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第二ノ二話 「栃木県 駅前焼き鳥店の漢ビールから旨塩キャベツまで」

「こちら、お通しです」


 そう言って先程の男店員が、ほの青い小鉢に入れられたキャベツの漬物を俺の前に置いた。

 多からず少なからず。果たしてお通しの値段がいくらなのか、今の俺には分かりかねる。値段によっては高いかもしれない、そう思うくらいのおしとやかな量で盛られていた。

 それにしても、お通しを持ってくるのが中々早い。まだ席に着いて二分と経っていないというのに……。

「それでは、ご注文お決まりでしたらいつでもお呼び――」

「あ、ちょっと待ってくださいっ」

 俺は店側の先制攻撃に思わず焦燥を感じ、去ろうとした店員を呼び止めてしまった。

 店員は短く「はい」を返事をすると踵を返そうとしていた足を戻し、オーダーを取る機会を取り出し俺に向き直る。

 …………しまった。

 向き直られた瞬間、俺はそう思った。俺は意思に反し勝手に動いた口唇に制裁を与えるべく、上歯で軽く噛む。

 俺はなんてことをしてしまったのだろう。まさか、自分でペースを乱すようなマネをするなどと……。

 店員はすでに臨戦態勢に入っている。プラスチックだかで作られたタッチペンを持つ姿は、俺を刈り取ろうとしている鷹のようだ。

 えぇい、ままだ、しょうがない。

 仕方なく、目の前にあるメニューを手に取らず、俺はすぐにでもこの店員に去ってもらおうと厨房背後に広がる壁掛けのメニューを見渡した。

 もつ煮、冷奴、唐揚げに餃子……。

 違う、食い物じゃない。飲み物だ、取り敢えず飲み物を頼みたい。

 サワーに焼酎……あった、ビール。

 銘柄は書いていない、とにかくそこには生ビールとだけ書かれていた。

 そうだ、まずはビール。取り敢えずビールを持ってきてもらい、それを飲みつつ体制を立て直そう。

 俺はいざ注文、と口を開こうとした。が、その時だ。

おとこ……ビール?」

 つい、生ビールの隣に鎮座していたメニューを読み上げてしまった。

 それを耳ざとく聞き取った店員はすかさず俺に追加攻撃を仕掛けてくる。

「あっ、気になります? あれ」

 気にならんと言ったら嘘になる。正直に俺は頷いた。

「あれは普通のビールよりも一回り二回りも大きいジョッキに入ってやって来るビールで、大体一リットル入ってるんですよ。文字通り、豪快な見た目なので漢ビール。……お客様も、漢であれば一度は挑戦してみてはいかがでしょう?」

