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街は騒然となっていた。
日本政府の要請で駆け付けた軍の特殊部隊が日本人大使館を包囲し、辺り一帯には避難命令が発令されていた。非難する市民に紛れ町中を離れていた洋一は、小さなカフェスタンドのテレビを見ていた。その場にいる殆どの人間がコーヒーよりもテレビに夢中だった。
「雨、降ってきましたね」
英語で呼びかけると少し鈍ったような英語が戻ってくる。
「ああ、そうだな。……長引くかな」
彼の英語は随分ネイティブの発音に近いが時々思い出したように違う発音が入る。日本人が英単語を綴り通りに発音してしまった時ほど酷くはないが、母国語のせいだろう。日本人にはなかなか見分けが付かないし、色んな国の人が入り交じるアメリカでは珍しいことでも無かったが、彼はアメリカ出身ではないだろう。
「Morgen soll es sonnig werden(明日は晴れると思いますよ)」
ドイツ語で語りかけると、彼は少しだけ眉を上げた。
「お前、ドイツ語も喋れるのか?」
「おじさんだってしゃべれますよね?」
「おじ……や、言っておくが俺はお前におじさんって呼ばれるような年じゃえぇよ。まだ二十代だ」
舌打ちをして彼は頬杖を付いた。
赤毛を撫でつけてオールバックにした男は日本人の感覚では四十代に見える。外国人と考えても三十代半ばくらいだろうかと思っていた。
「なんだ、若いんだ」
「何だって何だよ。何で残念そうなんだ」
洋一は笑う。
「貴方くらい体格いい年上の人、好きなんです」
「そう言う嗜好は別に否定はしねぇけど、ほどほどにしとけよ」
「別に僕、貴方としたいなんて思ってませんよ。貴方がしたいならしてもいいけど」
「ストレートに言うんじゃねぇよ」
「残念ながら僕はそう言う趣味はありません。純粋に憧れているだけです。僕が必要なら手段とは思ってますが、一緒に寝るなら女の子の方がいいですし、好きでもない男に触られるのも嫌です。貴方には興味ありますし、嫌いじゃないような気がするので、僕は構いません」
男は何とも言えない面持ちで息を吐いた。
「俺が構うんだよ」
「どうして? 男同士でやったことがない訳じゃないでしょう?」
「女に不自由はしてねぇし、見境無く襲うような連中と一緒にすんなよ。大体お前だって‘そう’じゃねぇだろ」
洋一はくすりと笑って椅子にもたれ掛かる。
「いいな、貴方って。好きになりそうな気がします。勿論、人としてですけど」
男が洋一に声をかけたのは寳崎が撃たれたのを見た後だった。
あのままあの場に留まりどちらかに加勢するのも選択だろうと思っていた矢先、彼は突然洋一の腕を掴んで‘逃げ道’まで案内をした。
外国人SPの振りをしていた男は洋一を逃がす選択をしたのだ。
男はテロリストの仲間だった。直接話を聞いた訳ではないけれど、彼のことは‘知って’いた。サーの取引用の部屋で見たことがあったのだ。
サーは様々な事を洋一に教えてきた。裏社会で生きるため、当然知っておいた方がいい人物と対処方法を。生き延びる術もそのために頼るべき人物のことも教えられている。
彼は‘黄金の翼’のナンバー3で、ガイル・ハワードという名前の男だ。表向きにはユートピア傘下の葬儀屋の雇われ社長をしている。ドイツ系アメリカ人となっているが、実際はドイツの南部生まれの生粋のドイツ人。孤児であり先代ユートピア社長ラリー・シェインに拾われるまでの経歴は不明だが、拾われて以降は彼の右腕のように働いていた。ラリー・シェインの死後もユートピアに残り娘レイアを支えている。それは黄金の翼内でも同じ事で、作戦や現場指示など沢山の功績のある男だ。
「それで、貴方が僕に何の用ですか?」
ガイルはちらりと周囲を見る。
日本人大使館を襲ったテロリストの報道に見入っている彼らには聞こえないだろうが彼はそっと外を示した。
洋一も頷いて外に出る。
外は雨脚が増していた。飛び出せばすぐにずぶ濡れになってしまうだろう。
彼は店の軒先で雨を凌ぎながら煙草を取り出した。
完全分煙の進むアメリカでは煙草の吸えない飲食店が多い。こうした公共の道でも禁煙の場所は多い。
「ここも禁煙ですよ」
