第二ノ四話 「栃木県 駅前焼き鳥店の焼き鳥とオジサン二人 その二」
遅くなりました。あと、長くなっちゃいました。
「え、あぁ、はい。ありがとう、ございます……」
俺は、笑う髭オジサンに対して畏まった返事をした。
「おう、お兄ちゃん。そんなもん持ってどうすんだよ?」
こちらから見て奥に座っているオジサン――眼鏡のオジサンが、俺の右手にあるビールジョッキを指差して言った。
「え、あっ、すみません」
……何で謝ったんだ? 俺は。
「何で謝るんだ? おめぇ」
「え? あ、な、なんででしょうかね?」
タハハと乾いた笑いをしながら、俺は席へと着いた。
変な緊張が、胸の辺りを駆け回る。
まさか、心の中で思った事をそのまま言われるとは。見透かされているようで、肩ばかりが縮こまってしまう。
「坊主、さっき来たばかりだろ? それが一杯目なんだろ? じゃあまだ飲めるよな」
坊主との呼び方が定着した髭のオジサンは、片手で大きな声で店員を呼ぶと、一言。
「生中一つ。あと……日本酒を冷で二つ。さっきと同じ『門外不出』でね」
店員は「はい――かし」とまで言い掛けたところで伝票を見て止まった。
「あのぅ、お客様のご注文は生中ですか? それとも冷の方ですか?」
店員は俺に視線を向けて言った。……別に俺が頼んだものじゃないんだから、そう聞かれても困るのだが。
きっと、オジサンは俺の為に生中を頼んでくれたのだろう。だから俺は生中と言おうとしたのだが、それよりも前に髭のオジサンが店員に言った。
「あぁ、これはオレのおごりだ。だからこっちの伝票に書いてくれ」
カウンターの席番号を指差して、そう告げた。
「えっ!? そんな、悪いです!」
当然ながら、俺はこんな反応をする。
俺は近くにあった伝票を手に取るが、髭のオジサンはかぶりを左右に振り、掌を俺に向ける。
「良いって事よ、袖振り合うも多生の縁って言うだろ?」
と、俺が持っていた自分の伝票を軽めに引ったくり、再度カウンターの上に戻した。
「……あ、ありがとう、ございます」
イカン。
イカンイカン。
さっきから歯車がずれっぱなしだ。会話の切れ味も錆びまくり。
悪い人たちではないんだろうが、この怒涛のハプニングの連続。
縮こまる肩がさらに委縮する俺、それに伴ってどんどん冷めていく焼き鳥達……。
なんだ、この空間は。一体なんなんだ。
さっきまで俺は独りでまったりと飲んでいたはずなのに、なぜこう居酒屋で肩身の狭い思いをしなければならないのだ。
そうだ。そもそもの話、なぜ俺は手招きをされてバカ正直に寄っていったのだろう?
小学生の頃、習ったはずだ。『怪しいオジサンの後には付いて行かないように』って。
その教訓を俺はしっかりと身体に刻み込み、当時道を尋ねに来た人や頑張って日本語を話す外国人にだって半ば敵意を向けて過ごしてきた。
人を見たら泥棒と思えという、学校にはとんと予測もつかなかった自己保護がしっかりしている小学生の俺が、なぜ大人になってホイホイ付いて行ってしまったのだろう?
大人の余裕というやつなのか? 何にしても、大失敗だ。
「坊主、あんた歳は?」
「――はっ? あ、えぇ。に、二十一です」
「二十一!? じゃあゲンさん、あんたんとこの孫と一緒じゃねぇか!」
髭オジサンは、ゲンというメガネのオジサンに視線を移す。
「へぇ、おめぇ二十一には見えねぇな。大学に通ってるのかい?」
「あぁ、大学には……。前、専門学校に通っていたんですがちょっと事情があって辞めてしまって。今はアルバイトをしながらフリーターをやっています」
「ほーぅ。俺にもよ、今年二十一になる孫がいるんだけどよ、そいつがこれまたホント甲斐性無しでよ、髪なんか”まっちゃっちゃ”に染め上げちまってよ、言葉遣いったらありゃぁしない! そのくせ外弁慶で、家に一人でいる時なんかまぁ稀だけどよ、まるで貰ってきた猫のように大人しいんだ。オレもおめぇのような孫が欲しかったよぉ」
ゲンさんは何故かメガネを外し、お猪口に視線を落としてブツブツと呟く。
それを見た髭オジサンはガハハと大口を開けて笑うと、バンバンとゲンさんの背中を叩いた。
「そうは言うけどゲンさん、あんた『ヨウスケくん』がまだ小さい頃、よく知り合い中に見せびらかしていたろう! 背中におんぶしてよ、ありゃぁ鬱陶しかったろうな、ヨウスケくん。だからスネたんじゃねぇのか?」
「おいおい、勘弁してくれよサンさん!」
ゲンさんもナハハと笑う。
…………笑いどころが分からない。
「お客様、お待たせいたしました。こちら生中と日本酒冷ですね」
そんな中、店員がお盆に乗せてドリンクを運んで来る。生中は俺の前に置かれ、冷えたガラスの徳利に入れられた日本酒二つはオジサン二人の前に置かれた。
「それじゃ坊主、乾杯だ」
酔っているにも関わらず、あっという間に自分のお猪口へ注いだ二人のオジサンはそのお猪口を持ち上げる。
この乾杯の仕草は不思議だ。相手がグラスを持って向けると、何故かそれに釣られてついついこっちもグラスを持ち上げてしまう。
