第一ノ二話 「栃木県 駅前焼き鳥店のワサビ味噌ミョウガからせせり、ぼんじり、つくね、四季桜の注文まで」
結構長くなりました。
ワサビ。そう、ワサビだ。
俺はちらと、お通しで残ったミョウガと味噌を見やる。
正直言うと、ミョウガはそのまま食うのは好きでは無い。味噌汁だとか薬味だとかに申し訳程度のミョウガ、俺はあれが好きなのだ。
だから、半分に切ったミョウガがどどんと野菜スティックの小鉢に入っているのを見た時は『パック刺身のタンポポ』のような存在なんじゃないかと思ったほどである。
だが、今しがたのワサビの登場によって、俺の考えは変わった。
そうだよ、なんならワサビと一緒に食えばいいんじゃないんだろうか。
俺はすぐさま、奥に追いやったお通しを引き寄せ、ミョウガに味噌とワサビを塗りつける。そして、半分をガブリと齧った。
大正解。思った通りだった。
ミョウガ嫌いにはさすがに受けないだろうが、俺のような「食べれるけどそのままではちょっと……」という人間にはきっと受けがいいだろう、このワサビ味噌ミョウガ。
ビールには……合わない。
ミョウガの僅かな苦みとビールの苦み。これは個人的にはミスマッチだ。
しょうがない、ミョウガはさっさと食ってしまって、改めて焼き鳥でも頼んでビールと共に頂くとしよう。
そう思い、目の前のメニューを取る。
捲ったページは勿論、最初のオーダーと同じように串焼き物のページ。焼き鳥とつくねが載った見開きだ。
さっきは『ねぎま』と『かわ』を頼んだ。お次はさてどうしたものか。
『レバー』に『ハツ』に『砂肝』に『ぼんじり』、『やげん』、『せせり』、『ささみ』……。あとは『もも』か。本当に種類が豊富だ。悩みに悩み抜いてしまう。こうなったら消去法で行くしかない。
まずレバー。レバーはダメだ。レバーは肝臓というヤツだが、幼い頃にスーパーに売られていたレバーを食ったら、それ以来レバーという食いもんが嫌いになってしまったのだ。
あの臭みとあのモソモソ食感。タマラナク勘弁。
次にハツ。実はハツは一度も食べた事が無い。
確か、鶏の心臓だったような気がするな。
……心臓かぁ。レバーと同じような物なんだろうか。少し手が出にくい。よって、今日の所は保留といこう。
さて、砂肝。
これなら何度か食べた事がある。俺の中ではテッパン部位だ。
胃の部分だが、コリコリしていて美味しかった覚えがある。
しかし、今日はやめておこう。正直砂肝って気分じゃぁないんだ。しかも、不味いのに当たったら一気に気分がゲンナリしてしまう。当たり外れの多いレバーに負けないくらいのギャンブル部位。
駄目だ。選んではいけない。という事は砂肝もバツ。
残るは『ぼんじり』、『やげん』、『せせり』、『ささみ』、『もも』か。
こっからは二次審査だ。一次審査の書類選考からの二次審査の面接選考、串たちのアピールを見ようじゃないか。
エントリーナンバー一番、ぼんじり。
彼の面接アピールという名の宣伝文は、やはりジューシーという単語が感嘆符付きで記されていた。
そういえば、ぼんじり。最近めっきり食べていなかった。
スーパーに売られていたのを見た事もあったが、ああいう所のぼんじりって奴は情けないのが多くて食感は素直すぎるほどにブヨブヨなのだ。
だが、こういう焼き鳥に力を入れているような所ならば宣伝文通りの物なんだろうな。少なくとも、モンスターハンターに出てくるフルフルベビーのようなものでは無いと思う。
ぼんじり、いいじゃないか。まずはそれにしよう。二次審査、合格。
さて、お次はやげんか。
やげん、簡単に言えば軟骨だ。柔らかい軟骨。
アピールポイントもコリコリという文字が入っている。彼の特徴であり長所でもあり、人によっては短所にもなり得るポイントだ。
少なくとも、俺は軟骨は好みな方だ。特に塩コショウで味付けされた軟骨は好物と言っても過言では無い。
うむ、軟骨。いいかもしれない。が、少し保留しておこう。
なぜなら、軟骨はどこで食べても同じような食感、味だからだ。
間に挟まっているささみの濃厚さや、軟骨自体の柔らかさと程よい食感が店毎の決め手だが、飛び抜けて美味い! っていう店は数少ない。
とりあえず、他の受験者を見てみよう。決定はそれからでも遅くは無いだろう。
