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 寳崎の反応は早かった。

 だが、無論洋一の方が速い。

 袖の中に隠していた食事用のナイフを手のひらに落とすと同時に寳崎の胸元に突きつける。懐に手を入れかけていた彼の手が止まった。

 テーブル越しだったが、十分に彼の心臓と頸動脈を狙える位置。

「……大声を上げたら殺します。銃を抜いたら殺します。妙な素振りを見せたら殺します。いいですね、寳崎さん、変な行動は取らないで下さい」

 自分でもおかしくなるほどその場には似合わない柔らかい口調だった。

 寳崎はゆっくりと両手を上げた。

 洋一は彼を警戒しながら立ち上がりテーブルの上に飛び乗る。ナイフを向ける所を彼の首元に切り替えテーブルを椅子にして彼の前に座った。狭い空間の為にすぐに彼の逃げ場が無くなる。

「まずはポケットの中のレコーダーを止めて下さい。ここから先の話は貴方にとっても残っていて欲しくないものになるはずです」

「よく、気付きましたね」

「僕の耳は人より良くできてるみたいだから」

 彼はゆっくりとポケットに手を入れレコーダーを取り出しテーブルの上に置く。洋一は片手でそれを取るとSDカードを取り出し指の力で砕いた。

「内蔵メモリのタイプじゃなくて助かりました」

「改造したタイプかもしれませんよ」

「それならそれで良いです。あの会話では貴方もあらぬ疑いをかけられることでしょう」

「……私の武器は奪わないでいいのですか?」

「僕がこんな所で貴方に撃ち殺されたらどうなると思いますか? 僕が持っているのは殺傷能力なんてものがほとんど無いテーブルナイフです。しかも、バターを塗るようなやつです」

「それで、私が殺せるのですか?」

「僕なら」

 洋一は笑う。

 寳崎は笑っていたが表情は強ばっている。穏やかそうな人だが、他の人間とは経験が違う。平和そうな日本人の中では優秀な人だと洋一は思う。

「……目的は?」

「貴方を殺すことです。生命活動の停止にはこだわりませんけど」

「なるほど」

 彼は息を吐く。

「そのためには私に殺されることすら厭わないと。……随分と憎まれたものですね」

「僕は貴方を憎んではいません。ただ、僕はサーが好きだったし、個人的な目的もありましたから、彼の‘役目’を引き継ごうと思っただけです」

「役目……あの事件に関わった人間を殺すことですか?」

 分かっているなら早い、と洋一は笑う。

 ケビン・マードックは裏社会ではイレーザーという名前で通っている殺し屋だった。彼は優秀な殺し屋だが、狙う相手は各国要人ばかりだった。それも子どもを見殺しにするような行動を取った者達ばかりだった。その共通点に気付かない者も多いだろうが、彼は復讐のために殺しをしていた人だ。

 昔、彼は教え子47人を見殺しにされたことがある。テロの巻き添えを喰って死んだのだ。そして運悪く彼だけが生き延びてしまった。それだけならば生き残った自分を殺すだけで済ましたのだろう。けれど、彼は知ってしまったのだ。子ども達を助けられる方法があったことを。何故見殺しにされたのかを知って彼はさらに驚愕した。「可哀想な子ども達」が犠牲になることで軍を動かす大義名分を作ること、そして、巨額を投じて作った新兵器を使う人体実験をすること。もっと汚い政治的な絡みを見たのだと彼は言った。

 そして、この寳崎統悟も47人を見殺しにした事件に深く関わっている。

「酷い話ですよね。規模は違うけれど、日本に原爆を落とした時もそうだったって言うでしょ? 正義の名前の元に人殺しをするんです」

「……君はそう言った事を正すためにこんな事をしているのですか?」

「まさか」

 洋一は首を振る。

「僕は違います。そんな大層な理由なんて無い。それは確かに色んな汚いところ見ると外道とは思うけど、僕はそういう選択肢も‘有り’だって思いますよ。全ての方向から見て正しいことがない以上、全ての方向から見て間違っている事はあり得ない」

「……」

「貴方の選択は間違っていなかったと思います。結果的に47人を見殺しにする片棒を担いだとしても、日本政府としては無かったこととして闇に葬るのが良かったことなんだと。どうせ助けられないならごちゃごちゃと非難するより外交のカードにした方が良いですよね」

 47人が犠牲になったあのテロ事件の前に、日本人大使館は保護した一人の男をアメリカ政府の要請に従い引き渡している。その事実は揉み消されて記録には残っていない。ただ、その事がきっかけとなりテロ事件が起きたのだ。日本が保護し引き渡した人間が何者であるか洋一は知らない。知る必要もない為に聞くこともしなかった。重要なのは有耶無耶にする事が両政府に取って都合が良かったと言うことと、それが原因でテロ事件が起きたこと。そして、その時の責任者は寳崎だと言うこと。

「敢えて言い訳をする必要はないようですね。君は頭のいい子だ」

「寳崎さんは少し馬鹿ですね。大使館なんかに閉じこもっていないで、サーの所に来て言い訳しに来れば良かったのに。友達なんですよね?」

「……マードックがそれを言いましたか」

 洋一は首を振った。

「言わないけど、昔の知り合いでサーが寳崎さんに対して特別な気持ちがあったのは知ってます。あ、勿論恋愛とかって意味じゃなくて。寳崎さんだってそうでしょ? じゃなきゃ貴方ほど偉い人がここまで来るはずがない。……それとも、僕の過去を調べて何か思い出したことでもありましたか?」

