第二壊:厨房騒動
時刻は夕方四時なので、どんな来客者が来ても別段おかしくは無い。
「ったく、何で俺が応対なんて……」
そう洩らす悠佑だが、ただ単純に自分の睡眠のタイミングを奪われたので多少イライラしているだけなのであった。
来訪者の姿を確認すべく、慌てて階段を駆け降り玄関の前まで辿り着く。
「すいません。家族は留守なんでまた今度にしてもらえませんか?」
扉越しに立ち、適当な言い訳を紡ぐ。
「悠佑、良い度胸ね」
「……その声」
それは、過去十七年間聞き続け今やすっかり頭に染み付いた声。
「母さんかよ……」
「かよ、って随分嫌そうじゃない?両手が塞がってるっていうのに」
そう言い、ガサガサと買い物袋を鳴らして現状を知らせる母。
「そもそも、何で自分の家に入る為にわざわざ呼び鈴鳴らすんだよ?」
ぼやきながらも、しぶしぶ玄関の扉を開ける。
すぐに、針で刺せば破裂するんじゃないかと思える程にまで膨らんだ買い物袋を提げた母が入って来た。
「うわ!ここは難民基地ですか!?」
「ええ、安いからって買い過ぎたわ……」
だが、言葉とは裏腹に、母の顔には得したという表情が如実に出ていた。
ここまでするのは、十七年仕込みの専業主婦ならではの荒業と言えよう。
「はぁ、じゃ、用も済んだ様なので二階行って良いっすか?」
「良いわよ、ご苦労様」
「ご苦労っした……」
適当な会話を交えつつ、悠佑はおぼつかない足取りで自分の部屋を目指した。
寝たい。
悠佑の心の中は、その願望一色で支配されていた。
赤い髪の女、レピア。
褒めると怒る、死神ルナ。
なぜ、こうも自分の周りで立て続けに事件が起きるのだろう。
夢なら覚めて欲しいと、ベッドへ横になりながら真剣に思う悠佑であったが、それ自体儚い夢であった。
「工藤さん、どうも」
「うおっ!」
唐突に、どこからとも無く一度だけ聞いた事のある死神の声がした。
それが誰なのか、今までの流れから容易に想像が付いてしまう。
「……ルナか」
「さすがに二回目で慣れましたね」
「いや、かなり驚いたけども」
ゆっくり起き上がると、悠佑の左側には案の定ルナが立っていた。
黒のローブに身を包み、両手を後ろに組んで優しい笑みを浮かべている。
何度も言うが、ここで彼女を可愛いと思ってしまってはいけない。
否定はしないが、褒めるのだけは命が欲しければ自粛すべきである。
「で、今回は何の用事なんだよ?」
「まあ、特にこれと言って理由みたいなのは無いんですが……」
言いにくそうにしながらも、やはりルナはためらう事無く素直に言葉を紡ぐ。
「実は、人間の生活を間近で観察したいなと思いまして」
その台詞は、やはり死神だった。
「待て待て……それ本気?」
「はい」
どうやら、笑いながら冗談でしたとは到底言ってくれそうに無い。
発言の裏には、何か物凄く深い思索があるような気がしてならない。
「して、その理由は?」
「あ、いえ、ただの好奇心です」
……前文撤回。
大体、こんなに邪気の無い表情で自然に嘘など付けるだろうか。
いや、それとも死神だから嘘なんて朝飯前なのだろうか。
どっちにしろ、部屋にいきなり出て来るのは人間技じゃ無い事位分かる。
「良いけど、頼むから殺すなよ?」
「殺すって……誰をですか?」
悠佑の言葉に、いかにも分からないといった表情を浮かべて考え込むルナ。
「ほら、学校に来ると他人を殺しちゃうからどうのって言ってただろ?」
「いえ、大丈夫です。その辺は」
一体、何に自信があって大丈夫なのか疑問を抱かずにはいられなかった。
「この世界では、何があっても工藤さんの側から離れませんので」
「いやいや、そういう問題じゃないし解決にもなってないっつうの!」
それだと、常に死神付きの世間体にも危ない高校生になってしまう。
「そもそも、こうやって女の子と部屋にいること自体が違反っぽいが……」
「そうですか?」
