1頁目「転落」
これは僕と妹が、針葉樹林の中でひっそりと暮らす物語だ。君たちには僕が独断と偏見で抜擢した、日記の数ページを見てもらう。
では、君たちに語る1ページ目を僕が読みあげよう。
これは日記の1ページ目。そこには稼働し始めたジェットコースターの事ではなく、坂を登りきりジェットコースターが重力に引かれて落下し始めたシーンが書かれている。
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「この魔女め!」
それはパン屋のおばさんが僕の妹に向けて言った台詞だ。いつもは優しい笑顔を浮かべて村の皆に硬いパンを売っているおばさん。しかし、妹に叫んだ時のおばさんの顔に優しさの鱗片はなく、緊迫と恐怖に塗りつぶされていた。
並べたドミノを途中から倒した時みたいに、おばさんを皮切りとして村人のその殆どが妹に非難の声をあげ始めた。
詳細は日記には書かれていないから、君たちに伝えることは出来ない。当時の僕は妹の隣に立ってその叫びを耳にはしていたけれど、聴いてはいなかったんだ。困惑していたっていうのもあるけど、僕はせいぜい2人までの声しか聞き分けることが出来ないんだ。人間の脳みそってのは通常そういう仕組みだからね。
だから僕は、彼らの慟哭、あるいは号哭を聞き分けることはできなかったんだ。
叫んでいた内容はどれも似たようなものだったけれど、僕にはそれがきちんとした輪郭を保った言語としては聞こえなかった。どこもかしこも違う絵を見せられて「さぁ、どこが違うのか答えてごらん?」と言われても直ぐに答えられないのといっしょでね。
だから僕は実際にあった事実だけを、君たちに語るよ。
パン屋のおばさんが言っていた通りに僕の妹は魔女だ。けれども、すっごく脆弱な魔女だったんだ。いや、過去形で言ったけど妹は今なおひ弱だ。実のところ妹の魔女としての力はどんどんと羸弱している。
だから村人らが危惧したようなことを妹が出来るはずがないんだ。
──村にいた全ての人に不老不死の呪いがかけられた。
“呪い”というのは高等な魔術に属するもので、不老不死の呪いともなると、この星には扱える人は一人もいないんじゃないかな。もちろん、僕の妹を含めてね。
けれども、僕たちが生まれ育った(もう育つことは無いけれど)村には妹以外の魔女も魔法使いもいなかった。だから、白羽の矢が妹に立つのは必然だったと思う。それは何となくわかるけれど、許せるものではない。今思い出しても胃の底に大きな重りが置かれるような怒りを覚える。これは今の僕が感じることのできる少ない“人間らしい感情”のひとつだったりする。
たとえば、君たちが通っている又は通っていた学校に落書きがされたとしよう。
放課後の部活終わりにトイレに行くと、個室トイレの扉にスプレーでデカデカと「〇〇死ね」と書かれていたとする。名前はその学校に勤務する教師の名前だ。
君たちは真っ先に誰を疑う? きっと学校一のやんちゃ者に疑いをかけるんじゃないかな? ちなみに、僕だったらそうする。
真偽は定かでないにしろ、やんちゃ者は教師たちに呼び出されて説教される。
そしたらきっと君たちはそのやんちゃ者を遠ざけるんじゃないかな。
もしかしたら正しい制裁で、もしかしたら間違いだらけの制裁がやんちゃ者にくだる。
今回の場合。落書きは不老不死の呪いに置き換えられて、やんちゃ者の席には僕の妹ざたまたま座ってしまった。
そして妹にくだされた制裁は村からの追放。出入り禁止。関与禁止。
それは村人のジレンマからなる八つ当たりのようなものだった。死にたくない、永遠に生きていたい。死にたい、生きるのには疲れた早く我々を殺してくれ。
背反する想いを直ぐに身のうちに留めておけなくなって放出される。その行先が僕の妹だったってだけの話だ。
何を食べなくても死ぬことはない──お腹はすくし、欲求は収まらないけどね。
怪我をして痛みを感じても気づくと治っている──僕はなったことは無いけれど、身体がペタンコになっても粉々になっても気づいたら体は元に戻る。村人が幾度となく試していた。
呪いをかけられた村人は毎晩のように“最後の晩餐”とのたまっては自殺を繰り返した。きっと今この時も。
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僕と妹はどこともない森の少し開けた場所に木の家を建てて、今は暮らしている。ちなみに僕が1人で建てた。
村から追放されてどれくらいたったかは分からない。不老不死にとって時間は重要なことではない。
僕と妹には生きることや死ぬことは問題にされていない。レーゾンデートル──存在理由も問題にはされてない。
僕は妹と一緒にいられれば問題を抱えない。妹はどうかは分からないけどね。
僕と妹の家の周りは針葉樹が鬱蒼としている。コンパスを回して書いたみたいな円の中にくるぶしを擽る長さの草花が生えている。手入れをしなくても不思議と長さが変わることは無いんだ。魔法で時間を停められているみたいだ。
コンパスの針の部分には一室しかない大きな木の家がある。家具はそのほとんどが自前だが一通り揃っている。冷蔵庫は無いけどね。だけど本は沢山ある。
何か食べたくなれば、又は家にある本を全て読み終わると近くの街に出向いてご飯を食べる。あそこは行くたびに景観が変わる街だから、街に出向く時の僕は珍しくわくわくしている。ご飯を食べに行くついでとして本もよく買う。沢山買う。一生かけても読めないくらいの本を僕と妹で頑張って家まで運ぶ。両手いっぱいに持って背負ったリュックもパンパンになる。本を読み終わったらまた街に行ってご飯のついでに本を買う。
不老不死でも、本ばかりを読んでいると死にそうな気分になる。そういった時は森の近隣にある都に行くんだ。僕と妹の住む森の近くには幾つか都があるんだけど、それらの景観が変わることはあまりなく、わくわくするような事もない。1回だけ都があったはずの場所が更地になっていた事があったな。不思議だよね。
と、言った具合に君たちに僕と妹の物語、その“冒頭”を聴いてもらったんだけど、どうだったかな? 退屈だったかな? と言っても僕さには退屈っていう概念が上手く解釈することが出来なくなってきているのだけれども。
最初も言ったように、これはまだジェットコースターが1つ目の坂を重力に引かれて降っただけ。これから先も坂を登って、また降るだろう。人生って“そういうもの”でしょ? まあ、僕のジェットコースターは転ぶことも止まることも、果てに着くことも知らないらしいけどね。