雨宿りの蝶 序
男が殺された部屋で、その少年は保護された。
北欧混じりの日本人の子供で、血まみれの部屋の中で血まみれのバタフライナイフを手に佇んでいた。初め入ってきた者はその子供が殺したのだとさえ思った。
少年は全く表情を感じさせない顔で、入ってきた警察を振り返った。
武器を捨てるように誰かが言うと、少年はナイフを床の上に置いて両手を上げて見せた。少年は血まみれだった。ナイフを遠くに蹴るように言うと少年はそれに従った。銃を向けたまま床に伏せるように言うとやはり大人しく従う。少年は無表情のまま終始無言でいたが、警官が殺したのかと問うと、彼は「助けようと思った、ナイフを抜いて、血を止めないと死んでしまうと思った。でも、死んでいた」と片言の英語で呟くように言うと、何かの糸が切れたように泣き始めた。
それだけで殆どの人間は少年が巻き込まれただけだと判断をした。
少年のパスポートは男の机の中に仕舞われており、彼が観光でアメリカを訪れた日本人で「久住洋一」という名であることが分かった。そして、周囲の証言から、少年が男により監禁されていたこともわかった。
死んでいた男は複数の殺しの容疑で警察が追っていた男だった。少年は男の潜伏先の家に監禁されていたという。周囲の話では、好んで側に置いていたり、連れ回す姿を度々目撃していたという。もともとそう言った性癖があると噂されている男だった。少年がそうして拉致監禁されていたとしてもそれほど違和感はない。あるのは、彼が観光旅行で来ていたということだけだ。観光客が事件に巻き込まれるのは珍しい事ではないが、男の今までの行動を考えてみれば、単純に好みだという理由だけで拉致をするのだろうかという疑問があった。
少年は警察の問いにカタコトの言葉で丁寧に答えた。日本語の分かる人物が取り調べをはじめた時には、少しホッとした様子でやはり丁寧に答えていた。少年は少なからず男に対して好意を持っていたようだった。それは少年自身に両親がおらず、年齢的にも父親に近かったからかもしれない。ただ、少年は男との関係を問われた時には度々取り乱し、中断を余儀なくされた。医師は少年の精神状態が普通ではないと判断し、言葉がきちんと分かる医師によるカウンセリングが必要であると彼は条件付きで日本大使館に一度保護をされることとなった。
それが後に「バタフライ」と呼ばれる伝説を生み出す事件となったことは、誰も想像出来ていなかった。