第一壊:危機的な走り
「死ねっ!悠一!」
人気の無い路地で、右手に構えた銃を乱射しながら、死神の如く一人の少年を追走する赤い髪の少女。
映画の撮影にも見えるが、彼女がサイレンサーを装着しながら放つ弾丸は間違い無く本物である。
銃弾が放たれる度、足元のアスファルトへ銃弾が擦れる音が聞こえる。
止まれば死ぬと言う、とんでも無い現実に少年は巻き込まれていた。
「危ねっ!俺は悠一じゃなく、悠佑だっての!工藤悠佑!」
後ろを見る事もせず、走りながら律儀に自分の名前間違いを訂正する悠佑。
「簡単な漢字にいちいち読み仮名付けるな!とにかく止まれ!悠一!」
「わざとかよ……って危な!!」
放たれた銃弾が、悠佑の足元にあるアスファルトへ命中する度に破片が飛ぶ。
「まじでやめい!殺す気かよ!?」
「だから、最初から言ってるでしょう!」
殺す殺されの修羅場、お互いの持てる力をフルエンジン稼働で突っ走っている。
「うおお!!はぁ、はぁ……」
「ふっ、どうやら息が辛いみたいね」
叫びながら走った上に、銃弾に意識が集中したせいで悠佑の体力と精神力は限界だった。
速度が落ちた悠佑の背後に、冷たく光るピストルが向けられた。
「あんたの命も終わりよ!地獄でもレピアと言う名前だけは忘れない事を誓え!」
「はぁ……はぁ……」
捨て台詞を吐きつつ、悠佑の背中を正確に貫くべく全ての集中力をピストルへ注ぐ。
「喰らえっ!悠佑!」
「わああ!馬鹿、撃つな!」
トリガーを引こうとした時、レピアの足元へ泥ですっかり汚れた子犬が現れた。
その瞬間、レピアの注意は悠佑から足元の子犬へ注がれる。
「……っかしいな、撃たれて……」
思った事を口に出しながら、走った状態で強引に首を捻って後ろを確認する。
「……ええ!?」
見ると、先程まで死神の如く背後から迫っていたレピアが子犬の頭を撫でていた。
それは、さながら濡れた子犬を雨から守ってあげている女の子という微笑ましい場面を彷彿とさせる光景だった。
「良し良し。こんなに汚くなっちゃって、可哀想に……」
「……何だ、あの変わり様は……」
自分の時と子犬の態度の変わり様に、思わず悠佑も立ち止まってレピアを観察してしまう。
レピアからは、先程までの殺気に満ちた迫力など少しも伝わって来なかった。
「何か知らねぇけど……逃げろ!」
笑顔で子犬の頭を撫でているレピアを尻目に、悠佑は脱兎の如く自分の家に向かって走り出した。
悠佑の横を、景色や通行人が風の様に通り過ぎて行く。
いや、レピアから逃げる為に悠佑は地面を走る風になっていた。
「やば、はぁ……何だよあの女は……」
全力疾走のおかげで、幸いにもレピアに追われる事の無いまま自宅に帰る事が出来た。
ふと居間のテーブルを見ると、何かが書かれたメモ張らしき物が置いてあった。
《出掛けて来ます 母》
「いや、分かるし!!大体こういうのって普通行き先とか書きませんか?」
誰に向ける訳でも無く、物音の一切しない居間で一人突っ込みを吐く。
家には誰もいなかったが、悠佑に取ってはこの静けさがこの上無い安心だった。
二階の自室へ入り、無造作に着ていた制服を脱ぎ捨てベッドへ体を投げる。
「はぁ……ダウンしまし、た……」
あの追走劇は、朝八時から十五時まで勉強する高校生の帰りには辛かった。
まず、本物のピストルを躊躇無しに乱射する奴と友達になった覚えは無い。
「レピア、まさに悪魔だな……」
白い天井を見ながら、悠佑はぽつんと独り言を洩らす。
「悪魔って誰ですか?」
「だから、レピアが追い掛け……って」
そこまで言い、気付く。
「だ……だ……」
「だ?」
いや、上手く整った言葉が出て来ない。
「誰だ!?お前は!」
驚愕と同時、悠佑はベッドから素早く身を起こしてその場に立ち上がる。