俺はジョッキの取っ手を握り締め、そして静かに持ち上げた。
「乾杯」
コチン、と小気味いい音が三人の間で鳴る。この瞬間、大好きだ。
淵に口を付け、グビリと一飲み。それを見た髭のオジサンは何やら眉を片方ひり上げる。
「お? なんだ坊主。さっきは良い飲みっぷりだったって言うのに、それしかいけねぇのかい?」
と、これ見よがしに髭のオジサンはグッと酒を呷る。お猪口だからあんまり量は入っていないだろうが、その清々しい飲み方に思わず俺はムッとした。
「――じゃあ」
そう言い、俺はビールを体内に流し入れた。傾きこそ徐々にだが、喉をゴキュゴキュと鳴らすことによって俺は聴覚的威圧感を奏でさせた。
半分までいった所だ。ゴトリ! と仰々しくジョッキの底面をカウンターに打ち付けた。
その音に思わず、だろうか。カウンター前の厨房にいる店員達や周りの客さえも、俺に視線を向けた。
「ぶっへえぇぇぁぁぁぁぁぁ!!」
そんな衆人環視の中、爽快感とゲップが同時に口から漏れ出して、どうにも格好悪い声を出してしまった。
我に返り、炭酸の刺激によるものなのか羞恥心によるものなのか、目端に涙を浮かべ、俺は心の中で「やってしまった!」と自らの行いに後悔した。
恰好が付かない、せっかく盛り上がりの良い曲なのにポーズを失敗したアイドルのようだ。いと、はじかし。
しかし、この世界はどうやら優しいらしい。
「いやー、よくやった坊主!」
両手を打ち鳴らしながら放った髭のオジサンの一言が、トリガーとなったのだろう。パチパチと焚火の音のように周りの席からも拍手が漏れ出はじめた。
いいね! 良い飲みっぷりだ! やるな、若いの! いよっ、男だねぇ!
そんな、様々な声が各所から湧いたのだ。
「……にいちゃん、よかったねぇ」
それを言ったのは店主だ。いや、店長と言えばいいだろうか? とにかく、荘厳という文字が如何にも似合いそうな男の店員が口元を緩めた。
一瞬で、俺は一時のスーパースターに変貌したのだ。
「えっ、あっ、どうも、どうも……」
羞恥心がマシマシだ。更に積まれる羞恥心は、もはや限界を通り越して一種の満足感となる。
赤くなった頬はアルコールによるものなのか、それとも照れによるものなのか。
さっきもそんな事を思ったが、今やどうでもいい。
俺はとにかく、聴こえてくる歓声を誤魔化すかのようにテキトーに選んだ焼き鳥を頬張った。
「……んぐっ!?」
口に入れて噛んだ瞬間だ。確かに、聴こえてくる歓声は自分の中で誤魔化す事が出来た。だが、入れ替わりにやって来たソイツは、それ以上に苦痛を生み出す悪魔だった。
……レバーだ。
のれんに腕押し、糠に釘。歯で噛んでも歯応えがなく、舌で味わおうものならこの臓器特有「血」の臭みが口一杯に広がり不快感を演出させる。
しかも塩。臭みと独特の旨味が更に引き立ち、俺の機嫌をどん底まで損ねてくれるマイスターだ。
「うー、くそっ」
自分を叱るように、俺はさっき手放したビールに助けを乞う。ゴキュリゴキュリと、これは意図しない喉鳴らしでなんと半分まであったビールをいつの間にやら飲み切っていた。
ぐっふう。ゲップを押し殺す。
鼻から抜けていく匂いは、ビールのホップの香りとレバーの醸し出す濃厚な血の臭いが絡み合った、地獄のような瘴気だった。
思わず俺は皿の上の半分に残ったレバーを睨み付ける。
小さい身ぶりだが、赤黒く焼かれたその姿は悪魔そのものじゃないかと見紛う。
……口の中にまだ臭みが残っている。不快だ、不愉快だ。
「あ、すみません!」
俺は片手を挙げて店員を呼び寄せる。程なくして駆け寄って来た店員に言った。
「ホッピーください」
「ホッピーはセットですか?」
「あぁ、はい。セットを、白でください」
「はい、かしこまりました」
「……兄ちゃん。おめぇ、ホッピーなんてシッブいねぇ~」
今のは眼鏡のオジサン――ゲンさんの言葉だ。お猪口を手で包み持ち、度々少量を口に運んでいる。
「あぁ、いやぁまぁ。お金がない時とかによく家で飲んでいるので」
と言いつつも、最近はホッピーもそんなに安くはない。瓶一本で安ければ百円、高くて百五十円だ。とてもお金がない時なんて言える値段では無い。
が、ゲンさんはアルコールのお陰で判断力が鈍っているのか「ふーん、そうかぁ」と言いつつチビリと日本酒を啜り飲んだ。
それにしてもゲンさん、変わった飲み方をするんだなぁ。
冷なのに、まるで真冬に燗の発する熱で手を温めながら飲んでいるようだ。しかも少しずつ。
それに反し、髭のオジサン――サンさんって言ったっけ?――はこれまた豪快。注いではかっ込み、注いではかっ込み。
あっという間に酒が無くなったガラス製の徳利を頭の上で振り「おう兄ちゃん! 酒持ってこぉい!」なんて怒号を発する。一昔前の酒好き頑固オヤジだ。今昔変わらず、典型的な嫌われ人間。
でも、俺はそんな嫌われオヤジが畏怖の存在と感じながらも、密かに心の底では憧れていたのだ。