さて、エントリーナンバー三番、せせり。
実はコイツとのエンカウントは初めてだ。せせりという名は聞いた事あるが、対峙した事は一度も無い。
所謂ネック、首の部分だと聞いた事があるが……。首って、どんな味がするんだろう。
宣伝文も「昔の焼き鳥の定番と言ったらこれ!」と書かれており、具体的な食感や味わいは一切書かれていない。
謎に包まれたせせり君。だからこそ、魅力もあると言えよう。
寡黙であり、ミステリアス。首という生命の大切な部位だからこそ、秘めた美味さというのがあるのかもしれない。
うん、コイツも保留といこう。……こんなんじゃ、いつまで経っても決まら無さそうだが。
気を取り直して、次のささみ。コイツは入室した瞬間、不合格だ。
別に悪いという意味では無い。俺の好みではないだけだ。
ささみはパサパサというイメージが湧きやすい。そして、俺はパサパサしている物がとにかく苦手だ。ささみのみならず。
はっきり言うと、焼き鳥屋でささみを食う時は軟骨の間に挟まっている物だけだ。単体で食べた事は一度も無い。
勿論、こういうところならマズイパサパサささみ君は出さないと思うのだが……手は出しにくい。
だから、申し訳ないが今回は不合格とさせていただこう。
さて、最後の刺客はもも。コイツも不合格。
ももは俺も大好きだ。好きな焼き鳥の中でも上位に常駐する奴だが、だからこそ不合格なのだ。
優秀な美味さ、安定した選択肢。
例えば、大吉しかないおみくじがあったら、百円出してでも引きたいか? 否、そんな金があるなら俺は賽銭箱に放り込むね。
まぁ極端だが、そう言う事だ。
結果が目に見えすぎている。美味しいとすぐにわかってしまうから、逆に食べたくないのだ。こういう焼き鳥の店だからこそ、な。
そういうわけで、ももは残念ながら対象外。すまないが、またの機会に会うとしよう。
さて、決勝戦に勝ち上がったのは『やげん』と『せせり』か。ぼんじりは早々に合格してしまったから椅子に深々と腰を落ち着かせている。
俺が今日食いたいもの。それによって、やげんとせせりの運命は決まってくる。
やげんは柔らかい軟骨……。だが、待ってくれ。
軟骨なら、また食べられる機会はあるんじゃないか? そもそも今が絶好のタイミングでない様な気がしてきた。
それに、軟骨と言えど焼き過ぎれば硬く不味い物になってしまう。そうなったら今まで蓄積していったお店満足度が一気に平均を下回り、デンジャーゾーンへまっしぐらだ。
それはいけない。せっかく来た店なんだ、笑顔で俺は外に出たい。
そして良く考えてみろ、せせりって、鶏の首なんだろ?
軟骨と違って、鶏の首はいくつある? そう、一つだ。
二つも三つもあったらケルベロス。鶏のケルベロスかぁ……朱雀も真っ青だ。
一つという事は希少という言葉にも変換できる、意訳出来る。て、ことはだ。
せせり、いいんじゃないか。
俺は食べた事が無い。宣伝文も「昔の焼き鳥と言ったら~」なんてあたかも「焼き鳥好きで食わないのは恥」と豪語しているような挑発的な文章だ。
いいだろう、せせり。
初めて食うが、そんな宣伝文なんじゃ『もも』と同じように美味いって事なんだろう? 幸いビールにも合いそうだし、食ってやろうじゃないか。
よぅし。
こうなったら、つくねも頼んでやろう。
隣のページにあるつくね。これも種類が豊富だ。と言っても、基本のつくねは変わらない。
明太マヨつくねとか、月見つくねとか。要は変わり味つくねの種類が豊富なのだ。
しかし、ここまで来たらそんな宴会で出て来そうなつくねはご法度だ。シンプルイズベスト、ストレートど真ん中勝負、一打ホームランという単純さ、マッチポイントサービスエースの一瞬の決まり具合。
ここはただのつくねで決まりだ。俺の脳内首脳会談も、異議なし満場一致。
これで三つの串が揃ったってわけだ。
これでようやく落ち着ける。そしてまた、長い長い焼き時間がやって来るってわけだ。そこらへんはゲンナリしてしまうが、焼いているのは人間。しかも備長炭の炭火焼き。ご愛嬌と行こうではないか。
俺は片手をヒョイと挙げて「すみませーん」と声を出そうとするが、一瞬目に映ったビールに引きとめられた。
そうだよ、三つも串を頼むんだ。果たして、これだけのビールで間に合うのか?