この状況を理解するまで、およそ三秒。
目の前には、真っ黒なローブに身を包んだ少女が寡黙に佇んでいた。
「こんにちは、名も知らぬ方」
「あ、どうも……じゃなくて、誰だよ!」
少女が頭を下げると、ローブの隙間から綺麗なストレートの黒髪が見えた。
そして、全体的に黒い衣服に合わない淡麗な雰囲気と整った顔立ち。
「私は、死神です」
言葉とは逆に、曇りの無い澄んだ声。
「死神……?」
可愛い外見と笑顔に、悠佑は別の意味でダウンしそうだった(悠佑=高二男子)
「名前は?」
「ルナです」
「俺は悠佑、工藤悠佑だ」
「工藤さんですね」
例の出来事の後なので、驚いた後にしては恐ろしく冷静に自己紹介を交わす二人。
「死神って、鎌持ちながら迷える魂をあの世へ何とやら……のアレか?」
「はい」
冗談のつもりが、ルナは否定する様子など欠片も見せず素直に頷いた。
本人は死神と言うが、悠佑からすればルナよりレピアの方が死神に思える。
「つー事は……ルナも俺の命を狙って!?」
「ふふ、どうでしょうね」
何とも死神らしい、不敵な笑みを浮かべて悠佑を見据えるルナ。
「いや!俺はまだ死にたくない!」
いよいよ本気で殺されるんじゃないか、と考えたのも束の間。
「なんちゃって……冗談です」
ルナは、悠佑の取り乱しっぷりを軽ーく受け流した。
「じょ……命じゃ無いなら、何で俺の前に現れたんだ?」
ルナのペースに流されつつも、何とか聞いて置かなければならない本題を訪ねる悠佑。
「えと……まあ、死神の血とでも言いますか……」
「血?」
「つまり……工藤さんの死期を好奇心で見たかったのです」
「見せ物じゃねぇよ!本気でレピアに殺されるかと思ったんだからな」
答えにくそうにしていた割には、さらりと死神らしい発言を言ってのけるルナに、悠佑は言葉を続ける。
「大体、人の家に無断侵入こいて上がって来んなっての!」
「あっ、失礼な……無断侵入なんかじゃ無いですよ!」
悠佑の言葉に対し、どう考えても逆ギレとしか思えない、微妙に怒った表情を見せるルナ。
「はぁ?家族の誰かに許可でも取ったってのか?」
「そんな、誰もいないのに許可なんか取れる訳無いじゃないですか」
「……この死神め。じゃあ不法侵入イコール奴さん(警察の事)に連絡でもしたろかい!」
耐えかねて、携帯のフリッパを開けながら一一〇番を押す真似をする悠佑。
「やれやれ……私が次元の狭間から出て来た時を覚えていますか?」
観念したのか、仕方無いなといった表情を浮かべて難しそうな話を始めた。
「狭間?あーそういや、いきなり部屋に登場したもんな」
「ええ。工藤さんが見た時、私は実質狭間の世界にいたんですよ」
「……で?」
「つまり、狭間の世界にいた私を工藤さんが見付けました。それから数秒後に私は工藤さんの部屋に現れました」
長ったらしい台詞を、リポーターの様にスラスラと噛む事無く滑らかに言うルナ。
「だから?」
「だから、私は工藤さんに見付かってから部屋に入ったという事になります」
「……ああ、俺が見てから部屋に入ったから不法侵入じゃない!と?」
「はい」
意外と理屈は通っているが、悠佑からしてみれば、許可していないのに入られるのはどうよ?な感じである。
「突っ込み所満載なんだけど」
「細かいですね……もしかA型ですか?」
「いや、Oだ」
ルナのペースに合わせると、一向に話が進まない事を悟った悠佑は軌道を戻す。
「そもそも、何つうか……死神ってこんな端正な容姿してたっけか?」
そう、今更だがルナは今まで見た事が無い程に可愛く整った姿と透き通った声、僅かに青い瞳を持っている。
もし渋谷や新宿でも歩けば、間違い無くスカウトの嵐が吹き荒れるだろう。
