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 内部へ進入してしまえば行動は楽だった。誰もが久住洋一を観光に訪れて事件に巻き込まれただけの少年と思っている。だから、誰も警戒もしないし、腫れ物に触るように声をかけるだけで、少しわがままを言ったとしても普通に許された。

 少し頼めば親切そうな顔をした日本人が何でもしてくれる。実際こういった対応をされるのは洋一が事件の鍵を握る人物であり、外交問題に関わる場合もあるため「保護」しなければならない対象だからなのか、それとも洋一自身の人に好印象を与える顔のせいなのだろうか洋一には分からない。ただ、洋一のそこでの待遇は破格と言えるほどだっただろう。

(外国にいても平和そうな顔の人たち)

 洋一は笑顔の裏で静かに彼らを観察をしていた。

「久住、洋一くんだね?」

 声を掛けてきたのは穏やかそうな顔をした男だった。50代くらいだろう。人の良さそうな顔をしている男だった。

 洋一は彼の顔を見ながら頷く。

「はい」

「私は寳崎統悟といいます。貴方を保護するものです。……大変な目に合われたようですね」

(ホウザキトウゴ……この人が)

 頭の中で知らされていた容姿と照合する。

 年齢は五十二歳、日本人であるために欧米人よりも若く見える。髪は白髪の交じり始めた黒、瞳はハシバミ色。ヘーゼルナッツを思わせる薄い茶色。背は高く細身で、武道の心得があるために足腰はしっかりしている。

 顔立ちは整っており、俳優と言っても違和感がない。最大の特徴は笑った時に左目が少し強ばる事と、その辺りによく見なければ分からない程の傷跡が残っていること。

「そう、みたいですね」

「みたい?」

「あんまり良く覚えていないんです」

 言うと彼は気の毒そうな顔をした。

 洋一は泣きそうな笑みを浮かべた。

「ごめんなさい、色々お話しなきゃいけないって思うんですけど、色々混乱しちゃって」

「いえ、無理をする必要はないですよ」

「でも、困るんですよね。僕は……なんか普通じゃない事件に巻き込まれているんじゃないですか?」

 彼は不思議そうにする。

「どうしてそう思うんですか?」

「だって、人が……亡くなって……、それが……事件なのか、どうか、わから……なくて」

 洋一は言葉を切る。

 少し間をおいて、呼吸を整えて話す。

「核心を、僕が知っているかも知れない。……アメリカ人の、刑事さん言ってました」

「君はそれほど英語が得意ではないと聞いてますが」

「ヒアリングは結構出来るんです。英語ってしゃべるとなんか舌が縺れる感じがして言いにくくって」

 男は笑う。

「確かにそうですね」

「日常会話位出来るけど、取り調べみたいな感じだったから、間違った言葉言うとそのまんま逮捕されそうで怖くて」

 苦笑いを浮かべると彼は声を立てて笑った。

「ならもう大丈夫ですよ。私は貴方を守るために来たんですから」

「そうなんですか?」

 少しほっとして、洋一は笑う。

「でも、ごめんなさい、何が起きたとか、良く分からなくて」

 言うと寳崎は優しい笑みを浮かべた。

「話せることだけゆっくりと話してくれればいいんですよ」

「………」

 宥めるような言葉に洋一は涙を流した。

 演技をした訳ではない。

 ただ‘彼’の話を思い出して涙が出たのだ。

 彼は教師だった。大切な教え子を一度に失って、彼は教師を辞めた。洋一と初めて出会った時、彼は洋一の面差しの向こうに教え子を見ていた。それはすぐに分かったが、洋一はそれを拒否しなかった。洋一もまた彼の向こうに別の人を見ていたのだから。

「………………お父さん」

「え?」

「……お父さんみたいだったんです。物心付いた時には僕はもう一人だったけど、お父さんってああいう人なのかなって。僕があの人に監禁されていたって言うけど、最初に付いていったの、僕の方なんです」

