第一ノ四話 「栃木県 駅前焼き鳥店のぼんじり、せせり、しおつくねと地元酒 終」
さて、つくねだ。それ以上でもそれ以下でもましてやそれ以外でもない、見た目正直なつくねだ。
何の変哲もない、普遍的なつくね。
だがそれが良い。
こういう月見だとか梅しそだとか、変わり種が無いつくねクンこそ胸中に潜む本当の姿を見る事が出来るというモンだ。
はてさて、その胸中には一体どのような思いを秘めているだろうか。俺はそれを確かめるべく、つくねの竹製串に手を掛け、そして持ち上げた。
重さは……うん、普通。
さっきから普通だとか普遍だとか、なんの変哲もないだとか。つくねファンに夜道を襲われそうだ。
でも、本当にシンプルなんだ。何かで形容するまでもなく比喩するまでもない。
寧ろ想起してもらって構わない。俺が今目にしているのは、良い焼き目が付いたただのしおつくねなのだから。
しかし、俺がコイツを食べたその直後。なんの飾りっ気のないなんて思った自分を後悔する事になる。
まだアツアツのしおつくねを、俺は口の中に半分ほど入れた。
表面が若干パリッとしていて、歯ごたえがある。そして、だ。中身はというと……。
「うぉっほ、こりゃぁ凄い」
思わず出たその言葉の文末には、無意識に形容詞が飛び出ていた。
凄くという形容詞の終止形。そこで俺の言葉はキッパリと終わっている。
そうだな。包み隠さず、率直に感想を述べるとしよう。
物凄く柔らかく、そして肉汁が伏兵として潜んでいた。
口の中に放り込んだ瞬間に溢れだす肉汁。俺の口内に総攻撃を仕掛けてきたのだ。電撃戦だ、トロイのつくね作戦、大成功である。
正直、俺の中でつくねと言う存在は日陰者という扱いであった。
鶏肉を捏ねて棒にくっ付けた、ただそれだけの物であり、あくまで他の焼き鳥を引き立たせるため、皿の上の表情を盛り上げるためだとばかり思っていた。
だが、今これを食べて確信した。つくねは、日陰者なんかじゃぁない。一見日の当たらない場所に位置しているが、実は主人公よりも割と重要な部分。所謂『木』のような存在だと感じた。
ほら、アニメとかで見る学芸会ネタで、よく子供が木の役をやりたがらないというシーンがあるだろう。あれと同じことだ。
想像してみて欲しい。木というのは確かに動かず、ただ寡黙で突っ立っているだけの地味で映えの無い文字通りの木偶の坊だ。しかし、木が無いと果たして舞台上のソコはどんな風景なのだろうか。
石があり、演者が立って、演技する。
そこには木は無い、低木くらいしかないのだ。そんな状況でナレーターは必死に森だと観客に説明をする。
納得がいくわけないじゃないか。森に木が無くてたまるか、木の無い森なんてあって堪るものか。
木の無い森は『無』だ。森という漢字さえも成立しない。
つくねも同じことが言える。
俺は以前まで愚かだった。まことに愚かだ。
確かに焼き鳥の『もも』や『ねぎま』は勿論の事、『せせり』や俺の嫌いな『レバー』だって美味いものは美味い。だが、それは学芸会で例えると演者たちだ。
確かに焼き鳥で悪くは無い、だが想像をしてみるとなんと寂しい風景だろうか。
木の無い学芸会そっくりだ。大将が「これは焼き鳥の盛り合わせだよ」と必死に説明しても、仕事で疲れて唯一の楽しみである晩酌を迎えたサラリーマンたちは納得しないだろう。
……そうか、俺は気付いてしまったんだ。
つくねは、ただ普通なのでは無い。良い意味での普通なんだ。
さっきは普通普通と小馬鹿にしたような事を想っていたが、普通で何がいけないのか。
寧ろ普通だからこそ、鶏の旨みやその店の特徴などを見いだせるんじゃないか。
俺は、やはりまだ子供だった。大人という存在に憧れ、学生に戻りたいと懐古する胸を張れない大人。
飾りっ気であらゆるモノを誤魔化し、真正面から自分と向き合えなかった。
猛省。猛省だ。俺は自分が恥ずかしい。
店内の照明せいなのか、酒のせいなのか、それとも羞恥故のものなのか。俺は赤面した顔のまま、片手につくねを持ったまま日本酒を口に運ぶ。
嗚呼、美味い。この勢いのまま、俺はもう一度つくねを口にした。
……うん、なるほど。つくねって、良く味わえば味わう程、深みを感じられる。
余った鶏で作ったような物がこんなにも素晴らしいと思えるなんて。俺はまた一歩、大人に近付けただろうか……?