 その店員の言葉は、まるで挑発に聴こえた。

 漢であれば一度は挑戦だと? 俺より年上そうに見えるが生意気な口を叩きおって、俺が漢じゃないような口ぶりだな。

 店員の言葉が少し癪に障った俺は「その挑戦、受けて立とう」という感情を込め、店員に言った。

「じゃあ、それ」

 ……傍から見れば俺の思いは分からないだろう。しかし、主観だからこそ感じる事が出来る。

 この時の俺は、どうも子供っぽかった。

 なぁにが癪に障っただ、店員はただ商品を勧めただけである。

 別に気を逆撫でするように言ったわけでも無し、仕事に従事していただけなのだ。

 それをなんだ俺は、無愛想に「じゃあ、それ」と店員に。

 じゃあそれじゃないだろう、まったく。

 しかし俺より年齢的にも精神的にも大人な店員はニコリと笑顔を俺に向けると、

「はい! 漢ビール入りまーす!」

 と厨房に元気よく声を掛け、さっそくそいつを作りに走った。


 漢ビールは、さほど待つことも無くすぐに出てきた。

「お待たせいたしました、漢ビールです」

 ドスンとカウンターの上に置かれたジョッキは、通常のジョッキよりもひと目見てそれと分かるくらいの重量と存在感があった。

 スーパーでたまにスーパードライの一リットル缶を見掛けた事は無いだろうか? これはあの缶一本分が丸々ジョッキの中に収まっているという事だ。

「こ、これは……凄いですねぇ」

 思わず俺は声を挙げてしまった。その言葉に店員は「でしょう?」と顔を綻ばせた。

 店員のチャラチャラな印象とその顔はどうも不釣り合いだ。まるで平成生まれの俺が、昭和の雰囲気を基本としているこの店に座っているように、不釣り合い。

 でも、街で見かけるチャラ男でもたまにはこういう顔もするもんだなぁ、と。

 俺は泡が溢れるジョッキを漢らしくグッと持ちながら、口に運んだ。

 ……あぁ、これだ。

 このガツンと喉にストレートパンチを打ってくるこの感覚。これぞビールってもんだ。

 ジョッキが冷え冷えだからか、泡も若干凝固している。口の中で雪のような泡は体温によって瞬く間に霧散していく。

 秋だというのに、こんな冷たいビールとは。だが、それがいい。ビールはやはりこうでないと。

 常温のビールより、不味い酒は無いからな。どんな美味しいビールでもだ。

「お客さん、いい飲みっぷりですね」

 おや、まだ居たのか、チャラ男くん。

「え、えぇ。まぁ」

 ゲップが出そうなのを、少し我慢。

「何か、おつまみでも出します?」

「あぁそっか、そうですよね」

 俺は下目でお通しのキャベツを一瞥する。確かに、これだけじゃぁあまりにも頼りなさ過ぎる。

 そう思って俺は、目の前にあるお品書きを引き寄せた。パラと捲ると、真っ先に焼き鳥に目がいった。

 この前も焼き鳥を食べたが……今日もビールであるならやはり焼き鳥であろう。俺は写真を指差しながら答える。

「――この、焼き鳥五本盛りを一つください」

「タレか塩がありますが」

「あっ、じゃあ塩で」

「はい。……他には?」

「え、他?」

「はい、焼き鳥は少し時間が掛りますのでその間に何かすぐ出来るおつまみを一つ頼んだ方がいいかと思いますよ」

 なるほど、そう言う事か。

 確かに、前回行った店はお通しに少しのボリュームがあったから辛抱できたが、これでは殆ど素ビール状態だ。

 素ビールより、寂しい酒の場は無いからな。どんな楽しい酒飲みでも。

 俺は左ページの『とりあえず一品』とジャンル分けされたメニューを探る。

 そこには、ありとあらゆる様々なおつまみ達が頭を揃えて並んでいた。

 その中の一番先頭、俺はメニューを見るや一番にそいつに目を惹かれた。

 『旨塩キャベツ』。

 名前だけで全てを察する事ができる。こいつは、居酒屋でよく見掛けるアイツだ。

 定番中の定番。小中規模の宴会でまずコイツが出張らなければ、後の焼き鳥や鍋などの立つ瀬がない。

 こういうキャベツとかの野菜系でまずは胃と舌を慣らしておく。そしてある程度の経験を積んだのち、焼き鳥やら唐揚げやらの油系を体内にぶち込むのだ。

 いわばこいつはそのウォーミングアップ。目の前にキャベツの漬物もあるがコイツでは少なすぎて役不足だ。それに、もしも味が淡泊だったらそもそも酒と一緒に愉しむハズであるお通しとしての役割も果たせぬまま、舞台を降りる事となるだろう。

 そうならない為にも、助演は必要なのだ。

 よし決めた。まずはコイツで舌慣らしといこう。漬物と旨塩、キャベツコンビのお笑い前座ライブだ。観客は俺とビール。この二人の前座が終わり次第、後座の焼き鳥が舞台で華々しく活躍する事が出来るのだ。