「何の話ですか?」

 洋一は溜息を付く。

「ま、いいけど。それよりどうしましょうか? 寳崎さん、死んでみますか? それとも僕を殺してみますか?」

 自分で言いながら軽い口調だと思った。

 実際言葉の内容に比べて洋一の言葉は軽い。機内食でチキンかビーフで悩んだ時くらいの感覚なのだ。それくらい、洋一にとって人の命も自分の命も軽いものだった。

 ただ、彼を殺した時だけは少し違っていたと思う。

 助けようと思った。

 殺した後で彼を助けようとした。

 矛盾している、それが真実。

「……貴方は何故こんな事をしているんですか?」

「サーが日本大使館に入って貴方に会うのは難しい話ですよね。僕の方が適任。僕は僕であの人の死に興味があった」

「貴方がマードックを殺したのですね?」

「そうです」

 あっさりと答えると、寳崎はぎゅっと唇を噛んだ。

「もう少しで死ぬ人だし、死にたがってからってのもあるけど、僕は好きだと思えた人の死をどう思うのか知りたかったんです」

 洋一はナイフを引いた。

 寳崎はゆっくりと両手を下ろす。チャンスとばかりに拳銃を引き抜き形勢逆転を狙うかと思ったが彼は何もしなかった。

「僕は情緒的に少し壊れた人間なんですよ、寳崎さん。人を殺すことに罪悪感を覚えることも、快楽を覚えることもありません」

「人殺しが悪いという自覚もないのですか?」

「悪いことってのは分かっています。でも、それは僕の価値観じゃない」

 積極的に殺したいとも思わない。必要だから殺してきただけで、その行動は普通に生活するのと大して変わらないと思っている。人の決めたルールだから守る。そのルールが通用しない世界に踏み込んだ時、そちらのルールで動いただけのことだ。

 人が気に入っているグラスを割った時の方がよほど罪悪感を覚える洋一に、人は何故人を殺してはいけないのかという事を解くのは難しいだろう。理論として理解出来ても、実感として理解出来ないからだ。

「悲しむ人がいるから人を殺してはいけないって言うなら、それはちょっとわかりました。サーを刺して死ぬ所を見ていた時、人の命の価値ってそういうことなんだなってちょっと分かった気がするんです。そういう特別な感情を貰ったから、僕はもうこれでいいって思うんです」

「自分が死んでも良いとでも言うつもりですか?」

「ちょっと違うかな。残りの人生を彼にあげてもいい、が正しいと思います。僕の中で価値観が動いた。積極的に死にたい訳じゃないけど、積極的に生き続ける理由もない。だったら、この選択肢もいいかなって」

 彼は少し苦く笑った。

「私はまだ積極的に生きたいと思っています。けれど、貴方のような子どもも殺したくないとも思っています。どちらかと言えばそちらの方が強いかも知れません」

「今まで人を沢山殺してきたのに?」

「ええ、間接的に沢山死なせましたが、それでも人を直接殺すのが怖いです。こんなものを持っているというのに」

 彼は自分の懐の辺りに目を落とした。

 護身用とはいえナイフなどと違って子どもでも簡単に人を殺せてしまうものだ。

「なら、貴方が死ぬしかありませんね」

「二人とも生き延びる選択肢はありませんか? 貴方はまだ若い。こんな所で人生を棒に振る事はありませんよ」

「普通に生きるのも選択肢ですよね。でも、僕は駄目なんです。普通に生きたら殺戮者になってしまうから」

 理由があれば殺して良いなんてことはないのは分かっている。けれど、洋一の中の判断では殺すだけの理由さえあれば人を殺してもいいと思っているのだ。けれど、自分の身勝手な理由で人を殺すのは嫌だ。だから、日本から逃げてきたのだ。無邪気で残酷な善人達を殺してしまわない為に。

「僕が貴方を殺し誰かが僕を捕縛或いは殺害する運命か、貴方が僕を殺し貴方が失墜するか……ああ、アメリカに対して何かカードを切って貴方が僕を無かった事にするという選択肢もありますけど、どちらにしてもどちらか死ななければいけない」

「なら、仕方がありませんね。貴方に人を殺させたくありませんが、私は、私の選択肢を貫きます」

「そう」

 洋一は溜息を付いてナイフを再び構えた。

 殺傷能力の低いテーブルナイフでも洋一が持てば殺人の道具になる。日本にいた時から人の殺し方を知っていた。どこを切れば人がどんな風に動かなくなるかを知っていたというのが正しいだろう。武器を持たない人同士の立ち回り方は知っていたが、アメリカと日本では随分と勝手が違った。それでも沢山の実戦をし‘彼’に出会い様々な殺し方を学んだ。洋一は持ち前の身体能力と判断力の速さで、ものの一年ほどで‘こちらの世界’で生きていく術を手に入れたと言える。

 だから、楽に死なせる方法も苦しめて死なせる方法も知っている。

 洋一はナイフを振り上げ、彼に向かって振り下ろした。

 寳崎は目を閉じた。



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