気付けば、つくねはもう串に残っていなかった。日本酒もまだグラスの方に残っている。
もう一本頼もうかと思ったが、いやさ、出会いは一期一会とよく言うだろう。
一度の出会いを大切に。ヘタにもう一本頼んで味を占めてしまったら二度目の感動が薄れそうで怖いのだ。
だから、ここはやめておこう。
俺はすかさず、残ったぼんじりとせせりを頬張る。
がっつかないように、でも片手に日本酒のグラスを持ちながら粗野に。
最後までしっかりと、俺は味わう。つくねに教えてもらった素材の味をよく確かめる為に。
……ぼんじりの脂、よく味わうと甘いんだなぁ。
せせりもだ、よく首を動かす位置にあるからか歯応えに弾力がある。
なるほどな。こういうのを、味わうって言うのか。
右手に酒、左手には串。まさに絵に描いた様な酒飲みの姿だ。
俺は子供の頃から、こういう姿に憧れていた。
オッサン過ぎて、普通は忌み嫌うような姿かもしれない。でも、俺はそういうオッサンの姿が妙に頼りがいがあって、そして日本の男らしい、そう感じていたのだ。
今、俺は憧れていた存在になっている。もしも俺の近くに子供がいたら、俺はどんな風に映っているだろう? カッコイイ、かな?
いや、まだカッコヨクなれないだろう。スタートラインに立った、まだそんな所だ。
今日初めて大人の楽しみ方を、俺は学んだ。初めて食べた、良質なつくねによって。
まだまだだ、まだ足りない。俺の求めるカッコイイオッサンを目指すには、まだ色んな味を知らなくちゃいけないんだ。
行きつけの居酒屋? 仲良くなったママ? 話の合うキャバ嬢? フン、青二才だ。
知らないアウェーな店で、初めての物を食べて、そして味を感じる。それこそが、俺の思う真のオッサンなんだと思う。
そして酒が程よく入ってきたら、豪気になるんだ。今まで寡黙だった人間が、大将や店員に話し掛けられたのがきっかけで独り酒に寂しさを感じる。そして陽気に喋り出すんだ。自分の事、家族の事、大人の今でも夢見る自らの姿を。
そして、大将はめんどくさそうに、でもそれを悟られない様な大人の対応をしてみせる。それでいいじゃないか、大人は。
やれキャバクラだ、やれハシゴ酒だなんて、子供の行う事だ。
酒飲みは、こういうのでいいんだよ。しかも、地元で飲む地元酒は、こういうので。
最後のせせりだ。ほんの少し残った小口サイズ。
俺はそいつを口で串から引き剥がすと、同じくお猪口くらいの量に留まっていた日本酒をぐいと一気に飲み干した。
視界はぼんやりと霞がかり、自分でも酔っていた事がよく分かった。
それでも次の日には仕事だし、今日の出来事は覚えているのだから俺は酒が強い事がよく分かる。
――さて、食う物も酒も無くなった。この後に何かを頼む気も起きない。
ならば、やる事は一つだ。
俺は席を立ち、カウンター目の前の調理処に向かって言い放つ。
「ごちそーさん!」
俺よりも歳が十くらいも上の大将がそれを聞いて「はい、お勘定お願い」と女性定員に告げる。女性の定員は少々お待ちをといいつつもすぐに駆けつけてくれた。
「はい、えーと……。お会計は3525円です」
案外安い物だ。ビール二杯に日本酒一合、お通しに焼き鳥六本でこれはお買い得だ。
財布からこの前パチンコで勝った四千円を、俺は店員に差し出す。レジをガチャガチャいじって出て来たお釣りを俺は敢えてポケットに仕舞い込んだ。
そうして、俺は店の戸をガラッと開ける。カラカラと、弱々しい音はもう聴こえなかった。
そして、身を半身出したところで俺は店内にもう一度振り返る。別に後ろ頭を惹かれたわけでは無い。いつもの習慣を、言い忘れる所だっただけだ。
炭火で焼いている香ばしい匂いを俺は嗅ぎつつ、店の中に向けて言った。
「ごちそうさまです、美味しかったです」
不意に、俺がそう言ったもんだから女性店員はまるで面接の時に繰り出すお辞儀をした。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとね、また来てよ」
焼き鳥を焼いている大将も、その時ばかりは居酒屋経営の冥利に尽きるといったような、柔らかい笑顔を俺に向けてくれた。
俺はもう一度、軽く会釈をするとようやく店を出る事ができた。
駅前の時計塔が差していた時刻は、とうに九時が目前に来ていた。
案外、あのお店に入り浸っていたんだな。改めて、俺は店の前で背伸びをする。
まだまだ夏だ。蒸しているわけでは無いが、夜風が生温くて心地よい。
大きく深呼吸をすると、俺は家に向かって歩き出した。今日食べた、焼き鳥やつくねの事をよく思い出しながら。
……そうだな。次に来た時は、毎回必ず皿の上にワサビを乗っけてもらうように、大将に頼もうかな?
是非とも、あのつくねに飾りを付けて食べてみたい。
俺は、やはりまだまだ子供のようだった。