すると、ルナは静かに歩み寄り、何を思ったのか無造作に悠祐の右手を握った。
「ちょ……ルナ?」
ルナの暖かい体温が、悠佑の手へ皮膚の感触と共にゆっくりと伝わって来る。
「こうして触る事は出来ますが、私の姿は工藤さんにしか見えないですし、声も他人には聞こえません」
「……それが言いたかったわけか」
説明だけなら、恥ずかしいので急に手を握らないで欲しかった。
それはさて置き、ルナの突飛な主張を一体どうしたら良いものか。
無論、止める事も出来るが、他人の行動を制約する権利は人間にも死神にも無い。
やりたい事をするのは、お互い様なのかもしれないと思う。
「そうだな……まあ、迷惑にならない程度にだったら観察しても良いぞ」
「ほ、本当ですか!?もし迷惑だったら無理にとは言いませんが……」
思わぬ答えに、ルナは信じられないといった表情を浮かべて悠佑に問う。
「いや、他人の行動に俺が干渉する権利はどこにも無いからな」
「工藤さん……ありがとう!」
許可が降りた瞬間、ルナは嬉しそうに悠佑へ向かって小さく頭を下げた。
長いストレートの黒髪が、風も無いのにふわっと軽やかに揺れた。
当然、そんな状況に置かれたまま寝れるはずも無くあっさり夜を迎えた。
陽は暮れ、外に広がる町の風景はすっかり夜模様に切り替わっている。
「……というわけで、父さん迎えに行って来るから留守番よろしくね?」
「はいよ、ご達者で」
玄関で靴を履く母と、見送り半分に何気無い会話を交わしている悠佑。
何とも唐突な、父の仕事の関係で留守番を頼まれてしまったのだ。
「じゃ、一人の時間を楽しんでてね」
「あ……ああ!分かったよ」
会話を終えると、母は開いていた玄関から外に出て扉を閉め家を後にした。
すぐに、段々と遠ざかって行く乗用車のエンジン音が悠佑の耳に届いた。
「……ふう、こら死神!」
「ね?ここまでやっても私の姿はお母さんに見付からなかったでしょ!」
「ばか!もしバレたら処刑もんだぞ?」
そう、一人の時間なんかじゃ無かった。
姿が見えないのを良い事に、母の目の前で中指突き立てて挑発してみたり。
あげく、顔面スレスレまで顔近付けて化粧の具合を確認してみたり。
本当に、こいつが姿の見えない死神で良かったなと心底思う。
「あとな、お前が気になって母さんの話も右耳から入って左耳から出てたし!」
「お腹が空いたら冷蔵庫の中の物適当に食べてて。って言ってました」
「うーわ、別に大した事じゃねえ!せめて食い物以外には何か聞いてないのかよ?」
「……さあ?」
「……このお気楽死神が!」
あまりのマイペースっぷりに、悠佑は疲れ半分楽しさ半分で突っ込んでいた。
「ん……何か、声出したら腹減ったな」
その時、ルナの言葉に会わせる様に悠佑の腹の虫が鳴き声を上げた。
「じゃあ、いざ厨房戦ですね!」
「まあ、先に言うけども厨房っていう程の大それた広さじゃ無いぞ?しかも『戦』の意味が分からん」
「細かい事は気にしない。これが私の座右の銘ですから、行きましょう!」
促されるまま、悠佑は何故かルナと二人揃って通称・厨房へと向かった。
この時点で、ルナが何か怪しい事を企んでいるのは間違い無かった。
「わあ……本当に厨房じゃ無いですね。これじゃゴミ置き場ですよ?」
「そうそう、今日はゴミの日だから一ヶ所に集めてな……って違うだろ!」
「あ!良いノリ突っ込みですね」
台所を見るなり、開口一番ルナは見たままの感想を正直に言い放った。
確かに、この食器の散らかり様は初めて見る者に驚きを与えるだろう。
ごちゃっと、スペース限界まで詰み重ねられた皿やコップの数々。
一体、この家の何処にこれだけ大量の食器が隠されていたのか、それは悠佑にすら分からなかった。
「うっし!アレは置いといて、いざ冷蔵庫確認だな!」
現状を前に、悠佑は見て見ぬフリをした。
数歩だけ移動し、慣れた手付きで手際良く冷蔵庫の扉を開ける。
