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「それでお嬢は納得したのか?」
煙を吐き出して男は煩わしそうに煙草を揉み消した。座った椅子にもたれ掛かり、溜息混じりに洋一の方を見た。洋一がにこりと笑うと彼は少し不快そうに眉を顰めた。だが、彼は何も言わずガイルを見上げた。
ウォールナットと呼ばれる男の工房は硝煙と煙草とグリスの匂いがする。作業台の上には様々な工具や道具が転がっており、ウォールナットの器用そうな細い指先には機械油が染みついていた。
雑然としている工房にも関わらず工房自体も男も不思議と汚いという印象は無かった。
「お前は反対なのか?」
「いや」
彼は首を振る。
「それが選択なら、俺が何か言う必要もないことだ」
「……言いたげじゃねぇかよ」
「言いたいことはあるが、それが必要なのはお嬢じゃなくて俺だ」
洋一は少し意外そうに彼を見た。
ガイルは彼に引き合わせる時、偏屈な人間だと説明した。サーは知る限りの彼の事は語ったが、人となりに関しては深く説明しなかった。ただ、必要なら頼りにしていい相手だと聞いた。
それは彼の仕事ぶりが信頼出来るという意味だと思っていたが、どうやら違うようだった。
洋一は彼に興味を抱く。
「エリックさんは何か僕に対して思うところあったんですか?」
本名かどうか分からないが名前を呼ぶと彼は洋一に視線を向けた。
少し不機嫌そうな、垂れた瞳。綺麗な水のような色をしている。
「その名前で俺を呼ぶな、東洋人」
人種差別にも繋がりかねない言葉だ。
拒絶と嫌悪感。
彼からはそれを感じる。
ただし、それは洋一に対してのものではない。自分自身に対するものでもない。それならば何故と思う。彼の拒絶と嫌悪感は何に対して向けられているのだろうか。
「じゃあ何て呼べばいいんですか?」
「ウォールナットでいい。それで通している」
「クルミ?」
「通り名だよ。そのでっかいのも持ってる。なぁ、Shell」
組織内での呼び方だろうか。サーがイレーザーと呼ばれていたように、裏社会で生きていれば通り名が存在する者も多い。本名を名乗らない事が多いために便宜上その方が都合がいいのだ。自分から名乗る人もいるが、大抵は他人が呼び始めて定着することが多い。
恐らく彼の場合は後者なのだろう。洋一自身聞いた覚えはなかったが、呼ばれるとガイルは嫌そうな顔をする。
「お前が言うと皮肉っぽく聞こえるな」
「良かったな、耳が良い。皮肉だよ」
「……てめぇ、殺されてぇのかよ」
低く唸るガイルは迫力がある。だが、ウォールナットは面倒そうに手を振った。
「あー、あー、悪かった。いちいちつっかかんなよ。俺の性格くらい知ってんだろ」
「知ってるからこそ一度ぶち殺したくなるんだろうがよ」
「同感だ」
洋一は首を傾げる。
彼の言葉が妙に不可解なことに思えたのだ。
「それは自分を殺したいってことですか? それとも性格をよく知っているガイルさんを殺したいって意味ですか?」
ウォールナットは静かな目線で洋一を見た。
「さぁな」
貝を意味するシェルという単語には様々な意味がある。そのまま固い殻の意味もあれば、骨組みや薬莢を意味することもある。シェルという通り名が皮肉だと言うのならば、抜け殻という意味も含まれているのだろうか。
では彼の名乗るクルミ材はどういう意味を持っているのだろう。自分の腕の優秀さを誇っているのだろうか。
「ウォールナットさんは僕がこの組織に入るのは反対なんですか?」
話を戻すと彼は微かに口の端を上げて笑う。
「いや、お前自身がどうという問題じゃない。俺は肥大していく組織は厄介って思ってんだよ」
「確かに組織は肥大すればするほど末端までの管理が難しくなりますからね」
「そういう意味じゃねぇよ」
「じゃあどういう意味ですか? 僕が入らなくても人は増える。肥大することによって生じる歪みが理由じゃないというなら、貴方は何を見ているんですか?」
人の出した答えを聞きすぎてはいけないと思う。自分で考えられなくなるからだ。けれど、この人の考え方が今ひとつ読めない。
答えをすぐにでも聞きたくなる。
「俺は大佐にお嬢を任されたから、お嬢にとって俺が必要なら俺は動く。それだけだ」
「大佐?」
それにはガイルが答える。
「先代社長のことだ。レイア嬢ちゃんの父親で、すっげー認めたくねぇがコイツとは親友だった」
「年が違い過ぎませんか?」
ウォールナットは高く見積もったとしても三十代前半くらいだろう。先代社長と二十近くも違う。
「年齢は関係ねぇだろ」
「そうですけど、出会いとか経験とかで関わり方が違ってきますから」
「ま、そうだな。けど、大佐はそんなこと些細なもんだって言ってたな。あのお節介は俺にはあいつみたいな厄介な友人が必要なんだって笑ってたな。俺のこと勝手に決めやがって」
悪態を付いていたがほんの僅か目の端が優しくなったのを見る。この人は本当に先代社長のことを大切に思っていたのだろう。彼の言葉が真実ならば先代社長もまた彼を信頼していたのだろう。確かエリック・コールはレイア・シェインの後見人だ。遺言状を使ってまで彼に託したという。それだけの人物なのだろうか。
修復師としての才能は高いようだったが、それだけの評価に値する人物なのか今ひとつ分からなかった。
「……先代社長がレイアさんを任せなかったらどうしてたんですか?」
「さぁな。その時じゃなきゃわかんねーよ」
彼が答えるまでに間が殆ど無かった。
まるで質問を想定していたかのようだった。
「何だろ、僕、ウォールナットさんに嫌われているのかな。ちゃんと質問に答えて貰えてない気がする」
「嫌うも信頼するも、俺はそれほどお前を知らない」
「まぁ、そうですよね」
「それにお前が欲しいのは俺の答えじゃねぇだろ」
洋一は彼を見る。
「どうしてそう思うんですか?」
彼は少し目を細くする。
「お前はどう思う?」
不思議な感覚がした。
やはり彼の考えが読めない。どうにも、自分の‘先’を見ているように思える。
洋一は幼い頃から物事が良く分かった方だった。学校の成績もよかった。人がどの程度怒っているのか、どの程度喜んでいるのか、そう言ったことも理解出来た。ただ分からないのが自分自身の感情だった。他人の感情の定規と、自分の感情の定規が違っているように感じていた。同じことで喜んでいても向いた方向が違うと感じていた。その違和感は真実なのだろうと思う。だから彼の考え方の根本が分からなくて当然なのだが、彼は自分に似たところを感じる。
自分でも朧気すぎて、何とは言えないのだけれど。
「まぁ、何はともあれ、来た以上はそれなりに対応するつもりだ」
彼は言う。
「イレーザーの正式な後継者じゃないだけに、俺はお前のことを信用するよ」
先刻彼は信頼という言葉を使ったが、敢えて信用という単語を使う。
無意識かもしれない。
けれど、何か意味のある言葉のように聞こえた。
彼は軽く笑う。
「Hast du Lust mitzukommen?」