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心臓
「あの、」
「静かに」
私が不安を口に出す前に、男が徐に息をひそめて、そっと彼方を伺った。
いつになく真剣な様子に口を塞ぐと、小さな声が聴こえた。
「頭が大事なら、早くお帰り」
「え?」
男の咎めるような視線に口を抑えたが、また小さな声は耳に届く。
「心臓が大事なら、早くお帰り」
「あなた、誰?」
囁くように口の中で紡いで、私が慌てて時計を見ると針は信じられないくらい大きく振れて、二本だった針はいつの間にか三本に増えていた。
三本目の針は酷く細く僅かずつ動く度に、真っ白だった文字盤に何かの模様を刻んでいる。
「胡桃を怖れたのは正しい」
「誰なの?」
「名付けを怖れないのは過ち」
小さな声は質問には答えずに吐息を零した。
僅かに空気が動くような、そんなことまで解るのに、私にはその姿を見つけることが出来ない。
「でてきなさいよッ」
反射的にそう叫んで、私は男に腕を捕まれて引きずられるように地面に伏した。
その鼻先を、鋭い何かがかすめて飛ぶ。
「小賢しい。落し損ねたわ」
吐き捨てるように投げられた言葉は麗しく、鋼色の鎖鎌を手にした女王が華美な衣装で森の中に立っていた。