「知ってる」
男は言いながら煙草に火を付けた。
「お前、何でホウザキを助けた?」
「僕は誰かに依頼されて寳崎さんに会いに行った訳じゃありません」
「そう言う意味じゃなくて、お前、俺が撃つ前、寳崎にナイフを投げただろ」
「ああ」
洋一は笑う。
彼が寳崎を狙っているのが見えた瞬間、洋一は寳崎めがけ手にしていたナイフを投げつけていた。投げナイフはそれほど得意ではなかったが、ナイフは真っ直ぐ寳崎に飛んだ。ナイフは彼を掠めただけだったが、彼はそれに驚き姿勢を変えた。
それが彼を致命傷から逃れさせた。
報道では意識不明の重体とされているが、実際は‘彼ら’から身を守るために敢えてそういった報道をしただけだろう。それは撃った当人も承知していた。
「なんだ、それで僕を連れ出したんですか」
「……返答によってはここで殺す」
「この距離なら銃よりナイフの方が早いですよ。それに今僕をここで殺すのは得策じゃないはずです」
「いいから答えろ」
男は低く唸る。
クマみたいな人だと思う。大柄で力強く、少し臆病。だからこそ彼は理性的だ。サーは彼を‘あのテロリスト共の理性’と呼んでいた。そう言うことなのだろうと思う。
「僕はまだあの人に聞きたい事があったんです」
「聞きたいこと?」
「ちょっと失礼します。武器とかは出しませんから、安心して下さい」
言って洋一はポケットに手を入れた。
一瞬ガイルから警戒するような気配が伝わってくる。だが、すぐに拳銃を抜くことはせず、ゆっくりと煙を吐いた。
「何だその古い万年筆は」
「今日貰った誕生日プレゼントです」
「……寳崎から?」
「そう。……何で万年筆なのか聞きたくて。しかも、これペン先潰れているんですよ。古くて書けない万年筆に何の意味があるのかなって」
「それを奴に聞きたかった?」
「不思議ですか?」
彼は頷く。
当然だ。
洋一のことは少なからず調べているだろう。フィンランドで生まれた事も日本で育った事も調べは付いているかも知れないが、寳崎と自分の関係までは辿り着いていないはずだろう。
寳崎が洋一に意味深な贈り物をすること自体理解出来ないはずだ。
洋一がただの子どもではないことを理解している彼にとっては不審に思うような事柄だろう。
「死なせても良かったんです。でも、聞きたかったから生かせる道を選んだ。……まぁ、どっちでも良かったんですよ。本当に助けたいなら、貴方の方を狙っていたから」
一発目を逸らしても二発目三発目が当たる可能性は十分にあり得た。だが彼は一発を入れた後それ以上は撃たずに洋一を連れて逃亡した。ターゲットの死亡を確認もせずに飛び出してきたのだ。
「貴方こそ、なぜ彼をもう一度撃たなかったんです?」
「………」
「人には質問しておいて、答えないんですか?」
洋一はくすりと笑う。
「まぁ別にいいですけどね」
大体想像は付くことだった。
彼は寳崎一人を殺した所で何の意味者無いと考えているのだ。
寳崎が水面下で推し進めていた法案がある。それによってユートピアは、恐らく日本での活動を制限されることになるだろう。洋一は日本の未来だけを考えれば寳崎の取る道は英断だと思うのだが、日本では報道もされていない。諸外国からの反発も甚だしいだろう。だから寳崎はゆっくりと水面下で何年もかけて根回しを続けていた。外交官というものを隠れ蓑にして様々な政治的手段をとってきていた。寳崎は一番積極的に動いていただけだ。だから、あたかも彼の考えに見えるだろう。だが、法を考えていた中心人物は寳崎ではない。彼はそれを理解していたのだろう。
だから、寳崎一人を殺しても意味がないと思っているのだ。
「Wird er überleben?」
不意に彼の口から漏れたドイツ語に洋一は視線をあげる。
「……え?」
「俺の知人が俺にした質問だ」
「彼は生き延びるか?」
「そうだ。……奴はイレーザーから預かりモノをしているって言った。YKのイニシャルの入ったバタフライナイフだ」
「……」
「その上でお前が生き延びるか、生き延びる機会があるのかを問いかけてきた。……お前、どうしたい?」
「どうしたいって……」
ガイルはちらりと笑って手を差し出してくる。
雨が少し小振りになり始めていた。
「俺と一緒に来るか?」