あらあら、分かってるわよ
【第六話】<そろそろ一日が終わって> -高川 玲子-
「ありがとうございましたーっ」
授業が終わると、生徒達が各々いろんな言葉を吐きながら、教室を走り出ていく。そんな姿に、「あまり興奮しちゃだめよー」なんて、苦笑交じりの声をかけながら歩いていく。
そして、廊下の一番端にあるエレベーターに乗り込む。今いるのは、五階。一階のボタンを押して、暫しの静寂を楽しむ。
このエレベーターは、そのまま私を乗せて一階まで行くはずだった。しかし、四階まで下がった時、エレベーターが停止して、そのドアが開いた。
「……玲子か」
目の前の人物は、そうぼそりと呟くと、遠慮することなくエレベーターに入り込んだ。
この学園内で、私を「高川先生」と呼ばない大人は一人しかいない。
そう、白野 歩である。
彼は、この学園の保険医をやっているらしい。確かに、白衣を着ている。元々科学関係者である歩に、その服装はとても似合う。それに、薬の匂いもベストマッチ。眼鏡も、理系っぽくていいと思う。
ただ、あのルックスと科学の才能があるのだから、こんな学園の保険医になんかならなくたって、将来の道は選べたのではないか、と思う。これは、才能がない私の僻みでもあるのだけれども。
「歩……。どう? 毎日は楽しい?」
歩にそう聞いてみる。まぁ、彼が答えるはずがないのだけれど。
私が思ったとおり、彼は私の質問に答えることはなかった。
さっきまで心地よかったはずの静寂は、歩が来たことによって、気まずいものへと変わっていく。
なにか話題を作りたいけど、どうせ無視されるだけ。私は、話しかけないことにした。
そのまま重い空気は続き、一階になったことを知らせるベルが鳴るまで、沈黙が貫かれた。
やがて、一階につくと同時に、ドアが開かれた。
なんだか、いままで詰まっていた胸に空気が入り込むような爽快感を感じた。
女らしい態度を保つ為に、歩に軽く会釈してからエレベーターを出た(本当は、横から蹴り飛ばしてやりたいけど)。
しかし、去りぎわに先ほどまで一言たりとも喋らなかった歩が口を開いた。
「玲子。“狂った子供”を頼むぞ」
あぁ、またあの子のことか。私は、わざととぼけてみせる。さっきお前がした無視、割と根に持ってるからねっ!
「“狂った子供”? だれ?」
すると、歩が眉をしかめる。ちょっと不愉快そうだ。
「知ってるだろーが。お前でいえば……高川 葵か」
高川、とまで言われてしまうと、私も知っていると言わざるを得ない。
「あぁ。彼女ね。そういえば、私の子供ってことになってるのよね? なんで、私のクラスに……」
「僕だって、ツテがないわけじゃない」
歩は、それだけ話すと私を追い抜き、スタスタと歩いていってしまった。
ツテって……。どんな権力持っているのよ、あの人は。
そんなことを考えながら、私は職員室に戻った。そして、他の職員と少し談笑する。
一年一組の男性職員の話が面白くなくて、ふと廊下の方を見てみると、そこにはツインテールの少女が見えた。それはいうまでもなく、“ちーちゃん”だった。
カバンを手に持って、玄関に向かっている。どうやら、下校途中らしい。
私は、男性職員に急用があると言い、職員室をでた。荷物は全て持って。
「ちーちゃんっ!」
そして、ちーちゃんに向かって手を振った。
ちーちゃんは、私の方をちらっと見たあとで、すぐに目線を正面に戻した。どうやら、私と話す気はないみたい。
だけど、所詮彼女は……。あ、そんなことを考えてはいけないわね。彼女は、今でも私の中では「親友」なのだから。そんな言い方をするのは悪いわね。
もう一度、「ちーちゃん」と呼んでみた。しかし、今度はこちらを見もしなかった。
「ねぇ、歩とさっき会ったのよ」
仕方が無い。最後の手段を使ってみる。
本当は、こんな真似はしたくないのだけれど……。彼女が振り返ってくれないから、仕方が無い。
「なに? アイツと会ったのか?」
私が「歩」と言葉に出した途端、彼女の首は180度回転して、私の目には私が映った。
やはり、歩は有効だった。彼女の気を引かせるためには、無念にも歩を“利用”するしかないの。
だって、彼女は授業をサボってでも、歩と保健室で過ごすような子だもの。まぁ、やましいことはしていないと思うけどね。
きっと、今後の相談か何かしていたのだろう。
「えぇ。さっき、エレベーターでね」
にっこり、と私は笑顔で答える。
