で置かれていた。
「あ、ははぁ……」妹の恍惚の笑顔はリーナム村へと向けられていた。