「それって……可愛く整った姿に透き通った声と青い瞳が魅力的、って事ですか?」
「え?ああ、まあ、そうだけど……」
誉めたつもりが、何故かルナにはおぞましい邪悪な殺気が漂っている。
「殺しますよ?今」
「……殺すなよ!!」
訳が分からない悠佑は、場にふさわしく無い突っ込みでルナに言葉を返した。
「え?何で殺す?」
「誉められるのは嫌いですから」
「……可愛い、つっても?」
「勿論殺します」
その時悠佑は、ルナは可愛くても死神に違い無いと痛感したのだった。
「ですから、次に誉めたら容赦無く殺しますんでそのつもりで」
そう言いながら、優しい微笑みを浮かべて悠佑の言動を咎めるルナ。
悠佑に取っては、まさにこの笑顔が可愛いのだが、今度はぐっと言葉を呑み込む。
「分かった!もう言わねぇって……ん?」
「え、どうしました?」
と、ここで悠佑は数あるルナの放った言葉の中から重要な箇所を思い出した。
「あれ、さっきさ『死神の血が騒いだ』って言ってたよな?」
頭の中で、ルナと自分の会話をまとめて次々と計算を導き連ねる。
「えっと……ええ、言いました」
「じゃあ、俺がレピアに命狙われてる限り近くにいるって事かよ!?」
「察しの通りです。まあ、私に取っては工藤さんが死んだ方が楽しいんですけどね」
「俺は嫌だ」
ルナの死神っぷりは、部屋に不法侵入した時より益々エスカレートしていた。
更に、面と向かってあの世に帰れと言える程の勇気は持ち合わせていない。
別に命を狙われている訳じゃ無いが、死神が常に付きまとう生活を想像して一人大きく溜め息を付く悠佑。
「お疲れですね。学校で何か疲れる事でもあったんですか?」
「……お前だよっ!そういや学校で思い出したんだけども、ルナはどうすんだ?」
そう言って、立ち話も何なのでルナに椅子へ座る様に指示をする。
「あ、ありがとうございます。工藤さん」
軽く頭を下げ、素直に椅子へ腰掛けるルナ。
それを見計らい、悠佑もつい数分前まで寝ていたベッドへ再び腰を掛けてルナと向き合う形になった。
「で、学校の事ですけど、私って死神じゃないですか?命を奪う役割の」
「ああ」
「学校に行ったら、生徒全員殺しちゃうかもしれないのでやめます」
「そら物騒な……是非やめといてくれ」
顔に似合わず、殺人予告までするルナに悠佑は恐怖を抱かなかった。
何故なら、ルナの顔は邪気を含んでいない素直な表情だったからである。
「では、私はこれで帰ります」
椅子から立ち上がり、部屋の時計を眺めるとルナは言った。
「帰るって……どこに?」
「狭間です。次元の」
「あの世じゃないんだな」
冗談ぽく言い、悠佑もルナと別れの挨拶を交す為にベッドから立ち上がる。
だが、悠佑にはこの出会いが始まりだという事が分かっていた。
「では、影ながら工藤さんが苦しむ所を見たりしてますので」
「え、あ……ああ」
返事に困る台詞を吐きつつ、ルナは背中の辺りを探って何かを取り出した。
身の丈はある、鎌。
それを宙に向け、まるで空間を切り裂く様に刃を円の形に動かす。
そこだけ、風景を黒抜きされた様に幻想的な闇が姿を現した。
「では、また会いましょうね」
「また……か!?このTwilight Living(絶頂を越えた生活)は続くのな」
「ええ。それでは」
ふっと笑顔を見せ、ルナは次元の狭間らしき空間にその姿をくらませた。
次の瞬間、部屋はさっきまでの賑やかさが嘘と思える静けさを取り戻した。
「ルナ……か」
息を吐き、静かにベッドへ腰を下ろす。
実感は無いが、レピアに命を狙われていたのは事実。
そして、死神。
「……訳が分からん」
誰に当てる訳も無く、悠佑は呟きながら横になった。
と、その時静寂を切り裂く様に突然玄関のチャイムが鳴った。