少しでも、彼女の気が引けるように、まるでエレベーターで何かがあったかのように話す。実際、そんなことは全くなかったのだけれど。
すると、予想通りに彼女は、
「アイツになにもしてないよな……?」
と、少し焦ったように、それでも冷静を装ってそう聞いてきた。
綺麗に、罠にはまってくれたらしい。私の可愛い「親友」は。
あの子は、小さい頃から、いつもそうだった。ガードは堅いんだけど、歩の名前を出すとすぐに乗ってくれる。だから、私はいつも彼を餌に使ってたっけ。だって、そうでもしないと彼女は心を開いてくれないんだもの。私に、自分の話を一つもしてくれない。私の話は、何でも聞きたがるのに。
「ふふっ、なにもしてないわよ」
そういって微笑むだけで、彼女は安心したように胸をなでおろした。本当、可愛らしい。
彼女の姿をみると、あまりにも単純すぎて、つい笑ってしまうのは私だけかしら? いえ、私“たち”だけよね。
私“たち”以外の人たちには、彼女は【悪の塊】に見えるのかもしれない。大人を虐殺する幼女なんて、そうそう居ないものね。私も、もし彼女の関係者じゃなかったら、恐ろしくて震え上がってたに違いないわ。
「そうか……。だが、アイツに接触するのはやめてくれ」
「あら、独占欲のお強いことで」
「黙れ。ボクとアイツはそんな関係じゃない」
「えぇ、知ってるわ」
彼女が、警戒心をむき出しにして、私を睨む。幼女に睨まれても、なんの力もないけどね。
私は知っている。彼女と歩がそんな関係じゃないということは。増してや、彼女が歩のことが好きになるだなんて、全くあり得るはずのないこと。
だけど、茶化したくなってしまう。彼女がとても可愛いから。
「知っているなら、そんなことを口にするな」
「いいじゃないの、生徒が先生に恋愛相談、なんてねっ」
「不純異性交遊はオススメできない」
……やっぱり、容赦無いわね、彼女は。“狂った子供”って名前が付くだけあるわ。
それにしても、不純異性交遊禁止だなんて。容姿の割に古い言い方をするわ。まぁ、普通の女子高生とは思っていないけど、ね。
「えぇーっ、青春よ?」
「煩い。青春など、ボクには必要ない」
彼女は、そう言うと私の返事も聞かずにまた歩き出した。私のことを、本当に煩わしく思っているらしい。
あーあ、前は可愛らしかったんだけどなぁ。喧嘩したら、あんな可愛い姿は見せてくれないんだ。見せてくれるのは、彼女の容姿だけなのかな。
私は、苦笑いしながら、校門に出た。そして、いつも通り夫の車を見つける。
私の夫――高川 時雨――は、いつも私を迎えにきてくれる。いくら忙しくても、どんなに酷い台風の時でも。
だから、私は彼が好き。本当私って愛されてるなぁって実感する。
「お帰り、玲子さん」
私が車のドアを開けると、時雨が笑顔で出迎えてくれる。それに、私も笑顔で何か返しておく。
そのまま車に乗り込む。それを確認すると、時雨は車を発進させた。
「ねぇ、時雨。あなた、なんで途中から葵ちゃんから離れたの?」
「んー、こちらの事情があったので……」
まるで、回答を濁すようにいって、彼は頬をぽりぽりとかいている。
あぁ、いつもの方向音痴かしら。ほとほと呆れちゃうわね。方向音痴、いつまで治らないのよ。
「道に迷ったんでしょ?」
私が笑いながら聞いてみると、時雨は「い、いえっ、そんなことは決して……っ」と慌てたように言った。
図星みたいね。時雨って、本当分かりやすい。
「まぁ、そんなことはいいんだけど……。そういえば、葵ちゃんってなんで私たちの子の設定にしたの?」
私は、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
だって、葵ちゃんは歩に懐いていたのよ。なら、歩のところでいいじゃないの。なんで、私たち? 偽装がばれたらどうするつもりよ。
「あぁ、それは。……玲子さんが、『私たちの子が欲しい』って言ってましたから」
その回答に、私は苦笑いしてしまう。
にこりと微笑みながらそう言っている時雨は、どうにも胡散臭いけど、彼の笑顔が胡散臭いのはいつものことだから、気にしないことにした。
それにしても、『私たちの子』って……。まぁ、言った気もするんだけどさ……。
仕方なく、時雨の横顔に、無言の文句をぶつけることにした。絶対、この文句を口にしても笑顔で流されるだけだから。
その時、時雨のスマートフォンが鳴った。有名な曲の着信音だった。
【第六話 END】