 このキャベツ達のツカミのお陰で。

「えっと、じゃあこの旨塩キャベツを」

「はい、ありがとうございます。すぐにお持ちいたしますね」

 店員はそう言葉を置き去りにすると、機械を後ろポケットに仕舞い込み去って行った。

 ようやく、一人の時間が再来してくれた。緊張が少し解けたような、そんな気がする。

 俺はもう一口、ビールを口に運んだ。

 あぁ、ビールの炭酸がすきっ腹に響く。食道から胃にかけて相撲取りが降ってくるような、そんな威力だ。

 早く何か胃に入れたい。目の前に漬物のキャベツがあるが……。これは気休めにもならん。できれば早く、旨塩キャベツをクッションにしたいものだ。

 そう思うと、美味いハズのビールがやけに不味く感じてしまう。

 まだ、俺はビール好きと豪語するほどの器は持てないようだ。


「お待たせしました! 旨塩キャベツです!」

 酒と少ないお通しが目の前にあるだけの微睡から覚まさせてくれたのは、中皿に盛られたキャベツを持って来た店員の声だった。

 まるでその声はクモの糸。俺はカンダタといったような立場であった。糸にも縋る様な思い、というわけだ。

 待ってました! と心の中で放つ俺の目の前に、キャベツは置かれる。

 生のキャベツだ。漬物の透明感とは相反し、葉の一枚一枚が白っぽい。その上に塩ダレがたっぷりと掛けられ、刻み海苔が散り散りと。その海苔と申し訳程度の黒こしょうが、色のコントラストを支えている。

 しかしこれで三百円か……。良い値段とも悪い値段ともいえない。まぁ、居酒屋なんてもんに値段の良し悪しを問う事は愚の所業だな。気にしないで、今は目先の酒とキャベツで楽しもう。

 箸を取り、まずはおあずけ状態だった漬物からいく。

 ……うん、予想通りだ。味が薄すぎる。

 ほのかに塩の味がーと言いたいところだが、これは薄味すぎる。まだポテトチップのうすしおの方が塩が効いているかもしれない。

 この塩味でこの量とは……。俺は判断を誤ってはいなかった、旨塩キャベツを待ってよかった。

 さて、気を取り直して。

 次は塩キャベツに箸を移す。塩ダレがタップリと掛ったキャベツを二、三枚箸で掴み、そして口へ。

 ――おぉっと! こっちの塩ダレは味が濃いッ! 思わず俺はビールに助けを乞う。

 やれやれと言った具合に、重鎮なビールは重い腰を上げ、俺の口へと傾く。ビールが舌の塩ダレを浄化してくれた。

 あぶないあぶない、危うく口が塩ダレに支配されるところだった。

 だがしかし見ればこの塩ダレ、キャベツ群の中心までどうやら行き届いていないようだ。

 なるほど、これは混ぜて食べるものなのか。

 郷に入りては郷に従え、俺は初見で犯した過ちを取り返すべく、キャベツと塩ダレを絡めてもう一度口に入れた。

 入れた途端に、俺は目が覚めるほどの刺激を受けた。

 うまい! まさにその一言に尽きるのだ。

 そう、この塩味だ! この塩味が正解なんだ!

 パリポリ、ポリパリ。ちっとも箸が止まらない。

 芯の部分もなんのその、奥歯でかみしだいてやる。

 さながら俺は、ヤギだ。ヤギのようにむしゃむしゃとキャベツを頬張る。

 さっきはやはり不正解だったようだ。このキャベツ、まさに旨塩だ。

 降りかかっているこしょうと海苔もいい感じである。ほのかに磯の香り、ピリっとした辛み、良い舌のストレッチ運動になる。

 こりゃぁ、ますます焼き鳥が待ち遠しくなってきた。

 俺は、横目に焼き鳥が焼かれている煙を見た。

 きっと、今あそこで俺の焼き鳥は焼かれているのだろう。

 さぁ、焼き鳥よ。早く舞台に上がって来るのだ。観客席は、もう十分に温まっているぞ!

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