第二ノ三話 「栃木県 駅前焼き鳥店の焼き鳥達とオジサン二人」
味覚のストレッチは最早十分に行った。あとは、焼き鳥が焼かれて出てくるのを待つのみだった。
しかし、待てど待てど焼き鳥はやって来なかった。
かれこれ十分以上は待っていると感じている。折角の漢ビールも、俺の酒豪ぶりにはどうやら負けてしまうようで、半分以下になっている。
俺は冷えたビールとアツアツの焼き鳥を交互に頬張りたいからこそ、男の中の漢ビールを注文したのだ。
それが今、ビールの泡が時間の経過と共に失せるように萎えていく。
……こんなはずでは無かった。
そもそも、焼き鳥とはここまで時間の掛るものなのか?
確かに、たまにスーパーの前などで出ている焼き鳥の屋台で焼かれている焼き鳥は出来上がるのが少し遅い。
多くの場合は、焼き鳥を最初に注文してからスーパーの中で買い物を済ませ、帰り際に受け取っていくというのが焼き鳥屋台の常套手段だ。
だから待ち時間というのはさほど気になる物では無い。
だがこれは違う。俺は今まさに待たされているのだ。
キャベツは完食した。漬物も無い。あるのは行き場を失った箸と虫の息なビールだけだ。
俺の目前は本番前の空舞台。いや、もしくは練習風景リハーサルと言った所か、こんなにも侘しいカウンターテーブルは無いかもしれない。
こういう場合、一人客はいつもどうしているのだろう? スマートフォンやらなんやらをいじって時間を潰すのだろうか。
……いや、そんなものは外道だ。
そうさ、俺はいつも思う。なぜ最近の若者は何かとあればスマートフォンをいじり出すのか。しかも、所構わず空気も読まず。
メシ食う時ぐらい、携帯やスマートフォンは仕舞えばいいのに。とにかく何かと空き時間ができると取り敢えずポケットから取り出すのだ、携帯を。
俺は、そういう若者を見ていてあまり気持ちの良いものではないと思っている。
店には、店主が何かとこだわって置いている装飾品やギミック溢れる置物があったりするもんだ。そういうのを見ずに、携帯に映し出される画面を見て何が楽しい。
世の中、経験が一番だ。見て聞いて知った耳年増な情報は信用ならん。
そして俺がそれ以上に許せないのは、携帯をいじりながらメシを食う事だ。
この前行った居酒屋にも、そんな若者が居た。
あいつは本当に許せなかった。店員とのやり取りの時も携帯から目を離す事は無く、店を出て行くまでの時間、片時も手放す事は無かった。
あれはなんだ? 携帯を手放せば死ぬ病気か何かを患っているのか?
何とも勿体ない。
しかも、その店は今のこの店と同じように、レトロな雰囲気がウリの店だったのだ。
俺は知らんが、オロナミンCやチェリオの小さいポスターのような看板が飾られていたのを覚えている。
ああいうのを見ると、きっと昭和世代に生きたオジサンたちは、会話の節々に挟み込んで酒を愉しむのだなと思いに浸れる。
それが勿体ないのだ。ああいった看板は、今や絶滅危惧種。それが生で、しかも色が剥げてとても貴重なオーラを醸し出して飾ってあるのだ。
――「あぁ、あの看板苦労して手に入れたんだろうなぁ」とか、「あの看板の商品、まだあるなぁ」とかを思う事が出来る。
それはとても重要な経験で、ある種の教養なのだ。
それを自ら文明の利器によって拒否をするとは如何な事だろうか。
……だから、俺は携帯は取り出さない。
周りの客、厨房の光景、店の装飾、間取り、耳に届いてくる音や店内の匂い。五感をフルに使った店の感じ方を、俺は待ち時間の間に愉しむとしよう。
「――お待たせいたしました」
そう思った途端だ、俺の目の前に四角形の中皿がコトリと置かれた。
それは、今まさに出来ましたぞと主張するが如くプツプツと喚き身体を奮わせている。あたたかみを表すかのような白い湯気が、俺の生唾を誘ってきた。
「こちら、焼き鳥五本盛りです」
言われなくとも分かっている。湯気と共に立ち上る炭と肉汁の合わさった香ばしい匂いが鼻にひと時の幸福をもたらしてくれるほどだ。これが焼き鳥以外の物に見えるか?
