赤字危機
ビズネス商会のとある倉庫の片隅で、ペニーは本来なら深い紫の幽光を帯び、莫大な価値を持つはずの「寒鋳紫金管」を、食い入るように見つめていた。その顔には恐怖がありありと浮かんでいた。
「チクタク……今、飲み込んだ?」
ペニーの声は震えていた。視線は傷ついた貨物から一寸たりとも離れない。
その紫金管の片端は、一部が欠けていた。欠け口には怪しい機械潤滑油が数滴残り、歯形が金属表面に深々と刻み込まれている。
何より致命的なのは、この紫金管の一団が特注の「百管一式セット」だったことだ。一本でも損耗して「一式欠損」になれば、買い手は注文全体を取り消し、違約金の全額を請求する権利を持つ。
「ワン!」
木箱の上に座っていた発条犬チクタクが、真鍮製の尻尾をふりふり揺らした。ルビーのレンズでできた両目は無邪気にペニーを見上げ、しかも機械油の匂いがたっぷり混じった大きなげっぷまでした。
「それは──貨──物──!」
ペニーは悲鳴を上げた。指先は算盤の上で残像が出るほど速く動き、弾かれまくる小さな算盤は、彼女の人生初となる『赤字危機』の鐘を鳴らしていた。
「『一式特注』の貨物は一本だって欠けちゃ駄目なのに……これは管一本の代金じゃない、注文一式が廃棄になる違約金よ! 三百か月分の給料……チクタク、私たち破産よ。完全に! 残りの人生、期限切れの潤滑油をすすって生きるしかないわ!」
ペニーは崩れ落ちるように、顔を算盤へ埋めた。
商会公認の、もっとも勘定に細かい実習生として、彼女は算盤を弾けるようになった日から「プラス成長」を追い求めてきた。それなのに、この紫金管一本が彼女の利益曲線を底なしの深淵へ叩き落としたのである。
おまけに、あの大腹を突き出し、いつでも実習生を解雇する口実を探しているボッグ主任に見つかったら……
そのとき、静かな倉庫の廊下から、重く規則正しい革靴の音が聞こえてきた。
コツ、コツ、コツ……
恐れていたものほどやって来る。それはボッグ主任の足音だった。
ペニーの全身が硬直し、冷や汗が一瞬で背中を濡らした。
「早く! チクタク、何とか隠して!」
ペニーは慌てふためいて周囲を見回し、手近な帆布をつかむと、傷ついた紫金へ勢いよくかぶせた。同時に、まだえずいているチクタクを背中の幻獣瓶へ押し込む。
鉄扉がすぐさま細く押し開けられ、ボッグ主任の真っ赤な酒焼け鼻がのぞいた。
「ペニー、廊下までお前の悲鳴が聞こえたぞ……何をやっている?」
ボッグは疑わしげに倉庫を見回した。小さな目が帆布をかぶせた貨物の山で一秒止まる。
「それと、あちこちかじり回るお前の発条犬はどこだ?」
「主任! ど、どうして直々にこちらへ?」
ペニーはややこわばった笑みを浮かべ、さりげなく帆布の前に立ちはだかった。
「さっきは……さっきは、今月の損耗率がほぼゼロに近いと計算できて、うれしくて声が出てしまったんです。チクタクは仕事で疲れて、瓶の中で充電中です」
ボッグは目を細め、ゆっくりと貨物の山へ近づいた。ペニーの心臓は暴走したピストンのように跳ね、手のひらは汗でびっしょりだった。
「ワン……おえっ!」
瓶の中から、チクタクのくぐもった音がした。
「何の音だ?」
ボッグが足を止める。
「エーテル圧力弁の減圧音です!」
ペニーは声を張り上げ、すばやく算盤を弾いて注意を引いた。
「そうだ主任、先週のサプライチェーン報告についてですが、年次報告の利益を二パーセント増やせる余地を見つけまして……」
「利益」と聞いた瞬間、ボッグ主任の強張った顔がゆるんだ。彼は空気中の不安の匂いを追い払うように、嫌そうに手を振った。
「業績優先、業績優先だ。その算盤の音はうるさくてかなわん。さっさと報告書をまとめろ! この貨物はしっかり見張っておけよ。『鋼鉄峡谷』から直送された最上級素材だ。一グラムでも減っていたら、技工学校からやり直す覚悟をしておけ!」
ボッグの重い背中が廊下の奥へ消えるのを見届けると、ペニーは膝から力が抜け、そのままずるずると床に座り込んだ。