 彼は静かに洋一を見つめていた。

「寂しそうだって、声かけてくれて、僕、何か、一緒にいようって思ったんです。でも、あの人、死んでて、助けなきゃって、思った、けど………抜いても、赤く」

 赤くなるだけだった。

 ナイフを抜いても辺りは赤い。

 血の海のように赤く染まっていた。傷口を押さえ込んでも、指の間から血は吹き出した。そうなる場所を切ったのだ。一撃で死を与えられる場所、仮に一撃で済まなかった場所でも失血で死ねる場所、そう言った場所を切ったのだ。

 温かかった。

 人間の本来あるべき場所から放たれた‘血液’という構成物質は、人間から離れた後も温かく、想像以上になめらかだった。

 人を殺したのははじめてだった訳ではない。途中まで数えていた気がするが、もう何人殺したのか分からない。人を殺しても平気で笑っている自分を見て、誰かが快楽殺人者と罵った事があるが、それは違うと思う。洋一は人を殺して快感を得たことは一度もなかった。楽しくも無ければ、二度ともうその人が笑わない事を悲しく思ったくらいで、罪悪感を覚えた事もない。いつ誰を殺してもドラマの登場人物が死んだという程度にしか悲しくならない。

「助けたかった。死んで欲しくなかった。でも、その後、真っ白になって……気付いたら刑事さんがいたんです」

 洋一は自分の手の平を見る。

 洗い流され、既に綺麗になった手の平にはあの時彼の血が付いていた。

「……貴方はマードックさんと一緒に暮らしていたんですよね?」

「マードック? あの人の事?」

「そうです。ケビン・マードック。名前を知りませんでしたか?」

「僕はずっと‘サー’って呼んでたから」

 沢山の名前を使い分けている人だ。本名がどれかも知らなかったし、誰が聞いても違和感が無いようにSirと呼んでいたのだ。正式に登録されているだろう名前を聞いて正直少し驚いた。それは彼が最初に洋一に対して名乗った名前だったからだ。

「学校の先生だったんだって。だから」

「なるほど、そうですか。マードックさんはどういう方でしたか?」

 洋一は軽く目元を拭く。

「優しい人、でした。みんな、怖い人だって言うんだけど」

「みんな?」

「サーを尋ねてくる人たちです。僕はサーに‘飼われて’いて‘壊された’んだって。……僕、あの人のことで取り乱してアメリカの刑事さんにはちゃんと説明できなかったけど、そんなことは一切無かったんです」

「そんなこと?」

「セックス……えっと、肉体関係です」

 寳崎は少し目を見開いた。洋一の口からそう言った性的な言葉がさらりと出てくるとは思わなかったのだろう。外国人の血が混じっている日本人は普通より少し大人びて見えるのが常だが、洋一は年相応かそれ以下に見られる事が多い。けれど洋一は十九歳であり初体験を終えていてもおかしくない年齢なのだ。それに思い至ったのか寳崎は少し苦笑する。

「本当に何もされなかったんですか?」

「同じベッドで寝ることあったけど……特には何も」

「身体に……傷があったと聞きました」

 ああ、と洋一は自分の腕を抱いた。

「日本にいた時の傷が殆どです。……寳崎さん、僕のこと調べましたよね?」

 寳崎は言葉に詰まったように何も言わなかった。

 表情から肯定の意味と受け止められた。

「そういうことで出来た傷です。比較的、新しい傷もあったと思いますけど、サーといることで色々勘違いした人が僕を襲う事があって、それで出来たものです」

 洋一は穏やかに笑う。

 彼は表情を強ばらせた。

「あの人は一緒にいない時は僕に監視を付けていましたし、部屋に閉じこめる事もありました。だから監禁って言えばそうだと思います。でもそれは多分僕を守るためなんです。僕こんなだから勘違いする人も多くて」

 目を細めて寳崎を見ると、寳崎ははじめて洋一に対する嫌悪感を示した。洋一の持つ異常さに気付いたのだろう。

 当たり前だ。

 気付くように仕向けたのだから。

 洋一は楽しそうに笑う。

「逃げようと思えば逃げられた。でも、僕はそうしなかった。何故なのか、寳崎さんに分かりますか?」

「……いいえ」

「引き継ごうと思ったんだ」

「引き継ぐ?」

「イレーザーの仕事を」


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