待ってました。
心の中で、思わずそう言った。
本当に待った。もう二十分……いや、一時間と思えるほどの間を。
確かに大繁盛していて、ただでさえ厨房は大変そうなのだが、ここまでおあずけを食らっているとかえって謎の達成感が俺の中で生まれる。
達成感がまさに具現化されたような、俺の今のビジョンは天国という言葉以外では言い表せないだろう。
そう、俺は今天国を目の当たりにしている。
……少し、大袈裟だったろうか?
「それでは、また何かありましたらいつでもおよびください」
そう言って、最初見た男の店員とはまた違う別の男店員が一礼して引っ込んでいく。
だが、そんな事に構っていられない。俺は、さっそく焼き鳥の串を親指と人差し指と中指で抓んだ。
中皿の右から二番目。これは……もも肉だ。
右から砂肝、もも、レバー、ハツ、つくねの順に並んでいる。特に深い意味は無いだろう。
その中でももと思われる串を俺は掴んだ。
もうウンともスンとも鳴いていない。しかし湯気は以前、盛況のままである。そのもも串を、口に躊躇なく放り入れた。
口を閉じた瞬間だ、前歯の圧に負けた肉から文字通り溢れんばかりの肉汁が絞り出てきた。
「あっふ、おっほほ、おっと」
口の端から涎なのか汁なのか、よく分からないものが滴り落ちる。俺はそれを手首で拭った。
口内はやけど寸前。口から火を吹くドラゴンよろしく湯気が噴き出る。ほら、鍋とか食べる際、熱いときに口をすぼめてやってしまうあの行為、まさにそれだ。
さっきまでキャベツとビールとで口がよく冷やされてしまったから、口が焼き鳥の熱さに対応できなかったのだろう。臨機応変に対応できないのは、俺の性格とよく似ている。
おあずけを食らう犬の気持ちがよく分かる。熱いものだと分かっているのにがっつき食らってしまう。
これは、口内炎は避けて通れないだろう。だが、今はそんな事気にしていられないのだ。
鶏。鶏なのだ。俺は、コイツが食いたくてわざわざ駅前のこの店までやってきた。
数十分、下手すると三十分と掛ったおあずけを経て、俺は今この串たちを味わう事が出来ている。
味はもうあまり分からない。
とにかく熱くて、美味くて、幸せで……。
あっという間に、もも串は無くなって気が付けば砂肝串を抓んでいた。
ビールで一旦小休止。串を掴んでいない片手でビールを持ち、半分以下のぬるいビールを漢ばりにかっ込む。
「ぐっくぅ~ッ!!」
思わず、俺はそう感嘆の鳴き声を漏らしてしまった。はっと我に返り、左右に頭を振る。案の定、カウンターに座っていた酌をしあっている二人のオジサンが、俺のその道化姿を見てニコリと頬を綻ばせた。
オジサン二人は酒で頬を染めているが、俺ときたらその醜態を晒した恥で頬を染める。叱られた犬のように首をすくめて軽いお辞儀をすると、オジサンの片割れ、髭を蓄えた仙人みたいなオジサンが小さく二回、手招きをした。
……これは、お呼ばれって意味で受け取ってもよいのだろうか?
少し訝しげに相手の心を悟ろうとする。しかし、アルコールで脳を支配された今の俺にはそんな大それた事など無謀であり、十秒もの長考を煩わしく思った俺は、ただ催眠術でも掛けられたかのように無心で席を移動した。
片手に焼き鳥の皿、もう片手に空っぽになったビールジョッキ。財布と携帯は上着のポケットにあるし、その上着は羽織ったまま。幸い、荷物は軽かった。一リットルものビールが体内に入った状態でも、移動は容易だった。
「坊主。若いのに珍しく、良い飲みっぷりじゃないか!」
席替えをして開口一番、髭のオジサンは顔をくしゃらせて言った。