「ふう……助かった」
彼女はぐったりしながら背中の幻獣瓶を開けた。チクタクはよろよろと這い出し、そのまま地面へ頭から突っ伏して、さっき飲み込んだ小さな欠片を吐き出した。
「チクタク! しっかりして!」
ペニーは慌ててその欠片を拾い上げて調べた。
「あなたって本当に……ん?」
焦っていた表情が、だんだん固まっていく。彼女は欠片を鑑定鏡の下へ持っていき、瞳孔をきゅっと縮めた。
断面の下、二ミリにも満たない場所に露出していたのは、寒鋳紫金にあるはずの紫の流光ではなかった。くすんだ暗い、鉛灰色の死気を帯びた質感だった。それは「白鉛」に安物の「灰鉄」を混ぜた、きわめて巧妙な偽装だった。
「これは寒鋳紫金じゃない……贋物よ!」
ペニーの呼吸が一秒止まった。直後、その両目に金貨よりもまばゆい光が燃え上がる。
「道理でそんなに吐き気がひどかったわけね、チクタク。私たちは商会にお金を払わなくていいどころか……」
ペニーは優雅に服の埃を払い、口元にひどく危険な笑みを浮かべた。
「今度はボッグ主任が、私たちに大きな『賠償金』を払う番よ」
彼女は冷や汗で乱れたネクタイを整え直し、チクタクを抱き上げると、大股で購買部主任の執務室へ向かった。
ボッグ主任は悠々と葉巻を切りそろえていた。だが執務室の重い樫の扉は、何の前触れもなく「バン」と音を立てて押し開けられた。
「ペニー! 何をしている!」
ボッグは驚きのあまり葉巻を切り落としかけた。勢いよく顔を上げ、真っ赤な顔で怒鳴る。
「誰がノックもせずに入っていいと言った? お前の実習規則は、あの狂犬にでもかじられたのか!」
ペニーはボッグの怒鳴り声を無視した。そして、小さな鉛灰色の欠片と顕影剤の瓶を、主任の机の上へ「ぱん」と置いた。
「購買プロセスで発生した、あなたの『小さな不手際』について話し合う必要があると思います、主任」
ペニーの声は落ち着いていた。そこにはかすかな冷たさすらあった。
ボッグ主任は眉をひそめ、悪態をつきながら老眼鏡を押し上げた。机の上の灰色くすんだものを不機嫌そうに見る。
「何だこれは? 処理しきれていない廃材か? こんな些細なことで俺の時間を無駄にするつもりなら──」
「これは、あなたがつい先ほど『しっかり見張っておけ』とおっしゃった最上級貨物です、主任」
ペニーはかすかに笑って、彼の言葉を遮った。
「あるいは、紫の鍍金の下に隠れていた本当の姿、と言うべきでしょうか」
ボッグは一瞬固まった。次いで何かに気づいたように、震える手で顕影剤を取り、さらに少し吹きかけた。暗い鉛の塊と薬剤が反応して死灰色の領域を浮かび上がらせるのを見て、もともと赤らんでいた彼の顔色は、一瞬で血を吸い尽くされたように、死人よりも白く退いた。
「そ、そんなはずは……鑑定書は全部本物だ!」
ボッグは汗を拭い、視線を泳がせ始めた。
「鑑定書は本物です。でも、この貨物は偽物です。主任も、業績を達成するために再検査手順をここまで甘くしたことを、商会に知られたくはないでしょう?」
それから十五分間、ペニーの手元で鳴る算盤の音は、ボッグ主任の弔鐘となった。
最終的に、ボッグは震える手で一通の協定書に署名した。その「圧力試験報告」に自分の名で承認を与え、ペニーの損失をすべて免除しただけではない。ペニーの口をふさぐため、チクタクを正式に『品質鑑定班』へ編入し、補助探知犬に任命させられた。チクタクの今後すべての『鑑定損耗』は、商会の予算で支払われることになったのである。
執務室を出るとき、ペニーの足取りは噴水の上を踏んでいるように軽かった。
「チクタク、行くわよ! 整備場で最上級の精錬鋼板一式に換えて、それから全身の歯車を校正してもらいましょう。傷ついた舌への補償よ!」
「ワン!」
チクタクは興奮して吠えた。もっとも、チクタクにはまだ「赤字」が何なのか分かっていない。それでも、これからは商会にあるおいしい金属を、堂々と「巡回」できるようになったのだった。