すぐに、ひんやりとした冷気が悠佑とルナの肌を包み込んだ。
「あら……冷蔵庫の中もこれまたダイエットに成功してますね」
「遠回しに『何も無えな』と言ってる気がするのは何故なんだろうか?」
「気のせいです」
漫才の様な話を交えつつ、何か胃に溜まる様な食糧を目的に物色を始める。
「えっと……海苔、揚げ玉、鰹節に……ケチャップ?これらは食い物か?」
「後は、豆腐、味噌、プリンとかですね」
全体を眺める限り、どう調理しても腹に溜まる様な食材など入っていない。
と、ここで悠佑は母が昼間買って来た破裂寸前の買い物袋の存在を思い出した。
「そうだよ!ルナ、昼間母さんが買って来たヤツだ!あれっきゃ無い!」
「そんな物があったんですか?」
「ああ、ルナがいない間にな」
冷蔵庫の扉を閉め、食糧を目指して野菜室やら冷凍室を開けて目を通す。
あれだけ大きな袋なんて、ちょっとでも視界に入ればすぐに気付くはずだ。
「……無いですね」
「ああ、何でだろか」
ルナの言葉に、しばらく考える。
昼間見た時は、確かに両手いっぱいに抱えられていた買い物袋。
だが、夕方になると消滅していた。
「……ん!まさか」
悠佑の頭の中で、ばらばらに散りばめられていた破片が一つに繋がった。
「何か分かったんですか?」
「まあ、非常に残念な結果だった」
母の性格と悠佑の先入観、そのせいで袋の中身が食糧だと思い込んでいたのだ。
確かに、母も悠佑も袋の中身が食べ物だとは一度も言っていない。
「……つまり、母さんが買って来たもんは生活用品だったってわけ」
「工藤さん、ぐっどらっくです」
ルナの励ましも、悠佑の耳には普段より虚しく響いたのであった。
結局、悠佑は冷蔵庫に入っていた中で一番マシな『プリン』を食べる事にした。
まあ、高二男子が死神と二人でプリンを食べるのも異様だが、それ以上にどうしても突っ込まなきゃいけない所がある。
「醤油……だよな?それ」
「はい!醤油とプリンでウニが食べられます!」
「……まじ?」
そう話すルナは、引いてる悠佑とは対照的にとても楽しそうな表情だった。
悠佑のプリンを中ば強引に開封し、側の小皿へ一口分だけ取り分ける。
「そして、ここに醤油をかけます」
「うあああ、待て待て!!」
言うか早いか、黒い液体は落下し黄色い個体とたちまち混ざり合った。
瞬間、何とも例えに困る様な臭いが悠佑の嗅覚に突き刺さって来た。
「いや臭っ!どんな料理だよ!」
「本当は暖かいご飯があると良かったんですけどね。ウニ丼みたいで」
「……殺す気か?」
下手物料理を試し、悠佑の反応にとても楽しそうな表情を見せるルナ。
「そんな、食べても死にませんよ?」
「いや、分かるけどな!」
そう話しつつも、小皿はちゃっかりと悠佑の目の前に置かれている。
流れからして、これを食わなければならない様な気が物凄くして来た。
見た目は、純粋にプリンへ醤油を掛けただけの気持ち悪い物質である。
しかも、嗅ぎ続ければ気分を害す事間違いなしの期待を裏切らない臭い。
「……くそっ、こうなりゃ食うか!」
覚悟を決め、半分やけくそ気味にスプーンで掬い目の前へ運んでみる。
醤油が、まるで流れ出る血の様に小皿の中へ滴り落ちていた。
「いざ!」
「ぐっと食べて下さい」
覚悟を決め、ウニ(悠佑が勝手に思い込んでいる)を口の中へ突っ込む。
舌が麻痺した様な感覚の後、驚く事に本物のウニの味が広がって来たのだ。
「おお!?ウニだ!!」
「ねっ!美味しいでしょ?一回は実験してみたかったんです!これ」
「……俺は実験台かよ!」
どうやら、死神と言えども普通の人が考える様な事はするらしい。
飲み込んだ後、醤油の味だけ残って気持ち悪かったという事は内緒にしておこう。
ルナ「良い子は真似しないでね」
悠佑「最初から止めろっつの!ウニの味は一瞬だけだぞ?後は放送出来ねえ!」
ルナ「以上、工藤さんの叫びでした」