よくよく見てみると、ビールはもう半分を切っている。俺の脳内ビール配合計算によると、串一本半でビールが無くなってしまうだろう。だからと言って、三杯目もビールで行くのかと言われてしまうと首を傾げてしまう。
最近、俺の腹はザ・ビール腹ってな感じで、生活習慣病の代表的立派な腹と化している。三杯目はさすがに自重した方がいいのかもしれない、が……。
「でも、串に酒は付き物だよなぁ……」
小声で、そう漏らす。
俺は藁を掴むかのように、目の前の『くいもん』メニューのすぐ後ろにある『のみもん』メニューに手を伸ばす。
そして開くと、見開き一ページには様々なジャンル分けをされたドリンクが所狭しと広がっていた。
ビールからカクテル系、焼酎に日本酒。ビアカクテルなんてのもあればノンカクテルも存在している。そして、肩身の狭い思いをしながらソフトドリンクの羅列が右下にチョコンと載っていた。
ビール、これはまずバツ。となるとビアカクテルも論外だ。そもそも焼き鳥には合わなそうである。
カクテル? こんなの、チェーン居酒屋店で十分だ。普通のこじんまりした居酒屋でこういうのに勝負を掛けている店があったら悪いかもしれないが、チェーンの居酒屋は洋酒や果汁などの割合がしっかりと取れている。だからこそ安定した美味さと飲みやすさがあるのだから、こういう店では頼まないのがセオリーだ。
問題は焼酎に日本酒だ。
俺は基本的に麦焼酎しか飲まない。何せ、芋ときたら臭みが強すぎて飲めたもんじゃない。
米は……手が出にくく、飲んだ事は無い。が、臭みは無いって、誰かが言っていた気もするな。
――とにかく、俺は焼酎は麦しか飲まないのだが……。最近焼酎ばかり飲んでいる気がする。
特に家。俺に休肝日など存在しない、家では殆どビールやら焼酎やらを飲んでいるが、基本割高な日本酒は、思い返してみるとここ半年は飲んでいない気がする。
そうときたら日本酒だ。日本酒しかない。
種類は……なるほど、地酒も豊富だ。栃木の地酒の『門外不出』も当たり前のように置いてある。
新潟の『菊水』に、兵庫の『白鷹』もあるのか。確かに、種類は豊富だ。だが、俺が一番気になる物が一番下にある。
『四季桜』
初めて聞く銘柄だ。しかも、栃木の地酒。
栃木で桜と言えば、俺の中では小山市だ。地元。
小山市には思川桜という独自の桜の品種がある。思川桜は基本遅咲きで、満開になるのが五月~六月初めくらいなのだ。
それをモチーフにした日本酒なのだろうか? 魅力を通り越して、どうにも地元民魂からか飲まなくてはいけないという使命感……いや、義務を感じてきた。
俺は、もう迷う事など無かった。
「すみませーん!」
右手を挙げ、店員に最大限のアピールをする。店員が駆けよって来るのはすぐだった。
「えっと、このせせり一本と、ぼんじり、これも一本。つくねと、あと四季桜っていうのください」
それぞれを淡々と注文する。どもる事も噛む事も無かった。
「つくねは塩とタレがありますが」
「塩で」
即答だ。
「あと、日本酒は升でお出しして、その中にグラスを置いて注ぎ入れる形になりますが宜しいですか?」
店員はこちらのペースを乱そうと次々に質問を浴びせてくる。先程のリベンジか? だが甘いな、俺にはもう通用しない。
升で出す? 良いじゃないか。日本の男の酒は升だ。当たり前の事を。
「えぇ、いいですよ」
これも、勿論即答だった。店員は「かしこまりました」と言うと、そそくさとその場を離れて行ってしまう。
ふんっ、大勝利だ。黒、白、白と星が連なってこの試合、俺の勝ちである。
俺は奇妙な征服感を味わいながら、注文前の葛藤に少々疲れたのかビールをちびりと飲んだ。