名付け親
「変な顔をしてる」
不意に届いた声に驚いて振り向くと、いつの間に起きたのか、男が肩を竦めて立ち上がる。
「今度は何を聞きたいの?」
「意味解らない。家に嵌まる誰かを助けるために、蛙がトカゲになるの?」
早口でそう云えば、男はすぐに飲み込んだ様子で、ハットをかぶりなおして目を細めた。
「住人になるために棄てるものがあるから」
「捨てるもの? 得るんじゃなくて?」
「棄てるから、得る。得るためには棄てないといけない」
「何を捨てるの? 過去?」
珍しく小さく笑って、男は心臓を指差す。
「存在。他人に認められて形作られるものを棄てて、一から作り直す」
「生まれ変わるってこと?」
「簡単に云えばね。もっと単純に云うなら、新しい名付け親を探すことだ」
心臓を指していた指を唇に移して、男は短い記号を紡いだ。
それは言葉に似ていたが、意味のあるものとして耳は捕らえてくれなかった。
「なに、それ?」
「蛙が持っていた名前。トカゲになった今は、何の意味もない抜け殻にすぎないけど」
私は今更ながら、男が私の名前を呼ばないことに気付く。
男だけではない。
この世界の誰も、私に名前を尋ねなかった。